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夢世  作者: 花 圭介
38/120

夢世38

「お母さん、具合はどう?」

 優と恵が、いつものように病室の1番奥にある母親のベッドに向かうと、仕切られたカーテンを開けながら声を掛けた。

 するとそこには、ベッドの上で上体を起こして話し込む母親と、その脇に立つ同世代の女性の姿があった。

 見知らぬその女性は、茶髪のショートヘアで、背は母親より少し低そうだ。

「お! きみが優君で、そっちが恵ちゃんか、よろしくー」

 その女性は、太陽のように眩しい笑顔で、優と恵に挨拶をした。

「……」

 優と恵は、自分達を取り巻く現在の環境から、すぐに他人を受け入れる気になれず、挨拶を躊躇した。

「優! 恵! 挨拶はどうしたの?」

 優と恵の母親が、今まで見せてきた人品から想像出来ないほどの強い口調で、2人を叱った。

「こ、こんにちは」

 優と恵は、母親に怒られたのが久しぶりのようで、びっくりしながら挨拶を返した。

「栞、良いのよ。急に知らないおばさんが現れたら、誰だって警戒するわよ。ねー」

 そう言うと、その女性はニッコリと微笑みながら、優と恵の頭を両手でワシャワシャと撫でた。

「私の名前は小畑おばた かえで。貴方達のお母さんとは、中学からの付き合いよ。もう何年になるのかしら……。まあ、そんなことどうでも良いけど、最近連絡取れなかったから、調べて来ちゃったの」

 楓と名乗る女性が、栞さんを睨む。

「だから何度もごめんって言ってるじゃない! ね! ね!」

 栞さんは苦笑いしながら、何度も手の平を合わせ謝る。謝りながらもその表情には、喜びの色が窺える。きっと、旧友に会えて元気をもらえたのだろう。

 恵の顔を見ると、母親の喜びが感じ取れたようで、自然と笑顔となっていた。

「ん? 2人とも良い笑顔、できるじゃない! 人間、笑った方が得だよ」

 楓さんはまた弾けるような笑顔で、2人を見つめた。

 それを見た栞さんも目を細める。

 楓さんを中心に、柔らかな光が広がり、再び春が舞い降りて来たかのようだった。

 4人は、栞さんと楓さんの学生時代の思い出話で盛り上がり、束の間の安息に身を委ねた。

 母の旧友によりもたらされた幸せな時間が、心を暖め、縮こまっていた好奇心を解放する。

 優と恵は、母親と楓さんの次の話を待ちきれず、知らず知らずのうちに前のめりの体勢となっていた。

「優! その怪我、どうしたの?」

 前のめりとなったことにより、露わになった優の胸元を見て、栞の顔が一瞬にして強張る。

「ああ……これ? ……学校で友達と鬼ごっこをして遊んでたら、他の子とぶつかっちゃったんだ。……参っちゃったよ、ぶつかった子、僕より小さな女の子でさ。すごく泣いちゃって……。保健室まで連れて行ったんだけど、おでこがちょっと赤くなってるだけなのに、なかなか泣き止んでくれなくて……」

 優は慌てて胸元を隠し、その場を取り繕うように、大げさに身振り手振りを加えて、ベラベラと話し出した。

「……そう。優も、その子の怪我も、たいしたことないのね?」

 栞さんが心配そうに尋ねる。

「うん! 全然大丈夫。その子、泣き止んでからは怪我のことなんか忘れて、元気いっぱいお喋りしてから、教室に戻って行ったから……」

 優は、ため息混じりに答えた。

「元気に外で遊ぶのは良いけど、ちゃんと周りを見ながら遊ぶのよ」

 栞さんがワザと厳しい目付きで優を見る。

「うん! 分かった、気をつけるよ。……それより、さっきのお母さん達の話の続きを聞かせてよ、お願い!」

 優は楽しい時間を早く取り戻そうと、話を急かす。

「もう、優ったら……」

 栞さんが困った顔で呟く。

「良いじゃない、減るもんでもないしさ。恵ちゃんも、まだ聞きたいよね」

 そう言うと楓さんは、恵の鼻先を人差し指でちょんと触れた。

「うん!」

 恵は大きく頷く。

「もう、仕方ないわね」

 栞さんの表情は、言葉とは裏腹ににこやかな笑みを湛えていた……。


✳︎✳︎✳︎


 楽しい時が過ぎ、楓さんを含む3人が病室を後にすると、外にはもう、燃えるような赤い夕焼けが、迫ってきていた。

 優と恵の足取りは重く、顔もさっきまでとはまるで別人のように生気が感じられない。

 優達に歩調を合わせ歩いていた楓さんが、そんな2人を見て、声を掛けた。

「貴方達の家って、こっちなの?」

「……僕達の家は、こっちにはありません」

 優が下を向いたまま答える。

「……じゃあ、今どこに向かっているの?」

 楓さんが訝しげに聞く。

「今は、おばさんの家に向かっています」

 相変わらず、優は下を向いたままだ。

「……行きたくないの?」

「……」

「優君、君が隠した胸の傷……。本当はどうやってできたの?」

「……」

「女の子の方はおでこが赤くなった程度なのに、優君の胸は青アザになってる。しかもそれが、いくつもあるよね」

「……」

「栞は、ちょっと間が抜けてるところがあるし、すぐ人の言うこと信じちゃうとこあるから、あの言い訳で隠せるかもしれないけど……」

「お母さんには内緒にして下さい! お願いします!」

 優は楓さんの顔を見上げると、必死でお願いした。

「……内緒にして欲しかったら、その胸の傷ができた本当の理由を教えて」

 楓さんは、優の正面に回り込み、優の瞳をじっと見つめ続けた。その表情には理由を聞くまで絶対に優を逃さない、という強い意思が感じられた。

「……この怪我は」

 優は話した。毎日のように伯母から折檻を受けていること。自分達の家があっても保護者が居なければ、そこから学校へ通えないこと。母が伯母に養育費としてお金を渡しているが、食事も満足に与えられていないことなど……。

「やっぱりね! だと思った!」

 楓さんは怒りを吹き飛ばそうとしたのか、誰に向けてでもなく、その場で大きな声で叫んだ。

 その声は、優達だけでなく、他の通行人も足を止めるほど、大きな声だった。

 優と恵もその行動に驚いて、ポカンと楓さんを見つめる。

「あ! ごめんね。急に大きな声、出しちゃって……」

 楓さんは2人の視線に気付くと、恥ずかしそうに謝った。

 そして、優と恵にこう切り出した。

「優君、恵ちゃん、栞が元気になるまで、私が貴方達の保護者になっても良いかな?」

 楓さんのその表情には、決して冗談ではない、決意の気持ちが表れていた。

 思いもよらない申し出に、優と恵は顔を見合わせる。

「本当に……良いんですか?」

 優と恵は、何の得にもならない、いやむしろ面倒なことなのに、楓さんがわざわざ自分達の保護者になるなんて、どうしても信じられなかった。

「もちろん! ……ただ、さっきも話した通り、私は昔からずぼらで……未だに売れない貧乏絵描きやってるから、逆に苦労かけるかも知れないけど……。そこは大目に見てね」

 楓さんは申し訳なさそうに顔を赤らめる。

「大丈夫です! 炊事、洗濯、掃除、僕らはひと通りできますから! 楓さんの身の回りのお世話ぐらい問題ないです!」

 優と恵が、鼻息を荒くしながら答える。

「ああ、ありがと。……なんかちょっと、この感じ……腑に落ちないけど。まあ、これからよろしく」

 楓さんは、何とも言えない表情のまま挨拶した。

 俺と花純さんは、堪えきれず、声をあげて笑った。

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