女同士、秘密のお話をいたしましょう
セラフィーヌの待つ応接間には、静かな時間が流れていた。
ソファにゆったりと背を預けていた彼女は、不作法を侘びる。その姿に、突然の来訪を思わせる慌ただしさは、微塵もなかった。
「フレッチェ、今日はいつもと雰囲気が違うわね。そういった装いも似合っているわ」
「ありがとうございます」
まさか息子の仕事とは思いもすまい。セラフィーヌは嬉しそうに、またドレスや装身具の買い物に誘う。
突然の来訪の理由を告げぬまま、しばらく他愛もない話をした後で、セラフィーヌは不意に室内を見回すような仕草をした。
「ところで……フィンリーがこちらに来ているのではなかったかしら? あの子はどこに?」
来た――。無意識にフレッチェは身構えてしまう。
するとそこへ、応接間の扉を開き、フィンリーが入ってきた。すっかり化粧を落とし、着替えも済ませている。
「僕はここだよ」
「ああ、フィンリー。もう、あなたったら……」
セラフィーヌは腰を浮かせる。
「軍医も務めたグラナ先生の講演会、もうすぐでしょう? 今日までに出欠の意志を知らせてと言ったのに、起きたらもういないんですもの」
「講演会には行きたいけれど、母さんが一緒なら嫌だよ」
フィンリーは少し口ごもった。
「あら、恥ずかしいの?」
「……違うよ。グラナ先生の孫と引き合わせたいんでしょう?」
グラナ医師には、フィンリーと歳の近い孫娘がおり、彼女もまた看護の道を歩む予定でいるという。
「今まで何でも自由にさせてくれていたのに、兄さんたちが身を固めた途端、僕までせっつくみたいに、いろいろな女の子に引き合わせようとしてさ」
「そんなつもりではないけれど」
「でも、うまくいけばいい――くらいには思ってるでしょ?」
「それは……そうね」
フィンリーは一度、視線を伏せた。次に顔を上げた時、彼は言葉を選ぶ余裕を失って、声を荒げた。
「お節介いらないから! だいたい、僕には真剣にお付き合いしてる人いるし!」
瞬時に、応接間の空気が色を変えた。
セラフィーヌは目をしばたたき、フレッチェとラウルも思わず息を詰める。
「……お付き合い、ですって?」
確かめるように問い返すセラフィーヌの声には、咎める色も、驚きを隠す様子もない。ただ、フィンリーの言葉を一つも聞き逃すまいとする、静かな圧があった。
「どなたなの?」
短い沈黙の後、フィンリーはやけになったように、一息に口にした。
「ヴェルデラント辺境伯!」
「へっ、辺境伯って、あの……!?」
思わず、フレッチェが声を漏らす。
その名でフレッチェが思い出せる姿は、一人だけ――ロウェルとエラの披露宴で相見えた、美貌の青年だ。
麗しの青年辺境伯と、可憐なフィンリーの仲睦まじく並んだ姿を思い描いただけで、フレッチェはうっとりしてしまう。
いけない扉を開きかけた。……が、それどころではない室内の空気に、慌てて背筋を正す。
セラフィーヌには、フレッチェほどの狼狽はなく、落ち着いて相手を測るように口を開いた。
「あなたより五つ年上だったかしら。何度か一緒にいるところは見かけたけれど、ちっともそのような素振りはなかったわね」
「知られないようにしてたの!」
「知ったからには、そうはいかないわ。一度、ヴェルデラント領にご挨拶に伺わなければ――」
「だから、要らないって! 母さんが心配しなくても、僕は僕でちゃんとひとり立ちするつもりだし、あちらにだって……事情があるのくらい知らないわけじゃないでしょう!?」
「もちろんよ、わかっているわ」
「だったら、ほっといて!」
フィンリーは、らしくもなく感情を露わにして、応接間を出ていった。
弟の残した空気に、ラウルはわずかに眉を寄せる。やはり、いつもと違うものを感じ取ったのだろう。
フレッチェに小声で告げる。
「レッテ。ここを頼めるか? 僕はフィンリーのそばにいてやりたい」
「もちろんです。寄り添って差し上げてください」
ラウルは礼を言う代わりに短く頷き、すぐに後を追っていった。
応接間に、再び静けさが戻る。沈黙に耐えかねるように、セラフィーヌは深く息を吐いた。そこに、いつもの余裕ある微笑みはなかった。
「あの子の言う通りね。これまで浮いた噂の一つもなかった息子たちが、次々と良縁に恵まれていくのを見て、浮かれていたのかもしれないわ」
茶を含もうと伸ばした手が震え、茶器が繊細な音を立てる。セラフィーヌは憂いを深め、手を引っ込めた。頭が痛むのか、こめかみを指先で撫でる。
「これまで、自由を尊重してむしろ放任しすぎたのではないかと思ったの。それでいざ関わろうとすれば、干渉しすぎてしまうなんて……駄目な母親ね」
「親として、よくある行動だと――学園でも耳にしたお話ですわ」
最も多感な時期に親と呼べるものがなかったフレッチェは、自らの経験をもとに語れない。そんな彼女が絞り出した、せめてもの慰めの言葉に、セラフィーヌは胸を痛めた。
突然、セラフィーヌが立ち上がったかと思ったら、次の瞬間には抱き寄せられていて、フレッチェは思考がついていかない。
「あの……?」
「……ごめんなさいね。本当に、ごめんなさい」
セラフィーヌが何を懺悔しているのか、フレッチェにはわからなかった。だがその腕の温もりと声音は、威厳ある公爵夫人でも白露院の慈母でもなく、一人の悩める母親のものであることだけは、感じ取った。
少しして、セラフィーヌは腕をほどいた。
珍しく赤くなった鼻先を隠すように、扇を広げて座り直す。フレッチェに隣へ来るよう促し、どこか迷いを含んだ眼差しで見つめる。
「あなたに、お願いがあるの」
扇の要を指でなぞりながら、セラフィーヌは小さく息を吐いた。
「わたくしは再び静観に戻ります。だけれど、心ではあの子が気になって仕方がないの。あなたは、そんなわたくしの〈目〉となって、あの子を見守ってもらえないかしら?」
フレッチェはすぐに答えなかった。
セラフィーヌの真意は純粋な心配だ。だが、それがフィンリーにどう映るかは、まったく別物だ。それを間違えれば、フィンリーの心は完全に閉ざされてしまうに違いない。
しばしの沈黙の後、フレッチェは小さく背筋を正した。
「母の代理ではなく、同年代の子の立場から、フィンリー様を見つめることをお許しいただけるのなら……」
ロゼクォット家の中で、自分はどんな立場でありたいか――その線引きは明確にしておきたかった。
フレッチェは誰かの道具にも、潤滑剤にもなるつもりはない。出来ることなら、この温かな家族の一員でありたいと願った。
セラフィーヌはゆっくり頷く。
「ええ、もちろん。あの子が心を開ける人間が、一人でも多くそばにいてくれるのは心強いわ」
「それでは……お引き受けいたしますが、わたくしからも、お義母様にお願いをしてもよろしいでしょうか?」
思いがけない返答に、セラフィーヌは目を瞬かせ、すぐに微笑んだ。フレッチェが甘えてくれるようになったのが、心から喜ばしい様子だ。
フレッチェの提示した条件を聞いたセラフィーヌの表情は、すっかりいつもの顔色に戻っていた。
「――いいでしょう。すぐに手配いたします」
二人の間で一つの合意が交わされた。
窓から差し込む光に、フレッチェはやっと息をつけた思いがする。気の緩んだ瞬間に、ぽつりと本音がこぼれた。
「それにしても……驚きました。フィンリー様のお相手が、その……」
言葉を濁して視線を彷徨わせるフレッチェに、同調するようにセラフィーヌは言葉を継ぐ。
「ええ。アカデミーで一年ほど、ご一緒だったとは聞いていたけれどね。まさか、そこまでご関係があったとは思っていなかったわ」
「そ、そうですよね……。まさか、男性がお相手だなんて……」
一瞬、間があって――
「え?」
「え?」
互いに同じ声を返し合い、首を傾げ合う。
「ヴェルデラント辺境伯は、正真正銘の女性よ」
「……えっ? えええええ!?」
素っ頓狂な声を上げたフレッチェを見て、セラフィーヌは扇の向こうでくすりと笑った。
「……あら、フレッチェ。少し残念そうなお顔ね?」
「そ、そのようなことはございません!」
「そう? あなたにそちらの嗜みがおありなら、宮廷で密かに読まれている『薔薇の園』の読本でも、お貸ししようかと思ったのだけれど」
「け、けけけ結構です!」
セラフィーヌの泣き顔を大いに笑顔へと変えたフレッチェは、己の豊かな想像力というものを恥じて縮こまった。
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