カミロとアリアナ1
今回は祈世の前世のエピソードです。
少年が創造主になる前。カミロが生まれたその世界は、不平等という言葉をそのまま形にしたような場所だった。
王や貴族は金も権利も持たない平民に対し横暴なふるまいをしても許される立場にいた。そんな世界の平民が幸せな生活を送れるわけもなく、カミロは貧しい暮らしの中、必死に生きるために足搔いていた。
カミロには家族がいない。カミロが幼い頃に貴族の反感を買ったことで殺されてしまったからだ。原因は些細なことだった。
とある貴族にぶつかったことでその貴族の衣服を汚してしまった平民の子供がいた。それをカミロの両親が庇った。ただそれだけ。
そんなことでカミロの両親は平民の子供諸共殺されたのだ。抵抗する暇もなく。カミロの両親はその直前に、カミロのことを必死の思いで逃がしてくれた。だからカミロだけが生き残ったのだ。
両親の思いを無駄にしない為に、カミロは必死に生きようとした、生き延びようとした。ただの平民の子供が一人で生きようとするのは困難な世界で、カミロは成人する時もその呼吸をやめてはいなかった。
「お兄さん、私の靴磨いてくれる?」
「…………」
カミロは子供時代、盗みをすることで己の命を繋いでいた。だが現在は大人になったことできちんとした仕事につき、僅かながらも稼げるようになっていた為、そんなことをする必要が無くなっていた。
そんなカミロがしていた仕事は貴族街の路地での靴磨きだった。靴磨きという職種は貴族や王族にしか需要が無い。平民は靴磨きなどで自分たちの稼ぎを支払う余裕が無いからだ。
だからわざわざカミロは貴族街に赴いて靴磨きの仕事をしているのだ。
そんな靴磨きの仕事をカミロが選んだのには訳があった。それは両親を殺した貴族の情報を探るため。要は復讐である。
カミロは両親を死に追いやった貴族の首を取ることが出来さえすれば、あとの人生などどうでもいいとさえ思っているのだ。例え貴族殺しの罪で処刑されたとしても、一片の悔いさえ残らないと断言できる程に。
そんな復讐心を沸々と静かに沸かしながら、少年は目の前で片足の靴を差し出してきた女性の靴を磨き始めた。
カミロは返事をすることなく黙々とその女性の靴を磨きつつ、僅かな違和感を感じた。
ここは貴族街。つまりここにいる人間のほとんどが貴族以上の立場の存在ということだ。目の前の女性の場合、実際こうして靴磨きに金を払っているのだから貴族以上のはず。
それにしてはこの女性の態度はおかしかった。いや、普通に考えればおかしいことなど何もない。だがこの世界の常識を鑑みると、女性の態度はおかしかったのだ。
最初の違和感は女性がカミロに話しかけたところだ。普通の貴族なら、平民であるカミロに対して声などかけない。ただ靴を差し出してくるだけなのだ。
それにカミロの対応はお世辞にもいいものでは無かった。女性の声かけに返事もしなかったし、その後も無愛想な顔で黙々と靴を磨いていただけだ。
にも拘らず女性は一言も文句を言ってこないのだ。普通の貴族なら平民であるカミロのその態度を無礼だと罵り、悪ければ殺されているところだった。それがこの狂った世界の常識だった。
だから女性のその態度は、この世界に順応しているカミロにとっては、悪政を敷く王よりも異質で恐ろしく感じたのだ。
カミロはそんな異分子の顔を恐る恐る見上げると、女性はカミロに対してまぶしい程の笑顔を向けてきた。
「っ……」
「お上手ね。靴磨き」
更に予想外だった女性の行動にカミロは思わずその顔を驚きの色に染めた。女性は平民では決して着れることの無い質のいい服に身を纏い、美しい金色の長髪と同じ色の瞳を持っていた。
その容姿から、やはり目の前の女性が貴族以上の立場にいることは確実なものになった。
「……仕事なので」
「ふふっ、そうよね。ごめんなさい」
その言葉でカミロは女性を見上げたままの状態で目を見開いた。それもそのはず。貴族が平民に対して謝ったのだから。
この世界の常識を鑑みるとこれはあり得ないことだった。貴族が平民に対して遜るのは、己の権利を貶めることと同義だからである。
にも拘らず、女性はその暗黙の了解をまるで知らないような柔らかな笑みを浮かべていた。だがカミロがあまりにも女性のことを凝視していた為、女性はキョトンとした表情を浮かべた。
「……あっ、すいません…………」
目上の人物の顔をまじまじと見るのも、この世界では失礼に当たる行為だ。重ね重ねに失礼な態度をとってしまったカミロは、憎いはずの貴族に対して思わず謝っていた。
(何なんだこの貴族……調子狂うな)
「ねぇあなた。どうして靴磨きの職に就こうと思ったの?」
「え……?」
心中困惑していたところに追い打ちをかけるように、女性はカミロにそんな質問をした。カミロには女性がそんな質問をする理由が分からず、ただただ呆然としていた。
「教えたくないことならば、教えなくてもいいわ。ただ、この職種は平民が貴族を相手にするものでしょ?平民は高圧的な貴族たちを嫌っているから、どうしてそんな仕事にしたのかなと思っただけなの」
「……あなたは貴族ではないのですか?」
女性の言葉にカミロは思わずそんな質問で返していた。女性が貴族であることは一目瞭然だというのに、なぜこんな質問をしてしまったのかとカミロは内心後悔しつつ、それを確かめずにはいられなかった。
「私は貴族よ。でも、この世界の王族と貴族の頭がおかしいのは分かっているわ。私は彼らの暴挙を許すことが出来ない。立場は確かに貴族だけど、心は平民なのかもしれないわね」
「…………変わったお方ですね」
「よく言われるわ!」
貴族であるにもかかわらず、自らを平民だと名乗る彼女の行為は、この世界では狂人だと呼ばれても仕方のないようなことだった。
カミロは言葉をオブラートに包んで変わっていると称したが、その意味を理解できないほど女性が阿呆にもカミロには見えなかった。だが女性はカミロの評価に対して、何故か誇っているような表情で言葉を返した。
「……俺の両親は貴族に殺されました。何の罪もなかったのに」
カミロはそんな女性に対して、思わず自分がこの職に就いた理由を話し始めてしまった。どうして話してしまったのか、カミロは自分でも理解できなかった。だがこの女性になら話しても良いかもしれない、カミロの直感がそう言った気がしたのだ。
「…………そう」
女性はカミロの話にその一言だけで返した。女性にはそれしかいうことが出来なかったのだ。貴族という立場の女性がカミロに対して励ましの言葉をかけるのは、あまりにも無神経なことだと分かっていたからだ。
その気遣いにカミロは確かに気づいた。だからこそ、カミロは無意識のうちに自分の身の上話をポツリポツリと話し始めていた。
でもその時のカミロは、それについて何の後悔も持っていなかった。カミロの頭が本能的に、この人になら話しても大丈夫だと、話したいと感じたから。
「そう…………私と同じ貴族がそんな非道なことを……いや、知っていたんだけどね。いざそういう事実を耳にすると、何も言えなくなってしまうわね。ごめんなさい、私の顔もあまり見たくないかしら?」
「それは、違う。アンタは、俺の両親を殺していない」
カミロの話を聞き終えた女性は、同じ貴族が行った愚行を詫びた。例えカミロの両親を殺したわけでは無くても、女性は同じ貴族。カミロにとっては嫌悪の対象なのではないかと女性は危惧したのだ。
だが流石のカミロも貴族と分かれば誰でも嫌悪するわけではない。ましてや自分に対してこんなにも丁寧な対応をする目の前の女性には、嫌悪の感情など湧くはずもなかった。
「アンタは、他の奴らとは違う」
「!……ありがとう」
カミロは女性は真っ直ぐに見据えるとそう断言した。女性は一瞬虚を突かれたように固まったが、すぐにその相好を崩した。
「私の名前はアリアナ。明日もここに来れば、あなたに会えるのかしら?」
「え……あぁ、そうだが…………俺はカミロだ」
アリアナの質問の意図を僅かな時間では理解できなかったカミロは、名乗った彼女に対して自分も名乗ることしかできなかった。
「カミロね。いい名前ね。明日も来るわ、カミロ」
「あぁ……」
アリアナは靴磨きの料金を支払うと、その綺麗な金髪をはためかせながらその場を去っていった。カミロはそんな彼女の後ろ姿を、ただ目で追うことしかできなかった。
(何なんだ、あの女)
異端。カミロにとって貴族というフィルターを通して見た、アリアナの第一印象はその一言に尽きた。
「カミロ。また私の靴を磨いてくれるかしら?」
「…………」
「〝本当に来たのかこの女〟って今思ったでしょ?」
「!」
図星だった。アリアナがカミロの考えを完全に読んでいることに、カミロは思わずあからさまな態度をとってしまった。
驚きの表情を浮かべたままのカミロを見たアリアナは、思わず吹き出すとその綺麗な顔を綻ばせた。
「カミロって、無表情の割に分かりやすいのねっ」
「……そう、か?」
「自分じゃ分からないでしょ?」
カミロの特徴を一つ知れたアリアナは、嬉々とした声を発した。アリアナの意見をすぐに肯定できなかったカミロだったが、確かに自分がどんな表情をしているかなんて分からないので何も言えなかった。
アリアナの靴は昨日磨いたばかりなので、ほとんど汚れていなかった。にも拘らずなぜアリアナが自分の元を訪ねたのかが全く分からなかったカミロは、困惑しながら靴についた僅かな汚れを丁寧に拭っていった。
「俺に何か用か?」
「用がないと来ちゃいけないの?」
「いや……そういうわけでは……」
アリアナの返答でカミロは更に困ってしまった。先刻まではアリアナがここにいる理由が分からず悩んでいたというのに、今はその理由が無いという事実に悩まされているのだから。
用が無い。それはつまり少なくとも靴磨きのために来ている訳ではないということだ。
用が無ければ来てはいけないわけでは無いが、アリアナの行動はやはりカミロのとっては得体の知れないものだったのだ。
「うーん……理由を一つ挙げるなら、あなたのことが好きだからかしら?」
「………………………………は?」
アリアナの突然のカミングアウトにカミロは長い沈黙の後、あまりにも間の抜けた声を上げてしまった。それぐらいカミロにとっては突拍子もない話だったのだ。
(この人は一体、何を言ってるんだ?)
カミロはアリアナと出会ってから、驚きで声を出せなくなっていることが多いことを自覚し始めた。それを自覚できる程の間、カミロは口をパクパクとさせていたのだ。
「ふふっ……驚いちゃった?でも嘘はついてないわよ」
「どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も無いわよ。私の正直な気持ちを話しただけ」
カミロはしばらく考えた末、アリアナが何か目的があってあんなことを言ったのではないかという結論に至った。もしくはただの冗談という線。
そうでなければ説明がつかなかったからだ。
だがその結論もアリアナによってあっさり否定されてしまった。
「意味が分からない」
「……あなたの気持ちも分かるけど、人生初めての告白をした女性に対して、その態度はないんじゃない?」
正直な気持ちを呟いたカミロに、アリアナは頬をぷくりと膨らませその色を染めると、不満の声を口にした。
カミロはそのアリアナの態度を見た瞬間、考えることを放棄した。アリアナの思考を考えたところで無意味だということに気づいたからだ。
いくら頭を悩ませたところで、この女の思考なんて理解できないという結論に至ったのだ。そして、もうこれからはアリアナの言葉を全て馬鹿正直に受け取ることにした。
「……仮にお前が俺を好きだとして、その理由は何だ?」
「お前じゃない。アリアナよ」
「……アリアナが俺を好きな理由は何だ?」
カミロがアリアナの名前を呼ぶと、アリアナは満足げな表情で破顔した。カミロがその笑顔に見惚れていると、アリアナはそっとカミロに耳元に顔を近づけた。
「秘密よ」
「…………は?」
耳元で小さく呟かれたその綺麗な声にカミロは内心ドギマギする一方、発せられた内容についてはやはり理解できず、間の抜けた声を出してしまっていた。
だがそんなカミロを幸せそうな表情で見つめるアリアナに、カミロ自身それでもいいかと思ってしまったのも事実だった。
明日も更新予定です。次回も祈世の前世のエピソードです。
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