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夢世  作者: 花 圭介
14/119

夢世14

 俺の脳が現状を受け入れられず、フリーズしている。

 眼前の惨状は、視覚を通じて確実に脳へと届けられているのだが、その映像が何を訴えているのかが飲み込めず、感情まで届かない。分厚いタイヤに電流を流そうとでも試みるくらいに無反応だ。このままでは長久の時が刻まれようとも状況が好転しそうにない……。

 だがそれは、1人の女の悲鳴により解き放たれた。

「いやっー! なんで! なんで! 修平君! 修平君!」

 堰き止められていた思考のダムを決壊させるほどの悲痛な叫び声だった。

 俺は、声を張り上げながら右往左往している遥の両肩を、目一杯の力で鷲掴みにし、その瞳を捕えて、怒鳴るように諭す。

「今、修平を助けられるのは俺たちだけだ! 気持ちをしっかり持って最善を尽くすんだ!」

 遥も思いもよらない俺の行動に驚き、次第に平静を取り戻していく。

 我に返った遥はすべきことを考え、行動に移した。修平に呼び掛けながら、体温や脈拍など、体の状態を調べていく。

 俺は消防へ通報し、遥が調べた修平の状況を伝達する。

電話口の方に遥が調べた内容を交えて修平の状態を説明すると、少しの間を置いて、睡眠導入剤を飲んだ形跡がないかと尋ねられた。

 俺は怪訝に思いながらも部屋の中央に置かれたテーブルに目をやる……。

 するとそこには、指摘の通り睡眠導入剤の空箱が無造作に置かれていた。

 もやつく心情を押しやりつつ、指摘通りだと報告すると、修平の気道を確保し、これ以上体温が下がらないように毛布などで体を温めるように指示された。

 俺と遥は言われた通りの応急処置を行うと、一日千秋の思いで救急車の到着を待った。


 しばらくして、次第に大きくなっていくサイレン音が耳に届く。俺は表へ飛び出し救急車を見つけると、大きく何度も手を振った。

 俺を見つけると、救急隊員はすぐに部屋まで駆けつけてくれた。そして修平を1、2、3の掛け声でストレッチャーに移し替えると、救急車に手際良く運ぶ。

 俺と遥も同乗し、受け入れ先の病院が決まると、救急車は再度サイレンを鳴らし走り出した。

 車内で一言も声を発さず黙り込む遥の手を握り、俺は、ただただ「大丈夫」と繰り返すだけだった。

 きっとそれは遥に向けて声を掛けていたのではなく、自分自身を落ち着かせるために行っていたのだと思う。


 病院に着くと、修平は即座に集中治療室へと運ばれ、俺たちはその前の長椅子で待つようにと告げられた。

 修平の無事を祈り続けて1時間、必要最小限の照明だけが灯る病院の白い廊下を、靴音を響かせながら向かってくる2つの人影が現れる。

 そのうちの一方が、俺に気付くと小走りに駆け寄ってきた。

「雄彦君! 修平は! 修平はどんな状態なの?」

 もう既に目を赤く腫らしているその女性は、もちろん修平の母親だ。

「落ち着いて下さい。僕らも修平君がどういう状態であるのか、はっきり言って分からないんです。でも今、治療しています。直に先生から話があるはずです」

 正直、修平のあの状態を目の当たりにして、大丈夫だとはとても言えない。

 必死に涙を堪える母親の隣で歩みを止めた父親は、その場で腕を組み、集中治療室の扉をじっと見つめ続けた。


 時間の流れがひどく遅く感じられる……。

修平の両親が来られてから、特に滞っているように感じられてもどかしい。修平の父親の厳しい表情と、母親の祈り続ける姿が、俺の気持ちを焦らせているのかもしれない。

 簡素な壁掛け時計を幾度も確認するのだが、数分の時を刻むのに数倍の時を要している気がする。ひょっとして時計が止まってしまったのではないかと、時々秒針にまで目をやるが、ちゃんと一定のリズムで移動している。

 (……まさか、修平)

 待っている時間が長くなると、良からぬ方向への想像が掻き立てられてくる。

「きっと大丈夫」

 そこへ遥の手のひらが俺の左手に重ねられる。

 俺の視線は細く白い指先からたどり、遥の表情へといきつく。

 遥は、じっと集中治療室の赤く点灯したライトを見つめていた。目を逸らさず、発した言葉に思いを通わせようと念じている。

 この状況でも俺の心情に気付き、支えてくれている。

 俺はもう一度、心根を強く張り、遥と同様に赤ランプに意識を集中した。

 と程なく、赤ランプが消え、集中治療室の扉が開いた。

「野山修平さんのご家族の方、いらっしゃいますか?」と周囲に目をやりながら看護師が出てくる。

 父親が右手を軽く挙げ前へ出る。

 母親もそれに倣い父親の傍らまで歩み出る。

「では先生からお話がありますので、こちらの部屋でお待ち下さい」

看護師は集中治療室左手にある扉へと促した。

 俺と遥は、一緒に話を聞きたい気持ちを押し殺して、修平の両親と看護師とのやりとりを傍で見つめていた。

 修平の両親は促されるまま部屋へと向かったが、途中で父親が足を止め、俺たちに振り返る。

「一緒に話を聞いていただけますか?」

 思いもよらない言葉が投げかけられ、頭まで下げられた。修平の母親もその後ろで深々と頭を下げている。

 きっと待っている時間の中で、状況把握をすすめていたのだと思う。修平と俺との仲は、母親伝いでそれなりに聞いてはいただろう。その友人が、息子の応急処置をし、無事を祈り、今も待ち続けている。本来ならば両親が病院に駆けつけた時点で、責任は引き継がれるところだ。にもかかわらず、この場に残り、待ち続けた俺たちの『覚悟』を汲み取ってくれたのだろう。

 俺たちはその問いに力強く頷き、後に付き従って部屋へと入っていった。


 部屋は思っていたより小さく、X線写真を見るためのホワイトボードのような物以外は机と数脚の椅子しか無かった。

 医師はもう既にその部屋で待機していた。若い医師だった。まだ20代後半から30代前半といったところだろう。俺とそう変わらなそうな青年医師だ。だが歳の割に生気があまり感じられない。手足の肉付きも悪く、食事をちゃんと摂っているか心配になるくらいだ。頬もこけて飢餓に苦しむ難民を連想してしまう。ただ、この医師の目には、その容姿とは裏腹に、志の高さが感じられる揺るがない強い光が宿っていた。医師は、俺たちが来るとすぐに修平の現状について話始めた。


「まず修平さんの容態についてですが、痙攣もおさまり、体温、脈拍なども正常値に戻りつつあります。楽観視は出来ませんが、回復傾向にあると言えます。ただ修平さんの体内から多量の睡眠薬成分が検出されました。御存知かどうか分かりませんが現在市販の睡眠薬では死に至る事は滅多にありません。しかし問題なのは本人がどういった経緯でオーバードーズを行ったのかです。今後点滴による睡眠薬成分を中和させる治療を行っていきますが、精神面でのケアはご家族や関係者の皆様に委ねられる事になります。どうか修平さんが目覚められた時、二度とこのような事態とならぬよう導いてあげて下さい」

 医師はそう告げると、今後のスケジュールや手続きについては看護師から説明があるのでご確認下さいと一礼して退出するように促した。

 退出後暫くその場で沈黙の時が流れた。

 修平の両親は余りにも予想出来ない結果に戸惑い、困惑するばかりだった。

 俺と遥が何と声を掛けたら良いか分からず佇んでいると、それに気付いた修平の父親が口を開いた。

「今日は本当にありがとうございました。お陰様で修平は、命を落とさずに済みそうです。長い時間お付き合いさせてしまい、申し訳ありませんでした。また日を改めてお伺いさせていただきますので、今日のところはここで失礼させていただきます」

と何度も頭を下げられた。

 そして修平の母親が「帰りの道中、何処かで一息ついてください」と紙に包まれた一万円札をそっと俺の手のひらへ乗せる。俺と遥は顔を見合わせたあと、断ろうとしたが、母親の懇願するような眼差しに負けて受け取ることにした。

 俺と遥は、修平さんが1日でも早く回復されることを祈っています、と言葉を添えた後、一礼してからその場を離れた。

 帰り道、結局何処にも立ち寄らず、俺と遥は家路へと着いた。その間、ほとんど口をきかなかったが、家の前まで来た時、遥が堰を切ったように話出した。

「私どうしても信じられない。修平君はおとなしい人だけど、弱い人じゃない。何であっても途中で投げ出すような人じゃないもの。絶対自殺なんて考えられない。雄彦もそう思うでしょ?」

「確かに俺もそう思う。あいつが何かを諦めるなんて想像できない。あの時だってきっと……。俺はなぜあいつの言葉を信じてやれなかったんだろう……」

 今まで言わずにいた後悔の念がポロリと口からこぼれ落ちた。

「そう思えるなら、きっと3人で電脳武道伝やってた頃のようにまた戻れるわよ」

 遥が嬉しそうに俺に微笑みかけながら答えた。

「じゃあまたね!」

 遥がくるりと背を向けながら言う。

「ああ、またな」

 俺も遥に背を向けながら答える。

 俺と遥はそれぞれの家へと戻った。

 もう夜が来る……。

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