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夢世  作者: 花 圭介
42/119

夢世42

「ただいまー! 遅くなってごめーん!」

 元気な声とは裏腹に、楓さんが体を縮こませ、キョロキョロと挙動不審な動きで、玄関先から部屋の中へと入ってきた。どうやら優たちの様子を探っているらしい。

 時刻は、午後8時を指している。

「帰りにスーパーで美味しそうなみかん買ったから、一緒に食べない? ……ほら! 美味しそうでしょ?」

 楓さんは、買ってきたみかんの袋をコタツの上に置くと、中身を取り出し、優と恵に見せた。

 確かに、鮮やかなオレンジ色に輝くみかんは、とても美味しそうに見える。

 恵は無言で楓さんに駆け寄ると、しがみついたまま固まった。

「……ごめんね、恵。怒ってる……よね」

 楓さんは恵の頭を撫でながら謝る。

「……お帰り、楓さん。大丈夫ですよ。恵は怒ってなんかいませんから……。それより今、御飯の支度するので休んでて下さい」

 優は、ロボットさながら抑揚の無いトーンで話をする。

「……そう。あなた達はもう御飯食べたの?」

 楓さんは、優の態度にちょっと違和感を抱いているようだった。だが、コアラのようにくっついて離れなくなった恵を気遣いながら、コタツに足を潜り込ませると、気を取り直して話を続けた。

「大丈夫です。僕らはもう食べましたから……。ところで、明日もお仕事ですか?」

 優は先ほどと変わらないトーンで会話を進めながら、食事の支度を始める。

「……えっと、あのね……。どうしても明日も仕事に出てくれないかって、社員の人から頼まれちゃって……」

 楓さんは恵の頭を撫でながら、優を上目遣いに恐る恐る見やる。

「……そうですか、分かりました」

 優は手を動かしながら、素っ気なく答える。

「実はね、その社員さんがね、私を正社員として雇ってくれるように、上司にお願いしてみるって言ってくれてるの」

 楓さんは、少しでも優と恵の心を高揚させられるようにと気遣い、その話を持ち出したらしい……。

「正社員ですか? ……楓さん、なりたいんですか?」

 優は一瞬動きを止めたが、そのまま食事の支度を続けた。

「……そうね、やっぱりその方が収入も良いし……」

 楓さんは、今までにない優の振る舞いを気にしながらもそう答えた。

 恵はまだ楓さんにしがみついたまま、顔を上げない。

「……絵は、どうするんですか?」

 優は、もやしたっぷりの野菜炒めとお味噌汁、そして卵焼きを手際よく作り上げると、それを配膳しながら尋ねた。

「んー、社員になったら覚える事も多くなるだろうし、時間的な余裕も少なくなるだろうからねー。絵は休みの日にでも、空いた時間を使って、ちょこちょこやるよ」

 楓さんは自分を納得させるように1度頷いてから、優に笑いかける。

「……そうですか。……ほら! 恵! 離れないと、楓さんが食事できないだろ!」

 優が珍しく恵に怒鳴った。

「良いよ、優。大丈夫、このままでも食べれるよ。でも、恵どうしたの? そんなに寂しかった?」

 楓さんは恵の顔を覗こうとするが、恵は楓さんの左腕のあたりに顔を埋めたまま、一言も喋らない。

 楓さんは恵を気にしながらも、優が作ってくれた料理が冷めないうちにと箸を取り、食事を始めた。

 恵はその後、楓さんの食事が半分程度進んでから、ようやく手を離したが、それでも、常に影のように楓さんに寄り添っていた。


 そして夕飯を終え、寝る時には、恵は自分の布団を跳ね除け、楓さんの布団へと潜り込んだ。

「恵! 楓さんは明日も朝早くから仕事なんだから! ゆっくり寝かせてあげないとダメじゃないか!」

 優は苛立ちを抑えきれずに、またも強い口調で恵を注意する。

 優の言動、恵の行動、共に普段とはだいぶ違う。

「大丈夫よ、今日は随分寂しい思いをさせちゃったみたいだから……。おいで、恵。……優もくる?」

 楓さんは、優と恵の態度が、今日はおかしいと感じているようだが、どう対処して良いのか分からない様子だった。

「え? ……僕はいいですよ! それじゃ、お休みなさい!」

 優は、一瞬でも迷ってしまった自分が恥ずかしかったのか、直ぐに楓さんに背を向けて眠りについた。


✳︎✳︎✳︎


翌朝、優は楓さんが仕事へと向かったのを確認すると、恵を揺すり起こした。

「ほら! 準備するぞ!」

「本当に……出て行かなきゃ……ダメ?」

 恵は既に起きていたらしく、目に涙をいっぱいに溜めて、優を見つめる。

「昨日ちゃんと話をしただろ。僕らが居たんじゃ、楓さんは幸せになれない。苦しい思いをするだけなんだ。恵は、楓さんに辛い思いをさせたいのか?」

 優は動じず、恵の目を見つめ返す。

「そんなのイヤ!」

 恵は何度も首を横に振る。

「それじゃ、早く家を出る準備をするんだ。僕は楓さんに手紙を書くから」

「手紙?」

 恵が涙を袖で拭いながら尋ねる。

「そうさ。おじさんが僕らの面倒を見てくれるようになったから、安心して下さいってね」

「おじさん?」

「……いいんだよ、いないけど……そう書けば、楓さんも安心できるから」

 そう言うと、恵に家を出る準備を急かした。

 恵の準備は、気持ちが伴わないためか、なかなか進まない……。

「ほら! 早くしないと、遠くまで行けないだろ!」

「遠くって、どこ?」

 恵の目にまた涙が溢れ出す。

「……遠くは、遠くだよ。……まだ決めてない」

 優が恵から目をそらす。

「……ウサギちゃん、連れて行ってもいい?」

 恵は、楓さんに買ってもらったウサギの人形を大事そうに抱えている。

「……もう、分かったよ。その人形だけだぞ」

 優は恵の哀願に負け、頭を掻きながらそれを許した。

 支度を始めてから、だいぶ時間はかかってしまったが、何とか準備が整うと、2人は玄関で同時に振り返り、部屋を見渡した。

 楓さんと過ごした日々が、胸に蘇ってきたのか、2人はそこで暫く立ち止まる。

 また肩を震わせ始めた恵に気付いた優は、その肩を抱き寄せてから、誰もいない部屋に向かってこう叫んだ。

「楓さん! とてもとても楽しかったです! 今迄ありがとう! 幸せになって下さい!」

「か……楓さん! ……大好き!」

 恵もほとんど声にならないが、負けじと精一杯叫んだ。

 2人は決心して家を出る……。

 錆び付いた扉の閉まる音が、二人の心情を代弁するように、甲高く鳴り響いた……。

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