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夢世  作者: 花 圭介
33/119

夢世33

「イテッ!」

右の肩口に突然痛みが走り、俺は反射的にその原因を睨み付けてしまった。

「す、すいません! すいません!」

若草色のローブを纏った赤毛の少女が、何度も頭を下げている。手には彼女に不釣り合いなほど、大きなロッドが握られていた。どうやらこのロッドが俺の肩に当たったらしい。

「いや、こちらこそすいません。ちょっと考え事をしてしまって……。店の入口前に立っていたら邪魔ですよね」

 俺は店の入口をあけるため、体を横へスライドさせる。

「……すいません」

 最後まで『すいません』を連呼し続けて、彼女は店の中へと入って行った。

 痛みのお陰で我に返った俺は、この店に来た目的を思い出し、3階層を目指すことにした。


***


「貴方は現在、3階層まで立ち入る資格を有しております。3階層は『バトルエリア』。様々な形式で戦いを楽しむことが出来るエリアです。どちらへ向かわれますか?」

 イリスの丸みのある優しい声が響く。

「3階層へお願いします」

 ようやく俺は、イリスと対峙してはじめて、普通に返答することができた。

「畏まりました。では3階層へと参ります。少々お待ち下さい」

 イリスが丁寧にお辞儀をする。


 室内がシーンと静まり返っている……。

 今までこの空間で感じなかった待ち時間を、初めて意識する。

 きっと運営は、この待ち時間などは、省くことも可能なはずだ。ただ、こういったイベントは、待ち時間を設けることで、プレイヤーの期待感や高揚感を昂らせることができる。これもゲームの醍醐味と言えるだろう。まあただ単に、イリスと2人きりになった緊張感が、時間を長く感じさせているのかもしれないが……。

「……えーっと、いつもこの部屋にいるんですか?」

 俺は沈黙に耐えきれず、小さな咳払いを1つしてからイリスに声を掛けた。

「いいえ、そういうわけではありません。普段は自由にいろいろな場所に出かけています。呼び出しがあると、ここに転移してくるのです」

 イリスは微笑みを絶やさず、穏やかに答えてくれる。

「イリスさんは、テレポートができるということですか?」

 俺は、そのイリスの穏やかな微笑みに促されるように、質問を続けた。

「そうですね。テレポートできる場所は限られていますが、私にはその権限が与えられています」

「いいですねー。俺もテレポートしてみたいです。……でもいつ呼び出されるか分からないから大変ですね」

「……えっと、このエレベーターもイベントの1つであることは間違いないのですが、1度でも体験されたなら、プレイヤーさんの意志で、スキップすることも可能です。ほとんどの方がそうされているので、そう頻繁に呼び出されることはないんですよ。……ご存知なかったですか?」

 イリスは俺が毎回1、2階の移動で、イベントをスキップしない理由に合点がいったようだ。

 言われてみれば、以前サポートソフトからそんなことを言われた気もする……。

「……それに私以外にも、何人も同じ役割を担っているスタッフがいます。ですから、私が対応できないときは、別の者が代わりに対応してくれるんです。……もしかして、私以外のスタッフに出会ったことがないのですか?」

 イリスは目をまん丸にして驚いている。

「えっ! イリスさん以外の方もいらっしゃるのですか? 俺はてっきりイリスさんが、全て対応されているのかと思ってました」

「フフフッ、それはさすがに無理ですね。それでは休む時間もありません」

 イリスは口元に手を当て上品に笑った。少し場の空気が和んだようだった。

「3階層に到着いたしました。有意義な時が刻めるよう心からお祈りしております……またお会いできるときを楽しみにしています」

 イリスはそういうと艶やかな唇を薄く伸ばし、顔を綻ばせた。

「俺も楽しみにしています。……それでは、行ってきます」

 俺はイリスに手を振り、3階層へと足を踏み出した。途端、四方から大気が震えるほどの歓声が、俺の全身を圧迫した。

 踏み出した先は、野球のドーム球場に似た大きなホールだった。

 四隅の上方には、幅が100メートルはありそうな巨大なオーロラビジョンが設置され、その下方にも複数台の大きなモニターが並んでいた。

 人々はオーロラビジョンをはじめ、それぞれのモニターを囲むように陣取り、力いっぱい声援を送っている。

 俺は、4つのオーロラビジョンのうち、右手上方に注目した。

 どうやら『荒廃した街フィールド』というマップで、3対3のチーム戦が行われているらしい。

様々なマップに対応しながら、3人が力を合わせ相手チームに挑んでいく……。とても懐かしく、胸が熱くなるシチュエーションだ。

「塔矢はバトルゲームやるかな……あいつがやれれば、一輝を誘って、3人でバトルできるなぁ」

 俺は無意識に呟いていた。


 すると今度は、左側のオーロラビジョンを見ていた観客から、一斉に耳をつんざく程の歓声が上がった。

 目をやると、こちらは5人1組で、次々と現れるモンスターを退治していくバトルのようだ。

 先程の歓声は、ボスキャラ退治に成功したために、沸き上がったものらしい。

「5人だと……美希ちゃんや洋輝にも出てもらわないといけないか……」と、俺は実現味のなさそうな呟きまで漏らしていた。


「やった! ユウが勝った!」

 後方から鈴の音のように軽やかな歓喜の声が、響き渡った。

 振り返ると、そこには洋輝とそう変わらない小さな女の子が、うれしそうに飛び跳ねていた。

 屈託のない笑顔と共に、喜びを体いっぱいに表現しているその姿は、妖精そのものだった。

 その笑顔を見ると、こちらまで自然と微笑んでしまいそう……。だったのだが、彼女の頭上に写し出された映像は、とても微笑んでいられるほど、穏やかなものではなかった。

 血みどろになった少年が、最後の敵であったであろう相手の上に跨り、その生首を誇らしげに掲げていたのだ。

 喜びを爆発させる少女とは対照的に、他の誰もが言葉を失い、寸秒彫刻のように固まった。

 その後、時が重たげに流れ出すと、悲鳴とどよめきが堰を切ったように交差した。

 だが次の瞬間には、死体は跡形もなく消え去り、支えを失った少年は地面に尻餅をついていた。

 少年は痛みに顔をしかめたが、今まであった勝利の証がなくなっていることに気づくと、不思議そうにその軽くなった左手をじっと見つめ続けた。

「只今『Dead or Alive』の優勝者が決まりました。……本来ですと優勝者には、100万ドリームコインが与えられます。……ですが今回、勝敗が決しているにも関わらず、敗者に対し、残虐な行為が加えられたため、運営管理室で協議が行われております。想定外の出来事ですので、どの様な結論に至るのかはまだ分かりませんが、皆様には結論がつき次第、追ってご連絡致します。不安を感じた方もいらっしゃると存じますので申し上げますが、先ほど被害に遭われた方の意識は、勝敗がついた段階でこちらの肉体にはございません。ですので、その後加えられた行為については、感じることはありません。だからと言って、先程の様な目を覆いたくなる行為を容認するわけではありませんので、ご安心ください。早急に対応策を練り、皆様にご報告致します」

 バージョンアップ時に流れたアナウンスと同様の女性の声で、直接脳内に説明がなされた。

「え? どういうこと? コインもらえないってこと? ユウ、勝ったんでしょ?」

 女の子は理解ができないようだ。


 周囲にいたプレイヤー達は、あの惨劇を目の当たりにしてもなお、平然としている彼女の反応に、恐怖心を抱き、誰も近づこうとはしない。

 正直、あの子には悪いが、俺も半分似た感情に支配されてしまった。

 緑黄樹の葉を朝日に透かし見たときのような明るい緑色の髪、シマトネリコの枝のように細くすらりと伸びた手足、儚げな美しさが宿った妖精と呼ぶにふさわしい容姿だが、心のどこかにきっと穴が開いている……。

 そんなことを思いながら、俺は彼女に見入っていた。

 見入っていたにもかかわらず、彼女の瞳も、いつの間にか俺を捉えていることに気付かなかった。その瞳は、見えない糸で俺を括り、身体の自由を奪っていった。……いや正確には、俺自身が彼女の純真無垢な瞳から、目が離せなくなっただけ、と言うべきだろう。

 彼女は捕らえた獲物を逃がすまいと、視線をそらさず近づいてくる。

 俺はもう蛇に睨まれた蛙のように、抵抗する気にもならなかった。

 彼女は俺に触れられるほど近づくと、静かにこう尋ねてきた。

「……お兄ちゃんの目は、他の人とちょっと違う。……本当に私を見ようとしてる……なんで?」

 少女が不思議そうに首を傾げる。

「……どういう意味かな?」

「……他の人達の目は分かるの。『あっちに行って!』っていう……まるで汚い物でも見るような目」

 悲しげに目を落とし、彼女が答える。

 そこにいたのは、やはり年端もいかない少女だった。

 先ほどの狂気に満ちた笑顔を湛えた少女とは、まるで別人に見える。

 少女の言葉で、俺の中にあったもう半分の感情が、ようやく理解できた。

 俺はきっとこの少女を救いたいんだと思う。理由は分からないが、この子には、どこか『悲哀』のようなものが感じ取れるからだ。彼女を縛る何かがその感情を抱かせている。それが彼女の心に穴を開け、精神状態を不安定にさせている。そう思える。

「……お兄ちゃんで良ければ、君の力になりたいんだけど、何かできることないかな?」

 彼女を救うことはできないかもしれない。偽善で終わってしまうかもしれない。そう思いながらも、この少女を放って置けず、今の正直な気持ちを口にした。

「……ゔう、うわあぁ〜〜ゔゔうわぁ〜〜!」

 少女はしばらくの沈黙のあと、俺を見上げると、真珠のようなまん丸の涙をポロポロとこぼし、大声で泣き出した。

 俺は幼い頃、父や母が自分にしてくれたように、少女を引き寄せると、ゆっくりと、だが力強く、少女を抱き締め、その頭を繰り返し撫で続けた。

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