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ヴェルデラント辺境領は、レーヴェリア王国の北端に位置する森深い土地だ。
街道は整えられているが、交易路としては不向きな山岳が、隣国との国境を跨いで裾を広げる。
フレッチェたちは、辺境伯の住まうコンド=ロウの町を目指した。
コンド=ロウは山を拓いて築かれた、城塞を抱くように広がる町だ。国境の侵犯を防ぐ、防衛と統治の要の地である。
馬車から臨む城塞は、切り立った岩盤と一体化して見えた。無駄のない直線と重厚な石積みが、侵入を拒む意思を示すかのようだ。
麓に広がる町もまた城壁を二重に巡らせ、石落としや櫓が睨みをきかせている。
レーヴェリアの廃興をともに歩み、防衛の前線に立ってきた町の威容を臨み、張り詰めた空気をフレッチェは肌で感じた。
隣をうかがうと、ラウルもどこか固い面持ちで襟を正していた。フィンリーの膝の上に置いた拳も、強く握られている。
もうすぐ城門が見えてくるという時、馬車がガタッと大きく揺れた。
「きゃあっ」
「うわわっ」
揺さぶられ、座席から投げ出されそうになったフレッチェとフィンリーを、ラウルが引き寄せる。
馭者が手綱を引き、馬車は街道の中央で止まった。横転は免れたが、傾いた車体が平衡を保てていない。
「何があった?」
「車輪です。何か、噛み込んだようで……」
降りて確認した御者が、眉をひそめる。
車輪の一つに、薪割りに使う楔が噛み込んでいた。先端が深く刺さり、車輪の一部が破損している。
それで体勢を崩してしまったのだった。
「こんな所に、なぜ楔が――」
一様に首を傾げた時だ。
「きゃああああ! 申し訳ございません! お許しを!」
悲鳴のような謝罪とともに現れたのは、若い女だった。赤い髪を二つに編んで垂らした背中には、薪を背負っている。
伐採用の手斧を後方に放り投げて、女は街道にひれ伏した。籠からこぼれた薪が頭頂を打つが、出てくるのはひたすら謝罪の言葉だった。
「申し訳ございません! あたしが落としました!」
女は、何度も頭を下げた。
「すごい音がして……まさかと思ったら、楔がなかったの。あたしの落とし物のせいで大変なことに……! お、お願いします……何でもしますから、お許しください。本当に、悪気はなかったの……」
ガタガタと肩を震わせ、女の声は次第に小さくなっていく。
馭者は彼女を気の毒に思いながらも、一先ずは人手を求めた。
「すぐに呼んできます! あ……、あの、皆さんは、その……貴族の方々ですよね?」
馬車は家紋を入れない汎用されているものだが、辺境伯のもとを訪ねるために、それぞれ正装は調えていた。
女が青い顔で、腰を上げる。
「む、迎えの車も一緒に用意してきます! ここで動かずに待っていてください!」
落とした薪を拾うのも忘れて、彼女は走り出した。
小さくなっていく背中を見やりながら、ラウルが呟く。
「……焦りから、安堵へ香りが変わった」
「え――?」
「さっきの女の匂いだ。かすかに……愉快だと感じている……?」
鼻を塞ぐように手の甲を当てて、ラウルは眉をしかめた。
時を置かずして、小さな荷馬車を連れて女が戻って来るのが見えた。
誰も口には出さなかったが、歯の奥にものが挟まったような違和感を抱いて、身を固くする。
「おやまぁ、お前ってば大変なことをしでかしたよ。これはお大尽様方、申し訳ねぇです……」
荷馬車を駆る年配の女が、傾いた馬車を目の当たりにして顔を青くする。三つ編みの娘とは口許の雰囲気が似ていて、二人の間に血縁を感じさせた。
娘が言うことには、馬車の修理は出払っていて、遅くなるらしい。馭者にはこの場で待ってもらい、先にフレッチェらを町まで運んでくれるという。
「汚い荷台で悪いけんど、お嬢さんと旦那様方はこっちへお乗りなんせ。さぁさ、さぁ」
ふっくら厚みがあり、赤切れや豆を潰した痕が残る手だ。リーンを思い出させるものを感じたフレッチェだが、その手を取るのは躊躇われた。
誰も動かずにいると、女ら無理やり手を引っ張ろうとしたり、後ろから押し込もうとしたりする。
いよいよおかしな様子だ。
とうとう馭者も携行する剣に手を伸ばし、穏やかでない雰囲気に空気が張り詰める。
そこへ、複数の蹄の音が割り込んだ。
「そこまでだ!」
荷馬車の周りを取り囲んだ騎士の一人が、鋭く声を上げる。馬の脇腹に垂れた深緑の布には、コンド=ロウの町の紋章が大きく染め抜かれていた。
「チィッ、いいところで出てきやがった!」
女たちはそれぞれ舌打ちを投げ返すと、尋常でない身のこなしで、荷馬車に飛び乗る。激しくしなった鞭が空を裂き、手綱を無理矢理引かれた馬は悲鳴めいた嘶きを上げ、地を蹴った。
騎馬を蹴散らす勢いで、車輪が唸りを上げる。荷馬車は跳ねるように、街道を駆け出した。山の向こうへ、その影は小さくなっていく。
「深追いは不要だ。散開すれば、逆に狙われる」
後を追おうとした騎士らを、凛とした声が引き留める。
隊の中心から、甲冑を身につけた人物が進み出た。深い紺色の外套を翻して馬を進める姿に、騎士たちの背筋が一斉に伸びる。
「周囲の巡察を続行せよ。うち五名は馬車の護衛と運搬を。ミルヒ、ヘイゼル――」
「は!」
とりわけ小柄な者と大柄な者、対照的な二人の騎士が進み出る。
「両名はわたしとともに、客人を城まで送り届けよ」
「承知いたしました」
若々しくも覇気がある声で、騎士たちをまとめ上げた人物は、やっと――という様子でフレッチェたちを振り返った。
華麗に馬から降りると、冑を脱いで近くにやって来た。その姿に、フレッチェは言葉を失くした。
エラの披露宴で見かけた――麗しの辺境伯その人だ。
きめ細やかな白磁のような肌は、女性的な柔らかさを宿しながらも、眼差しには男性だと信じて疑わせない凛々しさがある。
女性だと知った今でも、その恵まれた容姿には、フレッチェの胸も思わず高鳴ってしまう。
ヴェルデラント辺境伯リュネルは、わずかに口角を緩める。笑みというには控えめで、苦笑を押し殺したような静かな表情だ。
「ようこそ、おいでくださいました。無粋な出迎えとなり、面目ございません。どうぞ城のほうで、お休みください。フィンリーの友人として、誠心誠意おもてなしいたします」
深紺の外套を風に揺らし、リュネルが手を差し伸べる。その手を迷いなく取ったのは、もちろんフィンリーだった。




