夢世26
其処彼処から人々の笑い声が聞こえる……。
目をやるその先々で人々が楽しげに談笑し、その場の明るさを増している。そんな彼らのにこやかな顔につられて、こちらまで自然と笑顔が溢れる。
今、俺たちはいくつかのアトラクションを体験した後、休憩のため、座り心地の良いベンチに腰掛け、クレープを食べている。メリーゴーランドへ向かう途中で嗅いだ、甘い香りの正体だ。
クレープの中には様々なフルーツが惜しげも無く使用されている。そして甘味を抑えた滑らかなホイップクリームが、それぞれのフルーツの個性を殺さずに結びつけている。
クレープの生地にもこだわりがあり、レモンを練り込み後味を爽やかにしたものから、抹茶を使い、中の具材とのコントラストを強調したもの、さらには生地にチョコを溶かし込み、円すい状の型に流して焼き上げたものなど、バラエティーに富んでいる。
俺はレモン生地のクレープを選択し、美希はチョコの生地を選択した。
レモンの爽やかな後味により、口の中がリセットされ、いくらでも食べられてしまいそうだ。
美希はというとチョコで出来た固い生地を折り、それをスプーン代わりに中の具材をすくいながら食べていた。
美希は食べながら、時々俺の方を振り向いては、目が合うたび微笑んだ。美希の口の中はいつもクレープで満たされているため、話すことができない。なので、話す代わりに微笑んでみせているようだ。
その仕草は、年齢以上に幼く感じさせたが、とても幸せそうに見えた。
それはさておき、驚くべきはこの凝ったクレープがタダだということだ。今はキャンペーン期間中だから、と店主が説明してくれた。
このクレープは、現実世界でこれから売り出す商品なのだそうだ。
現実世界で売り出す前に、夢の中でお客さんの反応を見ておきたかったということらしい……。
夢の中で店を出すのは、そう難しくないとのことだ。
簡単に言うと、商品の登録を行い、承認が得られれば、好きな場所に店を構えることができるそうだ。商品登録の際、設定した値段をもとに、売った商品数に応じて、その1割のドリームコインを運営に納めさえすればよいらしい。アナザーワールドは恰好の試しの場という訳だ。
今回のようにキャンペーン期間中に配られた分に関しては、自腹で負担しなければならないが、ドリームコインの前借りもできるので心配ない、と店主が言っていた。
キャンペーン期間後に売れ行きが悪く、前借りした分を返せなかったらどうなるのだろうと思ったが、その質問は流石に失礼だろうと聞くのをやめた。
まあこのクレープならば、しっかり商売になるだろう。
五感が反映された夢では、このような利用法もあるのだなぁと感心させられた。
クレープをすぐに平らげてしまった俺は、ゆっくりと味わいながらまだ食べている美希を左側に感じながら、ぼんやりと前方を眺めていた。
するとこちらに真っ直ぐ向かってくる人影が見えた。
その人影と並ぶようにして、4足歩行する動物が1匹……。
目を凝らして見ていると、その人影が塔矢であることが分かったが、同時に並んで歩いている動物が狼であることも分かった。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
塔矢が狼のことには触れずに、俺と美希を交互に見ながらそう声を掛けてきた。
「……久しぶりっていうほど、時間は経ってないらしいけどな」
俺は狼など気にしていない振りをしながら答えた。隣では未だにクレープで口が塞がっている美希が、狼に恐々としながらも頷いている。
「どうして俺たちがここにいるって分かった?」
俺は、塔矢の横でおとなしく座る狼の姿に少し安堵しながらも、警戒心を絶やさずに塔矢に尋ねた。
「その情報は、テレフォンや伝書鳩の対価として欲しいってことか?」
塔矢は納め顔でそう答えた。
「……ん、まあ……そうだ」
俺は塔矢の反応に少し落胆したが、ビジネスライクな協定を結んだに過ぎない事を改めて自覚し、そう答えた。
考えてみれば、塔矢と行動を共にしたのは、アナザーワールドで最初に行動を起こした1日だけだ。その1日だけで、もっと友好な関係にあると勝手に思い込んでしまった自分が悪い。
美希の表情にも明らかに失望感が窺える。
「……悪い、冗談だ」
「?」
俺と美希は眉を顰めた状態で塔矢を見つめた。
「俺との感覚のズレがないか試させてもらった。俺はもうお前らと交渉するつもりはない。これからは『仲間』として、得られた情報はその都度話すつもりだ。テレフォンと伝書鳩の情報ありがとな。これは確かに便利だ」
塔矢が俺と美希の表情を確認したあと、にんまりと悪戯っぽい表情でそう言った。
美希は塔矢の対応にふくれっ面をして抗議したが、次の瞬間にはもう笑顔に変わっていた。それを見て俺は、塔矢を責めることをやめた。
「あ、お前らの居場所がなぜ分かったか、だったよな。それは洋輝の力のお陰だ。洋輝がお前達の匂いを辿って、ここまで連れてきてくれたんだ」
「?」
「まだ分からないか? 俺の隣にいるのは洋輝だよ」
塔矢は得意げに答えた。
「お兄ちゃん達、驚かせちゃってごめんね。僕、洋輝だよ」
狼の口から流暢に言葉が流れる。
「おおっ! 洋輝なのか? ……ライオンの着ぐるみは?」
「今も持ってはいるけど……やっぱり着ぐるみじゃカッコ悪いから、本物の狼になることにしたんだ。カッコいいでしょ?」
狼が口角を上げてニッコリと笑うと、少し不気味だ。
「へぇー、本物のライオンにはしなかったんだ……」
「僕も最初はそう思ったけど……ライオン、高かったんだもん」
狼が残念そうに足元の小石を蹴飛ばす。
「そっかそっか、それは残念だったな。でも狼もなかなかカッコいいぞ。というか俺は、どちらかっていうと狼の方が好きだな」
俺は慰めるように洋輝の頭を撫でながらそう言った。
「そうでしょ! 僕、結構気に入ってるんだ」
洋輝は撫でられるのが気持ち良いのか目を閉じながら答えた。
そこへ美希が突然洋輝に駆け寄り、いきなり抱きついた。
「うわっ!」
洋輝はびっくりして前足を何度かばたつかせたが、次第に大人しくなった。
「……お姉ちゃん、どうしたの?」
「ごめんね、洋輝君。でも我慢出来なくて……。私、動物が好きで好きで、すぐに触りたくなっちゃうの。もう少しだけお願い」
美希が、先程まで恐怖で固まっていたのが嘘のように、洋輝の首に半分ぶら下がるような形で引っ付いている。
数分後、ようやく美希が満足し、洋輝の首から手を解いた。
「ありがとう洋輝君。落ち着いた」
美希が洋輝に笑いかける。
「うん。……僕は大丈夫だよ」
照れているのか、そっぽを向きながら洋輝が答える。
「さて、この前のメンバーが無事揃った訳だけど、これからどうする?」
塔矢が皆の顔を見渡しながら尋ねた。
俺と美希、それに洋輝はお互いに顔を見合わせたが、誰も言葉を発することはなかった。
「俺は、もっともっとこの夢の中で試せる事を試していくべきだと考えている」
沈黙を遮り、塔矢が意見を口にした。
「……塔矢は慎重派だと思ってたよ。意外だな」
俺は率直に感想を述べた。
「俺は雄彦のいう通り慎重派だよ。ただ、この夢はアクションを起こしてもそう問題無いと判断しただけだ」
「どうしてですか?」
今度は美希が塔矢に質問する。
「この前……雄彦が突然いなくなった時に俺は、洋輝に様々なことを聞いた。例えばアイテムを得る代わりにどんな質問をされたのか、とかな……」
「うん! 聞かれた!」
洋輝が吠えるように言う。
「その質問の中には、年齢、性別、名前などがあった。試しに俺もショップで買い物をしたところ、確かに聞かれたよ。……まあ俺は、その質問には答えなかったけどな」
「えっー! 僕、答えちゃった!」
両前足で顔を隠す仕草をした洋輝を見た美希は、また洋輝に駆け寄ると、抱きしめながら「私がついてるから!」と叫んだ。
「……洋輝は大丈夫だと思うけどな。11歳の小学生の個人情報を悪用する方が難しいんじゃないか?」
塔矢が半ば呆れて美希を横目でチラリと見る。
美希はすごすごと退散し、元いたベンチに腰掛け直した。
「だから俺が言いたいのは、このアナザーワールドの運営は、俺たちの事を全然把握しきれていないってことだ」
塔矢は腕組みをし、自分の考えを言い終わると、何度も頷く。
「もし把握している内容ならば、わざわざドリームコインをぶら下げて、餌代わりにする必要はないはずだからな……」
「……確かにな。それで、これからどうする?」
俺は、塔矢の考えに賛同した上で先を促した。
「これからは個人情報の流出はできうる限り抑えながら、ドリームコインを収集し、様々なアイテムやアトラクション、さらには別階層の探索を進め、運営者に繋がる情報を集めていく。奴らはアナウンスや特設ブースで安全性をアピールしているが、実際は未だに自分達が何者かさえ知らせていない」
「特設ブースへは行ったのか?」
俺は行かなければと思いつつ、結局、欲望を優先してしまったことを悔やみながら、塔矢に尋ねた。
「ああ、勿論行った。だが思いつく限りの質問をぶつけても、全てはぐらかされ、確信に迫る回答は得られなかったよ」
「そうか……やはり何かあるな」
「まあ、まだ深刻になることはないさ。警戒心を心に留めておきさえすれば問題無い。楽しみながらでも自分達のペースで進めていけば、きっといつか確信に繋がるはずさ。さっきも言った通り奴らはまだ思ったほど俺たちのことを把握しきれていない。アナザーワールドのシステム自体もまだまだ発展途上にあるようだしな」
「お兄ちゃんたち、まだお話するの? 僕、遊びたい!」
洋輝がその場でピョンピョン飛び跳ねながらアピールする。
「ああ、悪い悪い。もう話は終わりだ。……皆で遊べるアトラクションでも探そうか?」
塔矢が表情を180度変え、洋輝を見つめる。
「賛成!」
洋輝は答えた後、今度は本当に大きく1つ空に向かって吠えた。
心に沁み渡る、とても綺麗な遠吠えだった。