それぞれの味わい(ロウェルとレンジュ)
花々が笑みを綻ばせて咲き誇り、うららかな陽気に人々の装いも軽やかに改められる頃。
ロゼクォット公爵家嫡男ロウェルと、バークレイ伯爵令嬢エラの婚姻は、神の前で厳かに誓われた。
翌日、ベールグランの城では披露宴が催され、レーヴェリアの各地からたくさんの者が祝いの席に参席した。
城内の大広間と庭園を開放した立食式の宴は、盛況だ。
ラウルとの婚約がまだ公にされていないフレッチェは、今日はエラの友人として招かれていた。
ロゼクォット家からは一歩引いた場所で、ただ純粋に、エラの幸せを祝う立場にいる。
優雅な調べに、幸せをお裾分けされたゲストの華やかな表情、笑い声――。そこにいるだけで、フレッチェの心も自然と踊りだす。
料理人たちが腕によりをかけた食事は、どれも豪華で美味だ。
パパスも久しぶりに古巣へ帰り、腕を振るっている。宴の後にはぜひ感想を、と張り切っていた。
フレッチェが特に気に入ったのは、魚介と旬の野菜を果実酢で和えた前菜だ。まろやかな酸味に口がさっぱりした後に、白身魚の淡白な甘みが追いかけてくる。
これを、白ワインにクロスグリのリキュールを混ぜたカクテルで流すと、舌の上がすっと洗われて、また次の一口を誘われた。
(屋敷でも作ってほしいなんて言ったら、さすがに甘えすぎかしら)
いつもは遠慮がちなフレッチェが、そんな心配をしてしまうほどだ。言葉で伝えなくとも、今の彼女の顔を見れば、パパスは大喜びすることだろう。
「やあ、フレッチェ。楽しんでいるかい?」
高揚感に頬を染めて、宴の空気に酔っていると、主役のロウェルがエラとともにやってきた。
「今日は開宴の挨拶を引き受けてくれてありがとう。あなたがわたくしの大切な友人だと、皆様に自慢したかったの」
クラシックな白い婚礼衣装も似合っていたが、橙色のドレスは、エラの凛とした雰囲気を柔らかくし、幸せな新婦の笑顔を映えさせている。
「光栄でございました」
「次は自分の番だと、エラはもう原稿を書いているよ」
「まぁ、エラ様ったら」
「ふふふ」
ロウェルはさりげなく視線を巡らせ、ふと思い出したように問いかけた。
「ラウルは一緒ではないのかい?」
「ラウル様は、あちらでウードゥリー男爵とご歓談中です」
ウードゥリー男爵領は切花用の花木で知られている。
ラウルはその農園の経営について、熱心に耳を傾けているようだった。香水の原料を安定して確保する算段まで、頭の中で描いているのだろう。
和やかに談笑する姿に、ロウェルは目を丸くする。
「珍しいな……。ラウルはこういった場は好まないし、脈絡を読んで会話を楽しむ性格でもないから、たいていは相手が困った顔で去っていくものだが――」
ラウルの生き生きとした横顔を、ロウェルは安心した顔で見つめた。
「ひとは変わるものだね。君のおかげかな?」
「わたくしは何もしておりません。ラウル様が元々お持ちだったものが、花開いただけですわ」
「さすがは妻の親友だ。今後ともよろしく、フレッチェ」
次の招待客のもとへ向かう二人を見送り、フレッチェはほっと息をつく。
(ロウェル様とお話するのは、少し緊張するわ……)
ロウェルの眼差しは穏やかだが、その奥で何かを測っている気配がある。
招待客と歓談しながらも、目の端で人々の動向を捉えている。誰が何を好んで食していたか、どんな服装、話題に関心を示すかを、瞬時に記憶の引き出しへ振り分けているようだ。
それこそが、彼の経営手腕に繋がっているのだろう。
すべてを見抜いているわけではないが、気付かぬふりを選ぶ聡い人――それがフレッチェがロウェルに抱く印象だ。
まだ味わっていない料理と、賑やかな笑い声に誘われるように、フレッチェは人の集まる方へ歩き出した。
˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。˖✻*˸ꕤ*˸*⋆。
笑い声の中心にはレンジュがいて、身振り手振りを交えて語らっていた。
会話の引き出しはロウェルに敵わないながらも、持ち前の明るさで、老若男女問わず興味を引きつける。
あの大所帯に飛び込む気にはなれないフレッチェだが、レンジュが人に囲まれているのは好ましい。屈託なく変わる表情も声も、傍らで聞いていて気持ちがいい。
フレッチェは死角で静かに見守りながら、鹿のローストに手をつける。
鹿肉はどちらかと言うと苦手な部類だったが、丁寧に下処理され、料理人の思いを込めてじっくり焼き上げられたそれは、噛むほどに旨みが広がっていく。
赤ワインが欲しくなって顔を上げると、レンジュに動きがあった。
夢中で話していたかと思えば、ふいに腰を屈め、何かを拾い上げる。手にしたのは、小鳥の形をした積み木だ。
レンジュは会場を見渡すと、長身を最大に使って手を伸ばし、大きな声を出した。
「お子様連れのお客様、こちらに見覚えはありませんか?」
すぐに、泣きべそをかいた男の子が、母親のドレスの裾を引っ張りながらやってきた。レンジュから積み木を手渡されると、それは嬉しそうに涙を振り払う。
母親は青い顔で、平謝りするばかりだ。
「申し訳ございません、若君……」
「いえいえ、鳥も祝いの席に着きたかったのでしょう」
「あのね、おうちにはリスさんたちもいるよ」
「そうか。それならなお、見つかってよかった。お友達と離れ離れになったら、寂しいもんな」
少年がこくりと頷くと、レンジュは安心したように笑って、頭を撫でた。
その様子を、ほとんどの者は微笑ましく見つめていた。だがフレッチェは、目の端でいくつかの視線の動きを捉える。
いつの間にか、会場のあちこちに手巾や扇子が落ちていた。拾われるのを待つように、持ち主らしき女性たちが、ちらり、ちらりとレンジュを窺っている……。
レンジュが気付いた順に手を伸ばそうものなら、女性たちの間に熱い火花が散った。
誰にでも分け隔てなく手を差し伸べる、その在り方は、好ましく思う者もいれば、あらぬ誤解や妬みも買いやすい。
それに当の本人はまったく気付いていないので、フレッチェはだんだんはらはらしてきた。
見守っていると、ふいにレンジュの動きが鈍る瞬間があった。
会場に誰か――顔見知りの人物を見つけたようで、話しかけるか迷っている様子だ。
視線を辿ると、艶のある黒髪の令嬢がいて、彼女もまたレンジュを気にしている。
二人の視線がぶつかった途端、レンジュの軽やかな舌が、急にもつれ始めた。彼は誤魔化すように手近なグラスを手に取り、一息に呷る。
(……あ! レンジュ様、それは――!)
みるみるうちに、レンジュの顔が赤くなる。それで火がついたか、彼は奮然と令嬢のほうへ足を踏み出した。
フレッチェは苦笑をこぼしながら、心では彼を応援したい思いで溢れる。
(好みは分かれるかもしれないけれど……)
大半の人間は、彼を好ましいと答えるのだろう。フレッチェもその一人だ。
そんなことを思いながら、鹿のローストをもう一口、静かに味わった。




