最終決戦・決着
けれど、完全に意識を失ったわけではなかった。
遠くで、クレイドの声が聞こえる。
「……おい、ゼノン」
「……何?」
「ルシア、大丈夫なんだろうな?」
「うん。力を使いすぎただけだよ」
「……そうか」
クレイドが、小さく息を吐いた。
「……ったく。心配かけやがって」
アルベルトの声も聞こえた。
「……ったく、親子揃って無茶しやがって」
アルベルトが、呆れたように溜息を吐いた。
「おい、ゼノン。お前も相当消耗してんだろ」
「……そうだね」
お兄様が、小さく笑った。
「でも、まだ休むわけにはいかないから」
「ああ。分かってる」
アルベルトの声が、低くなった。
「まだ、あいつが残ってる」
私は、薄く目を開いた。
視線の先には、崩れた石床へ押さえつけられたエドモンドがいた。
先ほどまで屋敷を覆っていた黒い霧は、もうどこにも見当たらない。
それでも、エドモンドは生きている。
そして、私たちを見つめていた。
「……ルシア」
お兄様が、私の顔を覗き込む。
「起きていたの?」
「……うん」
私は、小さく頷いた。
「……エドモンドは?」
「まだ生きているよ」
お兄様は、静かに答えた。
「でも、もう君を傷つけることはできない」
その声を聞いて、少しだけ安心した。
けれど、胸の奥には、まだ小さな不安が残っていた。
「……お兄様」
「なあに?」
「……私も、最後まで見ていたい」
お兄様の手が、ぴたりと止まった。
「……ルシア」
「分かってるよ。私が戦わなくてもいいってことも、無理しちゃ駄目だってことも」
私は、お兄様の服をぎゅっと握った。
「でも……十二年前のこと、ちゃんと終わらせたいの」
お兄様は、しばらく私を見つめていた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……分かった」
その手が、私の頬を優しく撫でる。
「じゃあ、僕のそばにいてね」
「……うん!」
私は、お兄様の腕に支えられながら、ゆっくりと身体を起こした。
まだ少し足元がふらつく。
けれど、ルナがすぐに私の隣へ寄り添ってくれた。
「……ありがとう、ルナ」
白狼の頭を撫でると、ルナは小さく鼻を鳴らした。
クレイドが、そんな私を見て眉を寄せる。
「おい。本当に大丈夫なのかよ」
「うん。立ってるだけなら平気!」
「……信用ならねえな」
「もう!」
私が頬を膨らませると、クレイドは小さく笑った。
「ま、倒れそうになったら俺が運んでやるよ」
「……ありがとう!」
「だから礼はいらねえって」
クレイドは、照れくさそうに顔を逸らした。
そのとき。
――ザザッ。
アルベルトの通信魔道具から、雑音が響いた。
『……こちらセドリック』
セドリックからの通信。
『地下の異能が消えた。そちらは無事か?』
「こちらは無事だ。核は破壊された」
アルベルトが答える。
『そうか。こちらも確認した。壁に残っていた黒い筋も、すべて消滅している』
続いて、ノエルさんの声が聞こえた。
『……地下に異常なし』
「よし。二人とも、そのまま地下の安全を確認してくれ」
『了解した』
通信が切り替わる。
『こちらセドリック。正門付近の敵はすべて制圧した。警備兵に引き渡している』
「よし。負傷者は?」
『数名いるが、命に別状はない。現在、手当てを受けている』
「……そうか」
アルベルトが、小さく息を吐いた。
「引き続き警戒を頼む。こっちはまだ片づいてねえ」
『了解した』
続いて、明るい声が割り込んできた。
『学園長ー! こっちも無事ですよー!』
ラビだった。
『いやぁ、地下が崩れなくてよかったですねぇ! 危うく生き埋めになるところでしたよ!』
「お前は相変わらず呑気だな……」
『えー? 結構頑張ったんですけど!』
アルベルトが、呆れたように溜息を吐く。
「分かった分かった。とにかく、全員そのまま待機しろ」
『はーい!』
通信が切れた。
私は、ほっと息を吐いた。
みんな、無事だったんだ。
屋敷はあちこち壊れてしまったけれど、誰も命を落とさずに済んだ。
それだけで、十分だった。
「……よかった」
思わず呟くと、お兄様が私を見つめた。
「……うん」
その赤い瞳が、優しく細められる。
「ルシアのおかげだよ」
「……私だけじゃないよ」
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「お兄様も、アルベルトも、クレイドも……みんなが頑張ってくれたからだよ」
お兄様は、少しだけ目を見開いた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「……そうだね」
その手が、私の頭を優しく撫でる。
けれど、すぐにその表情が引き締まった。
「……ルシア」
「なあに?」
「少しだけ、クレイドのそばにいてくれる?」
「……うん」
私は、小さく頷いた。
お兄様は、私の手をそっと離した。
そのまま、ゆっくりと大広間の中央へ歩き出す。
視線の先には、エドモンド。
床へ押さえつけられたまま、こちらを見つめていた。
◇
「……どうやら」
エドモンドが、静かに口を開いた。
「私の仕掛けは、完全に破壊されたようだね」
その声には、先ほどまでの楽しげな響きがなかった。
お兄様は、何も答えなかった。
ただ、ゆっくりと歩みを進める。
「……ゼノン」
エドモンドが、顔を上げた。
「君は、本当に私を殺すつもりなのかい?」
「……うん」
お兄様は、迷わず頷いた。
「そのつもりだよ」
エドモンドの赤い瞳が、僅かに細められる。
「……そうか」
そして、小さく笑った。
「随分と冷酷になったものだね」
「……そうかな?」
お兄様は、静かに首を傾げた。
「僕は、昔から何も変わっていないつもりだけど」
「……ほう?」
「大切なものを守りたい。それだけだよ」
その言葉に、胸が熱くなった。
お兄様。
私の、大切なお兄様。
エドモンドは、しばらくお兄様を見つめていた。
そして、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「……アルフォンスに似ているね」
その瞬間。
お兄様の足が止まった。
「……何?」
「君の父親だよ」
エドモンドは、静かに続けた。
「彼も、最後まで同じことを言っていた」
私は、思わず息を呑んだ。
お父さま。
「……家族を守る」
エドモンドが、小さく笑った。
「そのためなら、自分の命さえ惜しくないとね」
お兄様は、何も答えなかった。
けれど、その拳が僅かに握り締められた。
「……実に愚かな考えだと思ったよ」
エドモンドは、ゆっくりと目を細める。
「力を持つ者が、弱い者のために命を捨てるなど……」
「……違うよ」
お兄様が、静かに遮った。
エドモンドが、顔を上げる。
「……何?」
「父上は、弱い者を守ろうとしたんじゃない」
お兄様の赤い瞳が、鋭く輝いた。
「愛する家族を守ろうとしたんだよ」
「……」
「お前には、最後まで分からなかったんだね」
その声は、どこか悲しそうだった。
エドモンドは、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうだね」
小さく笑った。
「私には、理解できないよ」
お兄様は、静かに頷いた。
「……そう」
そして、ゆっくりと片手を上げた。
「なら、もう話すことはないね」
その瞬間。
――ドォンッ!!
エドモンドの身体へ、さらに強い重圧がかかった。
「ぐあっ……!」
石床が、音を立てて砕ける。
お兄様の赤い瞳が、鮮やかに輝いた。
「――王家の命令だよ」
その声が、大広間へ響き渡る。
「エドモンド・ヴァルディエ」
空気が、張り詰めた。
「――異能の行使を禁じる」
エドモンドの身体が、大きく震えた。
「……っ!?」
その周囲に残っていた僅かな黒い霧が、音もなく消えていく。
「……馬鹿な……!」
エドモンドが、必死に顔を上げた。
「私の……力が……!」
お兄様は、静かに見下ろしていた。
「もう、お前に好き勝手させるつもりはないよ」
そのとき。
「……ゼノン」
アルベルトが、ゆっくりと歩み寄った。
その手には、銀色の剣が握られている。
「……アルベルト」
お兄様が、顔を上げた。
アルベルトは、しばらくエドモンドを見つめていた。
そして、静かに口を開いた。
「……十二年前」
その声が、低くなる。
「俺は、間に合わなかった」
私は、思わずアルベルトを見つめた。
「ロザリアから連絡を受けて、すぐに駆けつけたんだ」
アルベルトは、剣を握り締めた。
「けど、屋敷に着いたときには、もう……」
その言葉が、途中で途切れた。
私は、胸が締めつけられた。
アルベルトは、ゆっくりと息を吐いた。
「……あの日から、ずっと後悔してた」
その赤い瞳が、エドモンドへ向けられる。
「もっと早く気づいてりゃ、二人を助けられたんじゃねえかってな」
エドモンドは、何も答えなかった。
「けどよ」
アルベルトが、小さく笑った。
「今度は、間に合った」
その視線が、私へ向けられる。
「ルシアを守れた」
私は、思わず涙が零れそうになった。
「……アルベルト」
アルベルトは、私へ優しく微笑んだ。
「だから、もう後悔はしねえ」
そして、再びエドモンドへ向き直った。
「……てめえとの因縁も、今日で終わりだ」
その言葉に、お兄様が静かに頷いた。
「……うん」
アルベルトは、剣を差し出した。
「ゼノン」
「……何?」
「最後は、お前が決めろ」
お兄様が、少しだけ目を見開いた。
「……いいの?」
「ああ」
アルベルトは、迷わず頷いた。
「ロザリアとアルフォンスの息子であるお前が、決着をつけるべきだ」
お兄様は、しばらくアルベルトを見つめていた。
そして、静かに微笑んだ。
「……ありがとう」
その手が、剣を受け取った。
◇
私は、クレイドの隣でその光景を見つめていた。
お兄様が、エドモンドの前に立つ。
銀色の剣が、月明かりを受けて鈍く輝いていた。
「……ルシア」
クレイドが、小さく名前を呼んだ。
「……なあに?」
「……怖いか?」
私は、少しだけ迷った。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
クレイドは、何も言わなかった。
ただ、そっと私の肩へ手を置いてくれた。
「……無理して見なくてもいいんだぞ」
「……ううん」
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「ちゃんと、見届けたいの」
クレイドは、しばらく私を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……そうかよ」
その手が、私の頭を軽く撫でる。
「なら、俺も一緒に見ててやる」
「……うん」
私は、そっとクレイドの服を握った。
そのとき。
「……ゼノン」
エドモンドが、静かに口を開いた。
お兄様は、剣を構えたまま答えた。
「……何?」
「君は、本当に私を殺せるのかい?」
その赤い瞳が、妖しく輝く。
「私は、君と同じヴァルディエの血を引いているんだよ?」
お兄様は、静かに答えた。
「……だから?」
エドモンドの笑顔が、僅かに止まった。
「……何?」
「血が繋がっているから、許してもらえると思っているの?」
その声が、低くなる。
「お前が父上と母上を殺したとき、そんなことを考えた?」
エドモンドは、何も答えなかった。
「……祖父母を長い眠りへ追いやったときは?」
「……」
「ルシアを奪おうとしたときは?」
エドモンドの赤い瞳が、僅かに揺れた。
お兄様は、静かに続けた。
「……僕はね」
その手が、剣を握り直す。
「お前を許すつもりは、最初からないんだ」
その瞬間。
エドモンドの表情が、完全に消えた。
「……そうか」
小さな声だった。
そして、ゆっくりと笑った。
「……ならば、仕方がないね」
けれど、その赤い瞳には、僅かな恐怖が浮かんでいた。
お兄様が、剣を持ち上げる。
その姿を見つめながら、私は、そっと目を閉じかけた。
けれど。
もう一度、開いた。
逃げない。
最後まで、見届ける。
お兄様の赤い瞳が、静かに輝いた。
「……さようなら、エドモンド」
その瞬間。
――ザンッ!!
銀色の剣が、鋭い軌跡を描いた。
「……ぐっ!?」
エドモンドの身体が、大きく震える。
胸元から、赤い血が溢れた。
けれど、純血種の再生能力によって、傷口が塞がろうとする。
お兄様は、すぐに片手を上げた。
「――ガル、レオ」
二匹の黒狼が、同時に顔を上げる。
「……終わらせて」
その瞬間。
ガルとレオが、エドモンドへ飛びかかった。
――バキィンッ!!
漆黒の影が、エドモンドの胸元を包み込む。
「ぐああああっ!!」
凄まじい悲鳴が、大広間へ響いた。
お兄様が、片手を握り締める。
「――潰れろ」
――ドォンッ!!
重圧が、エドモンドの胸元へ集中した。
その瞬間。
心臓が、完全に破壊された。
エドモンドの身体が、大きく震える。
「……あ……」
その赤い瞳が、ゆっくりと私へ向けられた。
「……ル……シア……」
私は、何も答えなかった。
ただ、お兄様の背中を見つめていた。
エドモンドの唇が、僅かに動く。
けれど、もう声にはならなかった。
そして。
その赤い瞳から、光が消えた。
大広間に、静寂が訪れた。
エドモンド・ヴァルディエ。
十二年前、私たちから家族を奪った男。
その長い命が、ついに終わった。
◇
私は、しばらく動けなかった。
目の前で起きたことが、まだ信じられなかった。
お兄様が、ゆっくりと剣を下ろした。
その背中が、どこか寂しそうに見えた。
「……お兄様」
私が名前を呼ぶと、お兄様はゆっくりと振り返った。
その赤い瞳が、私を見つめる。
そして。
「……終わったよ、ルシア」
優しく微笑んだ。
その瞬間。
私の目から、涙が溢れた。
「……お兄様……!」
私は、思わず駆け寄ろうとした。
けれど、足に力が入らない。
「……あっ!」
身体が、前へ傾く。
その瞬間。
お兄様の姿が、目の前から消えた。
次に気づいたときには、私はその腕の中にいた。
「……もう」
お兄様が、困ったように笑った。
「無理しちゃ駄目って言ったでしょう?」
「……だって……!」
私は、お兄様の服をぎゅっと握った。
「……終わったんだよね……?」
「……うん」
その手が、私の頭を優しく撫でる。
「全部、終わったよ」
私は、とうとう声を上げて泣いてしまった。
「……うっ……ひっく……!」
お兄様は、何も言わずに抱き締めてくれた。
その腕は、温かかった。
ずっと、会いたかったお兄様。
十二年前に離れ離れになってしまった、大切な家族。
ようやく、すべてが終わった。
もう、誰にも奪われない。
もう、離れ離れにならなくていい。
「……お兄様……」
「なあに?」
「……大好き……!」
お兄様の腕に、少しだけ力がこもった。
「……僕もだよ」
その声が、優しく響いた。
「誰よりも、君を愛しているよ。ルシア」
私は、涙を流しながら微笑んだ。
「……うん……!」
お兄様は、私の額へそっと口づけた。
そして、もう一度強く抱き締めてくれた。
長い長い、十二年間。
ようやく、私たちは再び家族として、同じ場所に立つことができた。




