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夢世  作者: 花 圭介
90/119

夢世90

 それは目を覆いたくなるほど悍ましい光景だった、と皆がネット上で伝えている。

 これをきっかけに、『バベルの塔』攻略を諦めたパーティーも少なくないと言われるほどだ。

 幼い娘が見つめる中、両親が次々と醜いモンスターに咀嚼され、飲み込まれていく様は、悍しいという言葉でも言い尽くせない。

 その光景を目の前で目撃した娘の心中は、如何許りであるだろう……。

 その胸中を理解しようと試みたところで、理解できる者などいようはずがない。

 もしも仮に、そんな者がいたとするならば、その者はきっと、粉々に砕け散った心を修復するため、今も治療の真最中であるはずだ。

 多くのパーティーが脱落していく中、それでも頂上を目指す者達は、その後、抜け殻と化した少女に胸を痛めながらも、彼女を上階へと導き続ける……。

 いっそこのまま、両親を失ったこの階で、その身が朽ちるまで放って置いた方が、彼女の望みを叶えることとなるとしても、心がそれを許さないのだ。

 そこにあるのは理屈ではなく、ただただ消え入りそうな命の蕾を、そのままにはしておけない、摘み取ってはならないという使命感に近い感情が、その身を満たすからだ。

 そして、そのパーティーの面々は、雪解けの季節に、薄氷の上を歩むが如く、細心の注意を少女へ払いながら先へと進み、このシナリオを受け入れなければならなかった己に対して、憤りを宿したまま頂上階に達することになる……。

 頂上階では、ネルガルと名乗る神が、こちら側の複雑な心情を知ってか知らでか、温和な微笑みを湛えて待ち受けている。

 ネルガルは言う。

「心を閉ざしてしまった娘よ。もしも汝が父、母の『命』を望むならば、この場に呼び戻してやれないこともない……」

 穏やかで、心まで響くその声音は、深潭にまで深く沈んでいた少女の心を救い上げ、意識を目覚めさせる。

「……ほ……本当? ……本当に……お父さんとお母さんは生き返るの?」

 とめどもなく溢れ出る涙を拭うことも忘れて、少女はヨロヨロと神ネルガルの元まで歩み寄ると、すがり付く。

「汝の行い次第で、それは果たされるであろう……」

 少女から紡がれた問いに、満足そうに頷くと、ネルガルは静かに答える。

「わ、私は何をすればいいの? 何でもします! 神様!」

 少女はその場に平伏すと、ネルガルに懇願する。

「いかなる時も我ら神々を信じ、愛し、祈り続ける。……それだけで良い」

 ネルガルはそう答えると、その顔にまた笑みを湛えた。

 慈愛に満ちた笑顔と評されるのが常である表情なのだろうが、この時ばかりは、皆それを『不快な笑顔』と評している。

「分かりました。信じて……愛して、それから祈り続けます! なのでどうか、お父さんとお母さんを生き返らせて下さい!」

 少女が叫ぶように訴える。

「汝の願い、覚悟を受け入れよう……」

 そう言うと、ネルガルは目を閉じ、詠唱を始める。

 すると詠唱に応じて、黄色い光の粒が、ネルガルの前に集約し始めた。

 集まる光の粒は、少しずつ形造る物の輪郭を露わにしていく……。

 それは、人の足先から順に上方へと展開し、やがて2体の人の形を形成した。

 全身を覆う柔らかな光を纏ったまま、その2体は、少女やプレイヤー達の熱視線を浴び、静かに空中を浮遊し続けている……。

 その容貌は、確かに階下で出会った少女の両親に違いなかった。

 だが、何かが足りない。

 そう、彼等には、生命の息吹が感じられないのだ。

 目は頑ななまでに閉じられ、足先から頭の天辺まで微動だにしない。

 生命活動が行なわれていたなら上下するはずの胸の辺りも、ピクリとも動かない。

 自身の両親が目の前で形作られていく様に、瞳を輝かせていた少女から、歓びの光が陰っていく……。

「これは……」

 少女の口から掠れた声が漏れる。

「人は元来、約束を守らぬ生き物だ。まずは我の元で、その言に偽りがないことを証明するのだ。汝の心に偽りがないことが知れた時、願いは成就されるであろう。……娘よ、分かるな?」

 ネルガルは柔和な表情をわずかに引き締め、語り掛ける。

「……はい」

 少女は、両親との再会がすぐには果たされないことを理解すると、傍目からでも感じ取れるほどの落胆の表情を表したが、自分に他に選択肢がないことを悟ると力なく頷いた。

「娘よ、気を落とす事は無い。与えられた役目を果たし続けさえすれば、汝の願いは聞き届けられることが確約されているのだ。望む事すら叶わぬ先ほどまでとは異なる」

 ネルガルは、少女の見せた反応に、少々困惑の色を浮かべた後、その表情を先ほどと同様の型にはまった笑みに塗り替えた。

 少女は、ネルガルから掛けられた言葉を頭の中で反芻すると、1つ頷いてから顔を上げた。

「ネルガル様、ありがとうございます! 一生懸命頑張って、信じてもらって、お父さんとお母さんを生き返らせます!」

 その目には、幼い少女とは思えぬほど、現状を享受し、前を見据える力強い光が宿っていた。

「供の者達、ご苦労であった。よくぞここまで心を失った娘を支え導いた。その功を讃え、娘の心の拠り所である命の回帰を約束しよう。そのときが来るまで幾ばくかの時を必要とするであろうが、それは娘の行い次第……。汝らも、そのときが訪れる事を、我ら神々に祈るが良いだろう。神は常に皆を遥か彼方、空の頂きから見守っている。それを忘れるでない。……さて、其方たちには奥の間に褒美を用意してある。ありがたく受け取るがよい。汝らの役目は、これで終わりだ。上階への道は開いてある、行くがよい」

 人間では成し得ぬ力を見せつけ、神と呼ぶに相応しく威厳に満ちたその有り様に、近づく事すら恐れ多いと崇めたくなる場面であるはずなのだが……。このときに湧き上がった感情は、ほとんどの者が、神という立場を笠に着て、尊大な態度で応じる癪に触る独裁者、といった印象だったようだ。

 だが、カリンの願いを妨げるような行いはできようはずもなく、皆、渋々言われるがまま、その場を離れるしかなかったと綴っている。

 これが、この3層で展開される物語のおおよその流れだ。

 絶望に沈む少女の叶わぬと思われていた願いを聞き届け、救いの手を差し伸べる。

 神とは人を超越した存在、そんな崇拝すべき相手であることを、改めてすり込むような内容だ。

 あからさま過ぎて、この物語が本当にそれを意図して作られたものなのかさえ、多くのプレイヤーから反感を買っている今では、疑わしく感じる……。

 それは別として、俺達が先人達がやり切れない想いを抱えながらも綴ってくれた、この物語のシナリオを、改編の糧として利用することこそ、彼等にとっての本懐であるだろう。




「タケさん! 『赤の階段』見つけました! そっちは、どうなりましたか?」

 一輝の弾んだ声が、テレフォンから流れ出る。

「ああ、お前の予想通り、こっちにもまた現れたよ」

 ぼんやりと青い光を纏う艶やかな手摺りに手を預け、一歩一歩階段を上りながら答える。

「成功ですね! それじゃあ、先に上階に上がって待っててください!」

「ちょうど今、上がっているところだ。もうすぐ、上階に出るよ」

「了解です。じゃあ、こちらも上がっていきます!」

「分かった。上で会おう」

 俺は、あと数段で上階へ出るというところでテレフォンを切った。

 出た先は、バスケットコートがすっぽり入るほどの大きさで、丁度ハーフラインが引ける辺りで、透明な壁で仕切られているのが、光の屈折により見て取れた。

 俺は、その壁とは反対方向へ離れるように移動し、ぽっかりと空いたどこへ通じているのかわからないほら穴の脇に身を隠した。

 そこから仕切られた透明な壁向こうに目をやると、赤い光を放つ階段の手摺りが見える……。

 漠然と眺めていると、その手摺りに沿うように、数人の手指が流れ出て、同時に見慣れた顔が現れだした。

 そこに現れたのは、5人と1匹。

 つい先刻まで、共に歩みを進めていた仲間たちの顔ぶれだ。

 その中に1人だけ、虚空を見つめたまま、不格好な形で背負われている男がいたが、俺はそれを目の端でとらえるだけに留めた。

 5人と1匹の姿を確認した直後、俺が上がってきた階段を、2人の男女が慌てて駆け上ってきた。

 切迫した状況下にあるのか、2人の顔には余裕がない……。

 あっちこっちと挙動不審に動き回りながら、忙しなく顔を巡らせている。

「あっ! お父さんとお母さんだ!」

 そこへ小鳥の囀りのような可愛らしい声が、壁向こうから透き通る。

「……カリン!」

 その声を聞き逃さず、2人は透明な壁越しにカリンを見つけると、一直線に駆け寄って行った。

「ブォォォーン!」

 その直後、俺が隠れていたすぐ脇のほら穴から、地鳴りのように響く唸り声をあげながら、その巨躯を引きずる怪物が現れた。

「……あれ何? ねえ、あれっ! どうしよう! やだっ! 助けて! 助けてよ! みんな!」

 醜い怪物が、じりじりと両親との距離を詰めて行く光景に、カリンの顔が見る見る青ざめていく……。

 だがそこで、カリンへと発せられた一輝の言葉は、次のものだった。

「心配ないよ。すぐ終わるから……」

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