夢世7
……俺は今、自分の左手に握られている巻物をぼんやりと眺めている。
『妄想画報』という怪しげな店で、自ら選んだ代物だ。
だが、自分がこの巻物を持っている現状に、正直戸惑っている。
数多くあったアイテムの中で、なぜこんな物を選んでしまったのか、自分自身にも分からない。
当時の心持ちとしては、これを選びたいと思ったわけではなく、ただこの巻物に恋われているように感じたため、目が離せなくなり『思わず手にとってしまった』という表現が近い。つまり、好んでこれを選んだわけではないのだ。それゆえ俺は今、その巻物を握ったまま途方に暮れている……。
このままこの巻物を開いてしまって良いのだろうか? 別の有用なアイテムと交換した方が良いのではなかろうか?
レアなアイテムに限って、わけのわからない制約が付与され、使えないアイテムになり下がっていたりするものだ。この巻物というアイテムは、まさにそういった性質を付与しやすいだろう。
例えば剣や鎧ならば、見た目がその効力をある程度具現化してくれている。剣は攻撃力に影響するのは間違いないし、鎧は防御力に影響を与えるだろう。さらに言えば炎をモチーフにした装飾があしらわれていれば、炎系の効果が付与されている可能性は高い。
しかし巻物は、その外観から効力を見当づけることは難しい。どの巻物も見た目はただ『紙の束』に過ぎない。表書きに『火遁の術』などとはっきりと効力のわかるものが書かれていたなら問題ないが、『五輪書』のように兵法をつらつらと書かれている場合もある。有難い教えなのだろうが、俺としてはすぐに効果を実感出来る物が欲しい。
そしてこの巻物に書かれている表書きは『忍術』。『五輪書』と同様のパターンもあり得る。
「……」
俺は巻物を括る紐に手をかけた。ためらいはある。だが、この巻物に恋われた意味はあるのだと信じたい。そう思った。
……それに交換してもらうためには、またあのやる気のない老人を探さなければならない。
巻物を結った紐を解き、広げてみる。
「げっ……」
意を決して広げた巻物は、何も書かれていない卵色の紙をただ伸ばしていくだけだった。透かして見ても、擦ってみても何も変わらない。炙ったり水に浸したりも考えたが現状ではそれを行う術がない。
悔恨の思いが胸を満たす中、諦めて巻き直すと『忍術』と書かれた表紙の丁度反対側に注意書きがあった。
そこには『習得したい忍術を念じろ』とだけ記されていた。
あまりにも内容が抽象的過ぎて、どうすれば良いのかはっきり分からなかったが、巻物をその場にもう一度広げ、念じてみた。
カッカッカッ……。
本通り側から人々が鳴らす足音が聞こえてくる。
俺は慌てて誰もこちらを覗いていないことを確かめ、また路地に隠れた。
小学生の頃、給食の時間に机の下に隠しながら、スプーン曲げを真剣にやっていた時の感覚に似ている。
取り敢えず、真っ先に思い浮かんだ『分身の術』を念じてみた。
目を閉じ、頭の中で自分が2つに分かれていく様子を思い描く。念じつつも時折薄目を開けて巻物を覗き見る。すると、卵色の紙の上にじわじわと文字と絵が浮かび上がってきた。
文字は『分身の術』と黒い筆文字で浮かび上がり、その隣に忍者が2人に別れていく様が同じく描かれる。
水墨画さながらのクオリティに満足し、暫く眺めていたが、その効果を発揮させるにはどうすれば良いのだろうという思いが頭を過ぎると、まるでその思いを感じ取ったかのように絵の隣に、今度は赤い筆文字で『印を3つ結べ』という言葉が浮かび上がった。
『印』と言う文字を見た瞬間、俺の頭の中では7、8才の頃、夢中で繰り返し見た映画の記憶が鮮明に蘇っていた。
それは当時挙ってCGや3Dを活用した映画が作られる中、それら技術を一切使わずに俳優のアクションセンスと美術スタッフの腕で勝負した作品だった。
内容はただ単純に、選ばれし忍者達が凶悪な妖怪を駆逐するというものだったが、その忍者達が結ぶ印の速さとキレの良さに心が震えたものだった。
俺はその時覚えた10の印のうち、3番目迄を順に結んだ。
すると、目の前に鏡が置かれたように、自分と瓜二つの人間が瞬時に現れた。
……それは今まで見てきた平面の自分ではなく、命を感じられるほど存在感があり、細部まで『人』であったため、恐怖を覚え鳥肌が立った。
ありがちだが、いつか自我を持ち、俺の意に反して動き、俺を装い、俺を排除しようと目論むのではないかと警戒したりもした。
だが結局その分身は、俺の動きをひたすら忠実に真似し続け、命令に反くことはなかった。動きとしては、鏡のように左右反転して動くのではなく、俺が右手を挙げれば同様に右手を挙げ、左足を踏み出せば左足を踏み出した。
『巻物』の開封を躊躇っていたとは思えないほどに、のめり込んでしまっている自分を鼻で笑いつつも、様々な動きを試していく。
実際のところこの世界で何に役立つのかは疑問だが、本物の忍者になれたようで胸が高鳴った。
その後も夢中で分身を動かし続けた結果、その反応速度は当初とは比べものにならないくらい速くなり、最終的には寸分の狂いもなく俺の動きを模写し、シンクロするまでに至った。
その頃には俺の意識も変化し、分身を操っているというより自分自身を運動させているような感覚となっていた。
『このまま分身に乗り移れるのでは』との思いが、脳裏をかすめたその瞬間、俺の五感は既に分身体へと移行していた。
分身体に不具合はなく、全ての感覚はそのままにそこに存在していた。
本体はというと真っ直ぐ俺を見つめた状態でフリーズしている。
分身体の俺が手足を動かしても本体はマネキンのように固まったまま反応しないところを見ると、本体と分身体の区別はあるようだ。
もっともっと『分身の術』を堪能していたかったが、嘲るように例の暗闇が俺の視界を侵食してきた。
そのタイミングに苛立ちを覚えたが、今回は目覚めるまで静かに闇を受け入れた。