キャプテンの手伝い
「そろそろ片づけ始めましょうか」
立ち上がったリディアが、今日の食事係であるバドとケヴィンに向かって言うと、彼らは首を横に振ってきた。
「片づけは俺らでやるから、リディアはキャプテンの手伝いをして欲しいっス」
「ファルの、手伝い?」
いつもソファで寝転がって本を読んでいるだけだと思うんだけど――
と、リディアは首を傾げた。
「俺たちが係仕事をしている間、キャプテンはキャプテンにしかできない仕事をしている。だが、その姿じゃ……」
ケヴィンは小さくなってしまったファルシードに視線を送り、わずかに口元を緩ませている。
言葉には出さないが、恐らく“可愛い”とか“面白い”などと思っているのだろう。
そんな視線を向けられていることに気づいたのか、机の上に立つファルシードは前で腕を組み、面白くなさそうに息を吐いていた。
「仕事、手伝った方が良さそう?」
ファルシードに向かって尋ねると、彼はこくりと頷き、「そうしてもらえると助かる」と返してくる。
珍しいこともあるもんだなぁ、とリディアはわずかに目を丸くする。
これまでに、ファルシードがリディアを頼ってくることなど、数えるほどどころか、一度たりともなかった。
滅多に聞くことのない“助かる”という言葉に、わずかにリディアの心は躍る。
いつも迷惑ばかりかけてしまっていると思っていたぶん、何か役に立てることが嬉しかったのだ。
「わかった! 何をすればいいのか教えて」
リディアはファルシードを掬うように手のひらにのせて、微笑みかけていく。
そして、そのまま彼を自身の左肩へと誘導した。
「一通り、船内を回りたい。はじめは船首甲板から頼む」
「アイ・サー!」
にこりと微笑んだリディアは、言われるままに船首甲板へと向かう。
メインデッキには団員たちが並んで釣り糸を垂らしたり、泡まみれになりながらせっせと洗濯を進めていた。
天を仰げば、どこまでも広がる青い空とすじ雲があり、白い帆の周りには海鳥が飛んでいる。
もう見慣れた、いつもの光景だ。
ブーツの音を響かせて短い階段を昇り、塩辛い風を浴びながら船首甲板へと立つ。
「ハリヤードが見たい」
ファルシードの言葉に、リディアはその場から動けないまま。
船首甲板のあちこちには、杭やロープが多数あり、足元にも昇降口がある。
ハリヤードっぽいものは――と、あたりを見渡してみるが、結局ファルシードが何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。
「ええと、あの、ハリヤードって……」
恐る恐る尋ねると、ファルシードは伝わらないことに気がついたのか「ああ。悪い、帆を上げ下げするロープだ」と、杭にくくってあるロープの一つを指差してきた。
ロープのもとに向かい、何をするのかと首をかしげる。
すると、彼は「ロープのほつれや損傷がないか、見える範囲でいいから見てくれ」と、頼んできた。
「うん。大丈夫そうだよ」
念入りに確認して微笑みかけると、彼はこくりと頷き、隣のロープを指差してくる。
「助かる、次はその隣のを頼む」
そうやって、二人は破損個所の確認や、購入の必要がある物の見極めを続けていき、全てを周り終えたのは、三時間近くたった頃だった。
――・――・――・――・――・――・――
破損個所の確認を終えた二人は、ファルシードの部屋へと戻って来た。
リディアは言われるがままに、引き出しの中から書類を取り出して、広げた。
どうやら団長に物品の購入依頼をするための用紙と、団員たちが購入を望むもののリストのようだ。
「購入希望の用紙を読んでくれ」
机の上にファルシードを下ろし、「わかった!」と、リディアはソファに腰掛けて用紙を手に取る。
「一番目のは、第一船室にトランプとボードゲームが欲し……」
「却下!」
全てを読み上げるまでもなく、ファルシードは言い放ってくる。
確かに金欠状態でトランプはないよね――と、リディアは苦笑いをして、次の段へと視線を送った。
「次のは、トレーニングのための重り」
「飼育小屋にある飼料で十分、次!」
「その次は、ええとね……たまには宴会で高級なお酒が飲みたい」
「んなもん、文句言うなら自分で買え!」
苛々とした口調で、ファルシードは次から次へと却下の判断を下している。
要望を次から次へと鋭く切っていくため、自分が出したものでもないのに、リディアはたじたじとしてしまった。
――バド君がファルを怖がるのはきっと、こういうところからなんだろうなぁ。最初のトランプ、きっとバド君の要望だろうから。
娯楽関係のものを全て却下していくファルシードに苦笑すると、睨まれている気がして、リディアは慌てて表情を繕い、背筋を伸ばした。
購入必要物品を確認した後、リディアはファルシードに教わりながら、はじめて数字を書いた。
彼がお手本で書いた字はプルプルと震えていて、お世辞にもきれいな字だとはいえないし、手本にするのに適切なものでもなかった。
だが、それも仕方のないことなのかもしれない。
抱きつくようにしてペンを持ち、紙の上を歩きながら書いていたのだから。
おかげで、リディアが覚えた数字はすべて、ミミズが這ったような歪なものになってしまった。
――ファルは、見えないところで頑張ってたんだなぁ。ソファで本を読んで、寝てばっかりだと思ってた。
ちらと視線を送ると、数字を書くのに疲れたのか、ファルシードは机の上に座り込んでぐったりとしている。
「字、よくわかんなくてごめんね」
そっと手を伸ばし、人差し指で頭を撫でていく。
粘土だからか、ひんやりと冷たくて、かたい感触がする、とリディアは思った。
しばしの間ファルシードは座ったまま固まっていたが、すぐに我に返ったのか「やめろ」と手で振り払われてしまった。
どうやらリディアのこの行動は、彼の気に障ってしまったらしい。
――怒られちゃった。
しょんぼりと、視線を落としているリディアに下から呆れたような声が聞こえてくる。
「……最後に倉庫の積み荷の確認に行くぞ」
「積み荷?」
「お前がいなきゃ出来ねェんだ。悪いが、頼む」
ファルシードは、口を曲げながらそう話してくる。
粘土で表情が乏しいからか、それとも元々のものなのか、リディアには彼がいまどんな感情でいるのか、さっぱりわからない。
それでも、いつものように突き放されないことが何よりも嬉しいと、そう思った。
「うん! 倉庫だね、行こう!」
明るい声で返事をし、ファルシードを掬い上げてまた肩へと乗せていく。
わずかに感じる粘土の重みがくすぐったくて、リディアは人知れず微笑んだのだった。