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それぞれの味わい(フィンリーとラウル)


「あれ、フレッチェちゃん、一人? そんなに美味しそうに、何を食べてるの?」


 突然声をかけられて、フレッチェは喉を詰まらせそうになった。

 咳き込むフレッチェの背中を優しい手つきで叩くのは、ロゼクォット家の末弟フィンリーだ。

 くりっと毛先が丸まった金髪が、少女と見間違いそうな愛らしい顔立ちを、より柔らかく印象づける。


「ごめんね、フレッチェちゃん。びっくりさせちゃったよね」

「も、もう大丈夫です。こちらこそ、ご心配をおかけいたしました」

「本当にごめんね。よかったら……お詫びに受け取ってくれる?」


 フィンリーが差し出した皿には、色とりどりのデザートが並ぶ。一人分にしては多いが、すべての種類を味わいたいとなったら、皿が足りない。


「よろしいのですか? フィンリー様がお召し上がりになるものでは」

「ううん、僕はもう食べたから気にしないで」

「では、お言葉に甘えて……」


 とは言ったものの、フレッチェも満腹に近かった。

 皿を受け取ったまま当たり障りのない会話で誤魔化していると、フィンリーが「僕のおすすめはこれだよ」と、木苺のジュレを添えたフロマージュを指差した。

 感想を求める眼差しに負けて、一口運ぶ。すると思いのほか、すっきりした甘さで、滑らかな舌触りが心地よく、するりと喉を通った。

 もう一口味わった後には、別の甘味も魅力的に見えてきて、次はショコラケーキに匙を入れる。少し苦味のあるクリームと、ローストナッツの香りが鼻に抜けて、これもまたフレッチェを微笑ませる。

 どの甘味も、手をつけたらあっという間に、皿から消えてしまった。

 その様子をフィンリーは嬉しそうに見つめる。


「僕の選択、最高でしょ?」

「ええ、とっても。フィンリー様も、甘いものがお好きなのですか?」

「へへっ、大好き」


 四兄弟と接して、フレッチェが一番意外性を感じたのは、このフィンリーだ。

 夜会で初めて彼を目にした時は、場慣れしない初々しさがあり、年の離れた末っ子らしさにエラでさえ可愛らしいと評したものだ。

 しかしフレッチェは時々、夜会での姿はそれらしく振る舞っていたのではないかと思うことがある。


「よかったら今度、おすすめのお店教えるよ。ラウル兄さんを誘ってみて。きっと喜ぶよ」


 フィンリーは、ロウェルに劣らず、ひとの懐に入るのがうまかった。

 天使のような愛くるしい見た目に惑わされがちだが、飛び級でアカデミーに進学する秀才でもある。冷静に状況を見極め、その場に求められる自分の魅せ方というのを熟知している節がある。

 相手にとっての理想のフィンリーになりきることで、誰とでも自然に距離を詰め、気付けば親しげな立ち位置に、するりと収まってみせるのだ。


 フレッチェと話すフィンリーは、義弟というより性別の垣根を越えた友人に近い。そういう相手が一人でもいたほうが、フレッチェも心強い。

 彼の気遣いをありがたく思う反面、敵に回したら怖いとも思った。


 そんなことを考えていると、フィンリーの表情がわずかに引き締まった。心を見透かされてしまったのでないかと、フレッチェはどきりとする。

 しかし彼の視線は、会場の奥へと向けられていた。


「ちょっと用事を思い出したから、これで失礼するね」

「え? あっ、デザートごちそうさまでした!」


 フィンリーはいつもの柔らかな笑顔のまま、身のこなしだけはやけに素早く、人波の向こうへ紛れてしまった。

 不思議に思いながら、フレッチェも歩き出す。もう少し甘いものを食べたいような気になって、デザートの卓へ向かうと、思わぬ人と鉢合わせた。


「ああ、フレッチェ。いいところに」


 気品ある微笑みをたたえ、セラフィーヌが手招きする。


「フィンリーを見なかった? 甘いものを取ってきてくれると離れたきり、戻ってこないの」


 セラフィーヌの後ろには、フィンリーと同じ年頃の娘を連れたご婦人方が、若君の帰りを今か今かと待っている。

 フレッチェは空になった皿にちらりと目をやり、はっとした。


(まさか……)


 フィンリーは甘味を口実に、女性陣のお相手から逃げ出したのだろう。しかもそれをフレッチェに押し付け、セラフィーヌの接近を感じ取るや再び逃亡したと見られる。

 甘い見かけによらず、強かだ。


「仕方ないわね、あの子は。フレッチェ、よかったらわたくしたちと、あちらで召し上がらない?」


 はい――と答えたいところだったが、ぺろりと平らげた糖分と油分が、今になって胃にずっしり重く、フレッチェは心を尽くして辞意を告げた。


「フィンリー様をお見かけしたら、お声がけいたしますね」

「ええ、そうしてくれるとありがたいわ。それじゃあ、また晩餐会でね」


(う……。そうだわ、晩餐会もあったのだわ)


 急にコルセットが窮屈に感じられて、フレッチェは水を求めに向かった。



˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。




 グラスまでよく冷えた水を一杯いただき、フレッチェは静かな場所を探して、会場から離れた。

 気付くと、ラウルと初めて言葉を交わした場所へ続く道を辿っている。


 灯籠が星のように瞬いていたあの夜と違い、垣根は小さな花を付けていた。

 小径を渡る風に乗って、爽やかな甘さが優しく香る。


 誘われるように垣根の裏側に出ると、長椅子に誰かが腰掛けていた。

 銀の髪が風に撫でられて、閉じた目蓋の上をさらりと揺れる。考え事をしているような格好で、無防備にうたた寝をしていたのはラウルだった。


 そっと声を掛けるも、返事がない。


(お疲れなんですね)


 起こさないよう気をつけて、隣に腰を下ろす。

 隣り合って同じ風を感じていると、フレッチェの鼓動は、しだいにラウルの息づかいを追いかけ始めた。

 時の流れがゆるやかで心地よく、一緒になってうとうとしそうになるのを、フレッチェは冷たい水でやり過ごす。


 ラウルの寝顔を、飽きずに見つめていられた。

 冷ややかな印象を与えがちな目許は伏せられ、長い睫毛が、どこかあどけない。

 こんな顔を間近で見られることが嬉しく、胸の奥に、ほんの小さな優越感が芽生える。


(いつもは抱き枕にされているけれど、たまには、わたしから触れてみてもいいかしら……。ごめんなさい、ラウル様。ちょっとだけ!)


 艶やかな髪を撫でてみたい――フレッチェは手を伸ばす。


 その時、垣根の向こうで足音がし、見知らぬ青年がやって来た。

 一つに束ねた銀色の髪が、馬の尾のように揺れる。一見、女性と見間違う美しい顔かたちと、宴の喧騒から切り離された凛とした気配に、フレッチェも思わず見惚れた。


 彼は瞬時に何かを覚ると、口の前に人差し指を立てた。彼には、フレッチェがラウルの寝込みを襲っているように見えているのだろう。

 何も見ていません――無言で告げ、そっとその場を離れる。誰かを探しているのか、辺りを見回しながら去っていく。


(わ、悪いことはできないわね)


 フレッチェは胸をどきどきさせながら、手を引っ込めた。

 その直後、ラウルが目を覚ました。


「……う、ん。レッテ?」

「お、お目覚めですか! お休みになっている間、何も変わったことはありませんでしたし、しませんでした、ええ何も!」


 やましいことがある時、人は余計な言葉を重ねがちだ。幸い、ラウルは聞き逃してくれたようだが、鼻をひくつかせて辺りを見回している。


「君の他に、誰かいた? 変わった匂いがする」


 まだ寝ぼけ眼ながら、鼻だけはしっかり目覚めているようだ。


「おわかりになるのですか? えぇと……たいへん見目麗しい方が通りがかったんです。銀髪を優雅にくくられた、青いお召しものの方で……」

「それなら、きっとヴェルデラント辺境伯だろう。そうか、このような香りを纏っているのだな。興味深い」

「ご立派な御方だったのですね。お若いので、どなたかのご子息だとばかり思ってしまいました」


 フレッチェの頬が、改めてじわりと熱を帯びた。


(辺境伯様に見られてしまったね。ラウル様に、触れようとしていたところを……ああ、わたしとしたことが、はしたない!)


 そんな様子を、ラウルは別の理由で受け取ったらしい。


「君の好みの容姿だったのか?」

「え?」

「随分、うっとりしているように見えるから……」


 声はいつも通り静かだったが、どこか拗ねた響きが混じっている。

 それに気付いた途端、今度は胸がどきりと跳ねた。


「ち、違います! 確かに、お綺麗な方だとは思いましたけれど……。好きになった御方が、好ましいと感じる方ですから……ラウル様がご心配されるようなことはございません」

「ああ、レッテ……。言いながら照れている君も素敵だ」

「言わせたのはラウル様です! もうっ!」


 顔が熱くてたまらず、フレッチェは手元の水を一気に飲み干した。冷たい水が喉を滑り落ち、火照った心を、少しずつ鎮めていく。


 食卓を彩ることはない、一杯の水。しかし、あったほうがフレッチェの呼吸は整う、欠かせないものだ。

 フレッチェは空になったグラスを置くと、ラウルにそっともたれかかった。


(もう少し、ここで息を落ち着けていましょう。宴の夜は長いのだから――)






幕間 終

四章に続く

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