新人侍女は有能です(1)
塀の内側に沿って種を蒔いたタチバカマが、日の出とともに花開く。
外の通りを覗いてみたいと言うのか、彼らは毎日、競うように背丈を伸ばした。
その脇を、大きな荷物を抱えた人影が通り抜ける。
――おや、お客人かな?
――重そうな荷物だね、大丈夫?
身を揺らしながら語りかけるが、人影は振り返ることなく、屋敷の中へ消えていく。
その数時間だ。
屋敷の中から、フレッチェ・シェバーの悲鳴があがったのは――。
※※※
フレッチェの身支度には、いつも侍女が二人つく。衣装を選ぶセンスがずば抜けて洗練されているリラと、化粧の得意なユーナだ。
今日は商談に赴くラウルに付き添うため、品と堅実性を重視した装いを心掛けようと、三人で決めた。
仕上がりを見た侍女たちは、自分の仕事に納得できていない顔で腕組みする。
「悪くはないのですが、何か物足りないですわね」
「髪をもう少し盛ってはいかがでしょうか」
「では、付け毛を用意いたしましょう。フレッチェ様、少々お待ちくださいませ」
リラとユーナの背中を姿見越しに見送り、フレッチェも前髪をとかし直す。ラウルの隣に立つにふさわしい姿を、鏡の中に探した。
ああでもない、こうでもないしていると――。
「失礼いたします」
すぐ背後で、澄んだ声が落ちた。リラとユーナの声ではない。
いつの間に入ってきたのか、侍女の制服が鏡に映り込む。驚く間もなく、指先がふわりと前髪に触れ、櫛が静かに通された。
「今のままでは、少し印象が堅すぎるかと。前髪を上げたほうが、余裕のある若奥様風になって、よろしいかと思います」
鏡の中で、前髪が整えられていく。
確かに、視界が拓けた分、面差しが明るく見え、化粧映えして大人びて見えた。
「まぁ、本当だわ! ありがとう、あなたは……」
フレッチェは、遅れて振り仰ぐ。
そこにいたのは、金色の髪をきちんとまとめた少女だった。くりっとした大きな目を伏せ、少しぎこちない動きで礼を取る。
「本日からお世話になります、新米侍女です。よろしくお願いいたします、フレッチェ様」
「え、ええ……。あの、お名前は?」
少女は、にこりと屈託ない笑みを浮かべ、小首を傾げる。
「はじめまして、じゃないので、当ててください」
甘えるように跳ね上がった語尾の後、フレッチェは少女の顔をまじまじと見つめた。
目、鼻、口元……。
化粧で印象が変わっているが、一つ一つと、その配置には見覚えがあった。
「ええええええええっ!?」
屋敷に、フレッチェの悲鳴が木霊する。
「フィ、フィンリー様!?」
「だーいせーいかーい」
新米侍女――ロゼクォット家の末っ子フィンリーは、嬉しそうにスカートを翻してみせた。
※※※
「話していなかったかな。アカデミーの夏季休講の間、フィンリーが半月ほど滞在すると」
ラウルは、新米侍女の淹れた茶に、こともなげに口をつける。
「それは伺っておりましたが……」
医学を学んでいる彼は、近くの診療所の手伝いや、使用人たちの体調を診て、休暇中も積極的に学びに励む姿勢を見せていた。力になれるのなら――と、フレッチェも快く受け入れたつもりだ。
「侍女になるとは聞いておりませんでしたので、取り乱してしまいました」
「ああ、それは僕も驚いた。まさかフィンリーが、こんなに着こなし上手だとはな」
「いえ、そういう話ではなく……」
フィンリーは茶器を片すと、手近な席に腰掛けた。本当の侍女見習いなら失格ものだが、兄弟の戯れならばと、侍女頭も見逃している。
「何事も経験かな、って」
小首を傾げて、甘えるような仕草が板についている。桃色に綻ぶ頬と潤った唇には、危うげな色気すら孕んで見えた。
「今日は僕がフレッチェちゃんのお世話をするからね。任せてよ」
「とんでもございません。フィンリー様のお手を煩わせるわけには……」
ちらりと侍女たちを見遣ると、静かに首を振られた。ユーナが身振り手振りで伝えることには、こうだ。
――こうなったら、とことん坊ちゃまに付き合って差し上げてくださいませ。満足すれば、お戯れにも飽きることでしょう。
(飽きなかったら、ずっとこのままなのかしら……)
一抹の不安を抱えながら、フレッチェは茶を飲み干す。
ほどなく、馬車の支度も調い、一行は屋敷を後にした。
◇ ◇ ◇
ベールグラン郊外の屋敷から、職人街のほうへ向かうと、恰幅のいい男性がラウルの到着を待っていた。馬車に気付くや、帽子を取って恭しく頭を垂れる。儚げな頭頂が、夏の陽射しを弾いて眩しい。
男は馬車を降りる二人のもとへ駆け寄り、再度頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「アンバー殿。本日はお時間を設けていただき、感謝する。暑い中、待たせてしまって申し訳ない」
「いやいや、子供のようにそわそわして、早く着きすぎてしまったのです」
資産家のアンバー氏は、大きな建物を振り返り、手巾で汗と一緒に目頭を拭う。
「なかなか買い手がつかず、取り壊しも考えていたところに嬉しいお声がけをいただき、なんだか今日はこの店も喜んでいるようだ。さあさあ、どうぞ中をご覧ください」
先に来たアンバー氏が、風を通してくれていたおかげで、建物の中は熱もこもっていなかった。
長年、人が入っていなかったにしては、埃っぽさもなく、まめに手入れされているのがわかる。
「わたしが初めて事業を興したのが、この店舗でしてね。市民向けの洗濯屋だったんです」
若き日のアンバー氏は、世の多忙を極める人のためになればと、職人街と住宅地の間に洗濯代行の店を構えた。
汚れ物を預かり、清潔にして返却する――その窓口となっていたのが、この店舗部分だ。
そして店舗の裏には、洗濯から乾燥、アイロン掛けまでを行っていた広々とした作業場がある。
「水回りは、こちらです」
「驚いた。洗い場だったというので、もっと湿気がこもっているものかと思ったが、空気がさっぱりしている。カビの匂いもない」
「お客様の大切な衣類をお預かりするため、換気や日当たりに気を遣いましたから」
アンバー氏が壁際にある綱を巻き上げると、通風口や、ひさしの開閉が可能になっていた。
「火気類の使用は?」
「今は撤去しましたが、湯沸かし釜とアイロン用の炭火を扱っておりました。しみ抜きに薬剤を使うこともありましたが、事故などは一切起こしていません。安全ですよ」
建物の傷みも少なく、工房として再利用も可能そうな物件だ。ほとんど、心は決まっているようなものだが、ラウルは重ねて尋ねる。
「なぜ、店を畳まれたのですか」
率直すぎて、フレッチェとフィンリーのほうが肝を冷やした。
しかし、これから人生を一歩先へと踏み出そうとしている彼には、どうしても訊いておかねばならないことだった。
アンバー氏は、思いを巡らせるように、作業場をぐるりと見回す。
「需要を、読み違えたんでしょうなぁ……。時間に追われるご婦人がたや職人がたのご苦労を、少しでも取り除ければと思ったのですが。彼らにしてみれば、自分で洗えるものに、金を払うだけの価値を説けなかったのです。わたしなどは、時間を金で買う感覚でおりましたが、彼らには苦労さえ生活の一部だったのですよ」
「今ならば、もっとうまくやる自信はありますよ。立地は商業区寄りにして、宿や飲食店と契約し――驚きの白さ、頑固な汚れもピッカピカ! そう、まるで私の頭のように……なんて触れ込むのです!」
フレッチェとフィンリーは吹き出すのをぐっとこらえたが、肩が震えている。
アンバー氏の冗談で、空気がふっと和らいだ。
ラウルは丁重に頭を下げると、建物の中を改めて見て回った。
「建物としては、申し分ありません。用途を変えるにしても、大きな改修は不要そうだ」
「そう言っていただけると、嬉しくなります」
アンバー氏は胸を撫で下ろし、懐から折り畳んだ書付を取り出した。
「売却額ですが――最初にご提示した金額から、これほど差し引きまして……こちらでいかがでしょう?」
提示された額に、フレッチェは思わず瞬きした。
初めに聞かされていた価格より、二割ほど安くなっている。
ラウルも、わずかに眉を上げた。訝しむ思いと裏腹に、彼の鼻はアンバー氏から嫌な匂いを嗅ぎ取れない。
「……随分と、思い切られたようだが」
「いやいや、申し訳ない。当初の金額こそ、わざと吹っ掛けさせていただいたのです。思い入れのある店ですから、本当に必要としてくださる方にお譲りしたいと思っておりましてね。大公のご子息で、こんなに熱心に見学してくださるのなら安心です」
売主であるはずのアンバー氏が、ためらいもなく深々と頭を下げる。
「今度こそ、この店を良い場所にしてやってほしい……。お任せできますか?」
ラウルは二つ返事で承諾しそうだ。
すると、それまでフレッチェの後ろに控えていたフィンリーが、可愛らしい声で「あっ」と声を上げた。




