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こぼれた果実は実を結ぶ(2)

 入浴剤には、次のように説明書きが添えられていた。


*まずは、(ボム)が溶け出す瞬間に立ち上る香りをお楽しみください。


 それに対して、ラウルが言ったのだ。

『一緒に入らなければ、一番初めの感動は二人で味わえないということか。……なるほど、さすがは叔父上だ。お考えが深い』


(絶対に違うと思う……!)


 その通り、グレドルウィンはそこまで考えていない。甥が喜ぶものを選んだだけだ。


『ど、どうぞ最初の香りはラウル様が、ご堪能ください。わたしはその後で、ゆっくり楽しませていただきますから……』

『レッテに残り湯を使わせるだなんて、僕は嫌だ! それにほら、ごらん!』


*ボムが溶け出すと、香りとともに湯船を幻想的な風景が彩ります。時間の経過とともに変化するお色をゆったりと眺めながら、くつろぎの時間をお過ごしください。


『色が変わるそうだ。全部見たいだろう? だから、レッテ。一緒に楽しもう』

『……は、はい。わかりました』


 恐ろしいことに、ラウルには下心が一切なかった。感動体験を二人で共有したいと純粋に願う目で懇願されて、フレッチェもとうとう観念したのだった。


 それでも、だ。

 いざ裸身を湯に浸すと、覚悟は心臓と一緒に飛び出していってしまいそうだった。

 明るい浴室は湯気で煙るが、はっきりと肌の色も骨格も見えてしまう。

 目のやり場に困って、フレッチェは縮こめた膝に額を押し付け、湯船に視線を落としていた。


「レッテ。これから香を入れるけれど、そんなに俯いていては、よく見えないんじゃないか?」

「だ、だって……見えなくていいものまで見えすぎてしまうから……。ラ、ラウル様も、あまりこちらを見ないでください!」


 ふっ、とラウルが小さく笑う。


「互いの素肌を、初めて目にするわけではないのに?」

「こんなに明るい場所では、初めてですっ」

「そうか、じゃあ……こうしてみるのはどうだろう」


 湯船が波打って、フレッチェの腕が引かれる。

 間近に迫る胸板から目を背けた拍子に、そのまま腕に抱き込まれてしまった。


「こうして、僕に背中を預けていれば、恥ずかしくないと思う」


 くるりと体の向きを変えられ、ラウルの膝の間に座らされた。

 背中いっぱいに感じる濡れた肌と体温に、フレッチェは息を詰める。


「これはこれで、たいへん心臓に悪いです……!」

「レッテは恥ずかしがり屋だな。よし。君がのぼせてしまわないうちに、香りを試そう」


 ラウルの手から、桃色の丸い香料が落とされる。

 トプンッ――。水辺に果実が落ちるような音がした。

 ぶくぶくと細かな気泡を発しながら、球体は沈んでいく。

 泡が一つ弾けるごとに、ふくよかな薔薇の香りと甘酸っぱい果実の香りが広がった。


 フレッチェは目を閉じて、香りに集中していた。

 こうしていれば、気持ちが落ち着く気がしていたのだが……。


「ごらん、だんだん溶けてきた」


 低い声が、耳朶をくすぐった。

 ラウルの濡れた指先が頬に触れる。張りついていた髪をそっと払い、フレッチェの目を湯船に向けさせた。


 湯の色が淡い桃色から濃い紅色まで、波紋を描く。

 夕焼けを浴槽に閉じ込めたような幻想的な光景に、二人は一緒に深い息をこぼした。

 溶け切った入浴剤の中心からは、氷結された薔薇の花弁が浮かび上がり、湯船で花を開かせる。

 淡く染まった湯と、香る湯気に包まれていると、呼吸まで甘くなっていく気がした。


「……綺麗だ」


 囁きとともに、額にラウルの温もりが触れた。見上げると、銀の髪から雫が垂れて、フレッチェは咄嗟に目蓋を閉じた。

 そのほんの一瞬だけ、唇が重ねられる。


 触れたと言うには短すぎて、名残惜しい。

 小さく強張らせたフレッチェの肩を、とろりとした湯が撫でた。色づいた湯はいつもより柔らかく、触れ合う肌の間を滑らかに流れていく。


(あ……いけない。わたし、今……よこしまなことを考えているわ……)


 ただ、珍しい品を楽しんでいるだけなのに。

 ラウルの肌が触れるたび、じわりと胸が熱を帯び、秘めやかな感覚が遅れて追いかけてくる。


「レッテ……さっきまでと香りが変わったのが、わかるかい?」


 耳許で囁く声に、フレッチェは震えるように小さく首を振った。


「すみません。薔薇の香りが強くて……あまりわかっていません」

「湯の話じゃない、君だ」

「え……わたし?」

「一部の獣人族は、特別な香りを発して異性を誘う習性があると聞いた。……きっと、こんな香りなのではないかな?」


 首筋に口づけされたところが、燃えるように熱くなった。

 くすり、と――。少しからかうような息が耳にかかる。


「何か……期待している?」


 フレッチェは唇を噛み、湯気で潤んだ瞳でラウルを振り返った。


「わたしの心を嗅ぎ分けて(読んで)おいて、それは意地悪です……」

「ふふ、レッテは正直で可愛いな」


 湯の色が落ち着く頃には、心も体もすっかり熱を帯びていて……、二人してのぼせてしまった。

 長湯が過ぎるとジュークには叱られ、メーメーにも文句を言われる始末――。それでも、またとない貴重な体験を最後まで味わい尽くした二人は、同じ香りを纏って眠りについた。


 ラウルは後日、グレドルウィンに礼を伝えるため自ら王城に出向いたのだが、そこで偶然レンジュに会った。

 せっかくだからと共にした昼食の席での話題は、いつも熱心に語る騎士団での働きぶりよりも、とある侯爵令嬢の話題のほうが多かったという。






三章  終




次章は四男フィンリーからの依頼です。

本編の前に、ロウェルとエラの披露宴での一幕に見る、四兄弟の持ち味を幕間として挟みます。

ぜひブクマにて更新をお待ちくださいますと嬉しいです。


さて、今回もラウル氏監修のもと

〈葡萄シリーズ〉のレシピを公開いたします。

※精油として抽出できないものを、アコードと表記するか悩んだのですが、ややこしいかなと思い「こういう香り」と想像しやすいように、そのまま香りイメージの名前で書いています(例:シャルドネアコードとすべきところをシャルドネ)



〈早摘みの葡萄〉

 使用者/十代の王女

イメージ 軽やか、シャンパン、若さのきらめき、恋に落ちる、花火のような弾ける明るさ、可憐

◇トップ

シャルドネ 、ライチ、ベルガモット

◇ミドル

ホワイトピオニー、センティフォリアローズ、オー(eau)、ペア

◇ラスト

ムスク、ホワイトアンバー


〈一房の葡萄〉

 使用者/三十代後半から四十代の女王

イメージ グリューワイン、妖艶、成熟、威厳、沈殿した重い甘さ(秘密)

若い頃のシャルドネの印象は残しながら、より重層的な甘い香りに。

◆トップ

シャルドネ、ブラックカラント、ピンクペッパー

◆ミドル

赤ワイン、ダマスクローズ、サフラン、バルサミコ

◆ラスト

ラブダナム、パチュリ、バニラビーンズ、アンバー、レザー

グリューワインをイメージしながらも、砂漠イメージも捨てがたく、別種のスパイスとスモーキーさで調整。


今回のSpecial essence

♡フレッチェの胸のときめき

ごく微量なムスクの香調に近いが、明確な香りというより温度に近い性質を持ったもの。

特定の誰かを見た瞬間に上がる、微熱。

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