夢から醒めて
その日一日手伝いをし続けたリディアは、夕食を終えてファルシードと共に自室へと戻ってきた。
暗い部屋の中央にランタンを吊るしていくと、ふんわりとした淡い光で全体が照らされた。
「今日も一日、お疲れさま」
肩に乗ったファルシードを下ろして自室の机に載せていく。
すると、彼は疲れていたのか、その場ですぐに座り込んだ。
「ったく。この体じゃ、何もできやしねェな……」
「だけど、明日の昼には元に戻れるんだから、よかったよね」
リディアも椅子に腰かけて、にこりと微笑む。
「まあな……さすがにこの姿でいるのも限界だ」
ファルシードは、頭を抱えてうんざりとしたような仕草を見せてくる。
それほど粘土の姿が動きづらく、助けがないと何もできないことにプライドが傷つけられていたのだろう。
そんなファルシードが可哀想で、愛くるしい見た目が可愛くて。
頭を撫でてやろうとリディアは手を伸ばしていくが、昼間拒絶されたことを思い出し、慌ててその手を引っ込め、笑った。
「最初はどうしようって思ったけど、この二日間、なんだかんだで楽しかったね」
その言葉に、ファルシードは顔を上げて動きを止め、目を丸くしているように見える。
「おい、嘘だろ……」
リディアは首を横に振り、柔らかく目を細めた。
「ううん、嘘じゃないよ。ファルが普段何をしてるのか知れて良かったし、頼ってくれるのが嬉しかったの」
何故だかファルシードはいつもリディアを遠ざけてきて、自分のことを何も話そうとはしてくれない。
拒絶にも似た態度に寂しさを感じていたのだが、リディアは今回のことでファルシードに少し、近づけたような気がしていたのだ。
だが、ファルシードは無言のまま。
その上、粘土だからか表情がわかりづらく、全くと言っていいほどに読み取れない。
気恥ずかしさと気まずさを感じたリディアは、誤魔化すようにへらっと笑った。
「でも、この姿のままでいるわけにはいかないもんね。あのさ、元の姿に戻っても、仕事に連れてってくれる?」
「……お前には自分の仕事があるだろ」
呟くように彼は言う。
その顔は、笑っているようにも寂しげなようにも見える。
それは、粘土人形だから、というだけではないだろう。
ファルシードの内面はいつだって、誰よりも覆い隠されていて。
気安く踏み込ませてはくれないのだ。
「そ、っか。気が向いたら誘って」
リディアは悲しむように、眉尻を下げながら微笑む。
「ああ」
ファルシードはそれだけ言って、リディアお手製の布団の中に潜り込んでしまった。
――・――・――・――・――・――・――
金色の満月が船の上にさしかかり、見張り番しか起きていないような深夜、真っ暗な部屋に七色の光が満ちていく。
部屋にいる亜麻色の髪の娘は、肩まで布団を手繰り寄せ、寝返りをうっている。
どうやら深く眠っているようだ。
やがて、虹色の光は一ヶ所に集まり、机の上にいる人形へと飛び込んだ。
粘土の人形は七色に光り、机の前で人の姿を形作っていく。
光が小さくなり、その代わりに現れたのは、机にもたれかかっている黒髪の男。
この船でキャプテンと呼ばれている、ファルシードだった。
彼は、確かめるように手を何度も握って、安堵するように息を吐いている。
そして、ちらと眠っているリディアを遠くから見て、柔らかく目を細めた。
振り返ったファルシードは、先ほどまで自身が入っていた粘土の人形を手に取っていき、そっとリディアの枕元へと置いていく。
明日の朝目覚めたリディアがどのような反応をするのか、予想しているのだろうか。
彼の口元は、微かに弧を描いていた。
視線の先には、規則正しい呼吸をゆったりと繰り返すリディアがいる。
安心したように下がった眉に、長い睫毛、滑らかな頬、そして柔らかそうな唇。
一つ一つに視線を送ったファルシードは彼女に手を伸ばし、そっと髪をひと撫でしていく。
最後に頬へと手を伸ばしていたが、触れる直前、ためらうようにこぶしを握って、視線を落とした。
その代わりにリディアの耳元へ顔を近づけ、静かに囁く。
「ありがとな」
眠るリディアに一言だけ告げた彼は悲しげな顔を浮かべ、一度も振り返ることなく、自身の部屋へと戻っていった。
――・――・――・――・――・――・――
翌朝リディアが目を覚ますと、目の前にはファルシードの人形があった。
「あれ?」
横になったまま、ぱちくりと目を見開く。
「ねぇ、ファル。どうやってここまで来たの?」
ぼさぼさ頭のままベッドの上に座り込んだリディアは、ファルシードの粘土人形に問いかける。
だが、人形は一切返事をしないどころか、微動だにしない。
生命を感じさせない様子に、リディアの顔は青く染まり始めた。
「もしかして、ファルが消えた? どうしたらいいの……!?」
おろおろと狼狽え、人形を手のひらに乗せたリディアは「ファルがいなくなっちゃった!!」と、泣きそうな声を出しながら団長室へ向かうため、ベッドから飛び出して駆け出した。
だが、その瞬間、目の前の扉が勢いよく開いていく。
「朝っぱらから、うるせぇ」
そこにいるはずがないと思っていた人が目の前にいて。
リディアは驚きのあまりバランスを崩し、その場にどたりと座り込んでしまった。
眠そうな顔をしていたファルシードは、リディアがあわあわとして何も言えないまま、目を白黒させている様子を見てきて、噴きだすように笑ってくる。
「すげー顔と頭」
「も、ももも戻れたんなら、ちゃんと戻れたって教えて!」
リディアは顔を真っ赤に染めて、寝癖のついた髪を手櫛で整えながら、抗議していく。
「ちゃんと言ってやったが、いびきはうるせぇし、ヨダレは垂れてるしで、起きる気配がなかった」
ファルシードは、呆れたようにため息をついてきて、リディアは「ヨダレなんか垂らしてないよ!」と勢い良く立ち上がり、睨み付けながらむくれた。
「だけど、本当によかった……てっきり消えちゃったのかと、って、あれ?」
ふと、机に視線を送ったリディアは、首をかしげていく。
「どうした」
「ねぇ。私の粘土、知らない?」
昨日までは机の上にあったはずの粘土の山が、跡形もなく消えていたのだ。
「ああ、あれか。昨日見つけた穴に、ネズミ侵入防止で詰めようと思って、もらった」
そう話すファルシードの口角は、なぜだかわずかに上がっているようにも見える。
「勝手に盗らないで! って言いたいとこだけど、ネズミは困るし、しょうがないよね。結局作れたのはファルのだけになっちゃった。いる?」
リディアがファルシード人形を差し出すと、ファルシードは首を横に振った。
「俺はいらないから、お前がもっとけ」
「わかった! いい思い出だし、大事にとっておくね!」
ファルシード人形を撫でながら、リディアは無邪気に笑う。
その様子を見つめてきたファルシードの顔も、リディアを突っぱねてきたこれまでとは違い、どこか柔らかく見えたのだった。




