52.お兄様の理想?
………恋愛脳って、つくづく人をお馬鹿にしますのねぇ。
わたくし、公式・男嫌い悪役令嬢でよかったですわぁ。
貴族の道を踏み外して恋に狂うなんて、みっともないったらありません!
――え?そんなんだから恋の障害として弱くて、途中退場の、中ボス扱いだった?
余計なお世話ですわ!!
「……アリアお嬢様?集中していらっしゃいますか?」
「しておりますわ」
嘘です。ごめんなさい。
いえ、悪いのは、脳内でうるさくする庶民女ですけれども。
只今、シュタードラー先生の算数の授業です。
答案用紙いっぱいの計算問題をひたすら解いている最中だというのに!
どうしてあなたはすぐ雑談したがるんですの?
ちょっとは気を遣ってくださらないかしら!
――え?わたくしが勝手に気を散らしているだけ?
「それでは。お時間ですので、採点いたします」
ああ、最後の見直しが……。
神よ。今日も今日とて、邪魔なだけの前世と戦いながら、わたくしは一人お勉強に励んでいます。
――誰のお陰で、もう九九ができると思っているのかって?
肝心の計算する時にちょくちょく間違えるじゃあありませんの!
『しちしにじゅうはち』なのに!何ですの、7×4が24て!?
暗算していたら、掛けられる数の十の位に掛けられる数の一の位を掛けていたりするし!!
――やったのはわたくし?
わかってますわよ!!
くっ、転生者は小学生レベルの計算なんて満点取れる筈ですのに。
計算方法の知識があっても計算ミスはなくならないって、どういう理屈ですの!?
カンニングしようと思えば、まず記憶の答案から同じ式を探すのに時間がかかり過ぎて“簡単な計算でめちゃくちゃ長考に入った図”になるし!!
お陰様で、天才どころか、理解力あっても計算は苦手な子扱いですわよ!
ああ。どうせなら知識より、電卓並みの計算能力が欲しかったですわぁ……。
え?無茶言うな?
いるじゃあありませんの。現実に。
数学常に満点で、「アリアお嬢様も見習ってくださいね」とか言わしめる、どこぞのお兄様が。
………そう、お兄様が。
「……ねえ、シュタードラー先生」
「はい。何でしょう?」
「先生は、お兄さまの婚約者について、どう思われまして?」
答案用紙からお顔を上げたシュタードラー先生が、片眼鏡を押さえられます。
「アリアお嬢様。あの方が、お眼鏡に適わなかった事は存じ上げております。しかしながら、次期公爵夫人に関しては、キリエ様とご当主様が、良いように計らってくださる事でしょう。アリアお嬢様は、今はご自身に専念なさる方がよろしいかと」
はい。正論ですわ。
でもね?
「わたくし、現在でも困っておりますのよ。他はばつとのお茶会で、ミサもコルプスも当てにならないようでは困りますわ」
先日のお茶会で、レヴィン侯爵令嬢をばっさり切ってくださった、グレート=ミサ公爵。
あの方は、ご自分の娘を当てにしていらっしゃるようでして。わたくしのお陰で、国王陛下への早期の謁見に道が拓かれたとかおっしゃっていたのですけれど……。
よく考えたら“星花”でのわたくし、“この国で唯一人の公爵令嬢”とか呼ばれておりましたのよねぇ。
まあ、思い通りに産めたら苦労はありませんわ。
子供は授かり物ですものね?
「ごもっともですが……アリアお嬢様は、この国で最も高貴な令嬢にございます。三大公爵家に於いても、唯一の本家の令嬢です。わたくしの姪を始め、オブ=ナイト派が総力を挙げてお支えいたしますので、他を率いる心構えをお持ちください」
ええまあ、ミサ公爵にも、遠回しによろしくされましたけど……。
「でしたら、トゥインクル侯爵令嬢は、あのままで当家にいらっしゃいますの?」
「ご心配なく。キリエ様がいらっしゃいますし、このわたくしも、オブ=ナイト派の一員として、微力を尽くさせていただきます」
淡々とお話されながらも規則的に動いていた先生の手がぴたりと止まり、静かにペンが置かれます。
「―――磨けばよろしいのです。ただの石ころでも、叩いて削って磨き上げれば、輝かしい美術品となるものでございます」
……先生?
ねえ、何か今怖くありませんでした?先生が言った事、怖くありませんでした!?
「あの……」
「はい、七十五点でございます」
oh。
わたくしの台詞をぶった切って突き付けられた採点結果は、相変わらず微妙です。
「掛ける回数が増えた場合、数の桁が増えた場合で一度はお間違いになりますね。単純な計算は完璧に出来ておられますので、落ち着いて、集中なされば、間違われる事はないと思われますが……テスト中にお考えになるような事が、何かございましたか?」
――ええ、そうね。話を逸らしましょう。
「先生。実はわたくし、ずっと気になっている事がありますの。その……そう、オブ=ナイト派の令嬢のトップは、以前どなたでしたの?」
ええ、咄嗟にしてはいい疑問が出ましたわ。
誉めてよろしくてよ!
いないのですわよね。「わたくしが今までの事を教えて差し上げますわ~☆」とか、売り込みをかけてくる方が。
ちょっとおかしくありません?
小首を傾げるわたくしに、シュタードラー先生は、何故か苦いお顔をなさいます。
「当時の、シカネダア侯爵令嬢でございます」
え?あ、ああ……あれ。
――それは誰かって?
忘れましたの?わたくしのお披露目会で、お母様とマナー教師に滅多切りされた、うちの筆頭分家のご令嬢ですわ。もうご結婚されましたけれど。
でも、そう。そうでしたの。
なるほどねぇ。
夫人になれば、お母様と、シカネダア侯爵が上に来てしまいますものね?
馬鹿馬鹿しくも、オブ=ナイトのトップでい続ける為に、あの年までご結婚を渋っていらしたの?
だから、わたくしが表に立った途端、ご結婚されたと。まあ、幼児に頭を垂れるよりマシでしょうねぇ?
……あはっ☆
いいご身分ですこと。
――え?報復?
しませんわよ。だって今、引退したくないご当主と継承時期で揉めて、それは大変らしいですし。
まったく。自滅体質すぎて、わたくしの出番がありませんわぁ。
*
「――という訳で、お兄様は、どなたと結婚なさるおつもりですの?」
「うん。どういう訳なのか、さっぱりわからないね」
食後のお茶の時間。
ソファでくつろぎながらお兄様へ水を向けると、即座にさっくり斬られました。
お父様やお母様のお耳に入れると厄介なお話でしょうが、お二人は本日、領地のお仕事で、あちらにお泊まりです。
折角のチャンスだから訊いているというのに。冷たいですわね!
――え?
なら、夕食の席で話題にすればよかったのに?いつも静か過ぎて辛い??
イヤですわね。食事は静かに摂るのがマナーでしてよ?
喋るとしても、出された物への感想を述べるのが常識ですわ。
大体ね、料理長と料理人数名が固唾を呑んで様子を見守っていますのよ!?あの緊張感の中で、呑気にお話なんて出来ると思います!?
「訳はどうでもいいのですわ。質問に答えてくださいまし」
「そう言われてもね。僕は、婚約者以外の令嬢とは交流がないし。お前と母上の目を信じるよ」
しれっとカップを傾けるお兄様に、取り合う素振りはありません。
「お兄さま。わたくしは、お兄さまのお気持ちを訊いておりますの。実際にどうなさるのかは、この際どうでもいいですわ」
「僕の気持ち……?」
考え込むお兄様の手が、わたくしの顎をうりうり撫でているのは……今回だけは、スルーして差し上げましょう。
「そうだねぇ……。個人的な願望を言うなら、結婚も成人もしたくないかな?ずっと気楽な子供でいたいね」
ちょっと!
「お兄さま!理想を飛び越えて、空想までひやくしないでくださる!?」
「空想はひどいなぁ。まあ、確かに成人しない訳にはいかないけど……独身の貴族はたまにいるじゃあないか。家の事なんて、使用人に任せればよくない?」
「国王陛下がお許しになりませんわよ」
よくまあ堂々とおっしゃれるものですわね?
さて。使用人にチクられて、お父様とお母様に叱られるのが先か。王家の監視にチクられて、陛下に圧力を掛けられるのが先か。
……効き目がなさそうなのは、何故でしょう?
わたくしがマカロンと一緒に色々なものを飲み込んでおりますと、隣で地雷がドカンしました。
「うーん。陛下は種を蒔いておけば満足されると思うよ?」
――兄!?!?
「正直、当人そっちのけで勝手に盛り上がっている令嬢より、父上に絡まってくる慣れた感じのご婦人方の相手をする方が楽しそうだよね」
まさかの熟女好き!!
じゃあありませんわよ!!何を言い出してくれちゃってますの!?
わたくし、まだ六歳!!!
いえ、兄もまだ十二歳だけども!!
というか、今、さらっとお父様のプライベートまで明かしました!?
「おおおお兄さま。何やらはしたないお話をされていらっしゃるのやら、わたくしにはわかりませんけれども!――わかりませんけれども!!このオブ=ナイト公爵家の後継に庶子を据えようだなんて、とんでもない事でしてよ!?」
「わかっているよ。まあ、結婚したからって出来ない話じゃなし、母上のお顔は立てるつもりだよ」
宥めるようにわたくしの頭を撫でながらおっしゃるお兄様ですが……台詞の中身がゲスです。
これ本当に、乙女ゲームの攻略対象?
チャラ男役はフィガロでしょう!?
確かに、お兄様はドS鬼畜メガネ設定でしたけれど。こんな方向に鬼畜でしたの!?
――そんな訳ない?純愛悲恋ポジションだった?
そうですわよね。
お兄様、なんかバグってますわよね。
思わずぐったりいたしますと、思考回路爆殺鬼畜に、お膝に引き摺り上げられました。
わたくし、そろそろ七歳なんですけど……。
――え?そう言えばって?
何ですの?
悪役令嬢溺愛物で兄弟と言えば?実は血が繋がっていなくて??
は!?わたくしとお兄様が、恋仲になって、ケッコン!!?
冗談じゃあありませんわ!!!
お兄様のオモチャとして生涯を過ごすくらいなら、今すぐ即座に“神の妻”として神殿に入ります!!
慌ててお膝から降りようとすると、送り襟締めされて、顎で頭頂ぐりぐり撫でられます。
雑!!
レディの扱いじゃあありませんわ!
「こーらアリア?頑張るお兄様を慰めてくれないの?」
「今のお話のどこに、慰めるようそがありますの!?」
「貴族の義務を頑張ると言っているんだよ?子作りとか面倒臭いのに」
……夫人や未亡人をたぶらかして遊びたいのではありませんでしたの?
口に出さねど、わたくしの真っ白なお目々がどこかの窓にでも映っていたのか、顎が二割増しで刺さります。
「最初にちゃんと、ずっと子供でいたいと言ったじゃあないか。もう忘れたの?」
「あら。貴婦人との“たしなみ”ができない事も含めてでしたの?」
「勿論」
やっと技を掛けるのをやめたお兄様が、わたくしの顔を覗き込んで、にっこり笑います。
「僕は本当はね、日の当たるテラスで、膝の上の猫を撫でながら、お茶を飲んで、のんびり過ごすのが夢なんだよ☆」
…………。
わたくし猫の代用じゃあありませんのぉおおおおおおおおおおおおおお!!!
ちょっと庶民女!!
これのどこに恋愛フラグがありますの!!?
お兄様の理想(の自分)は、ほぼ昭和のおじいちゃん。