原因不明
朝。登校して教室のドアを開ける。
何かが違う。
投げかけられる言葉に答えながら、俺はため息をつく。なんだよ、この気分の悪さは。なんだ、この気持ちの悪さは。なんだよこの噛み合わなさは。
どうしてみんなの眼をまっすぐに見られないんだよ。何の不満があるって言うんだよ。昨日と同じような一日だ。そのはずなのにどうしてこんな違和感が……。
どうしてだ。表情筋は昨日と同じように収縮し、笑顔をかたちづくる。なのに心は、言い知れぬ虚しさを抱いたまま。確かな、そして見当違いな憎しみを抱いたまま。
気持ち悪い。俺は本当に俺なのか?
自分の手のひらを痕がつくほど握り締める。だけどダイレクトにその痛みが伝わってこない。どこか他人事のような、薄っぺらい感覚。
確かめるのが怖くて、俺はそれを制する。
これは、これが確かに俺であるなんて、気持ち悪い。嫌だ。知りたくない。
みなを羨ましく思う感情が、日常に歪みをもたらし始めた。
*
憂鬱だ。全然楽しくない。
人に会うたびに自分の人格に嫌気がさす。友達と話してても先輩と会っても、後輩とじゃれてみても。いつもと変わらないはずなのに、何やっても面白くない。
剣道ですらやる気が出なくて、サボったら後から後悔の念に襲われて。
笑ってみても一時的にしか笑顔でいられない。どうでもいいはずの事でいらいらしてしょうがない。流せるはずの悪口に、いちいち取り合っている自分がいる。
急に吐き気や頭痛に襲われる。授業なんか受ける気になれない。苛立ちが抑えきらなくなり、不意に壁なんかを蹴り飛ばしてみる。壁にあいた穴が、己の空虚さの証のようで、誤魔化すように何度も蹴り続けた。
気が付くと屋上のフェンスや四階の窓に目が行ってしまう。死にたいのかもしれない。否、死にたいのだろう。全然楽しくないし、俺自身が厄災のもとだ。
寧ろ―――死んだほうがいいんじゃないかな。そしたらみんな利害が一致して幸せだ。みんなが幸せなのはいいことだろう。
だけど飛び降りたら死ねる高さに位置する窓には鍵がかけられていて、ロックを外しただけではあけられなくなっていた。面倒くさいことすんなよ。
剣道だって下手くそ。勉強ももう半年くらい良い成績はとっていない。頑張って授業を聞いても良くならない。才能ないし、努力する気も失せてしまった。
どうしようもないなあ、俺。なんでこんなになっちゃったんだろう。いつからこんなんだったんだろう。
死んじゃいけないって、学校楽しいって思えるようになったはずなのに。そう決めたはずなのに。友達は大事だって、ちゃんとわかったはずだったのに。なんでだろ。どうしたらこんな思いしなくて済むのかな。
なんでかがわからないからどうしようもない。
『潤、救いようないね』
昔言われた言葉が蘇った。その通りだった。もうどうしようもない。変わりようがない。気持ち悪い。俺じゃないみたい。
だけどもう、こうなる前の俺を忘れたよ。
漠然とした気持ち悪さを、身体が憶えているだけ。普通ってなんだろう。みんなはどうしてあんなにちゃんとしていられるんだろう。なんで俺だけ変われないままなのかな。死ぬしかないみたいじゃん。なんで生まれてきたのかわかんないじゃん。間違えたのかな。本当は生まれてきちゃいけなかったんじゃないのかな。じゃなきゃほら、辻褄が合わないんだよ。
誰の声も聞こえない。
何の音も聞こえない。
どの言葉も響かない。
誰の思いも伝わらない。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるい死にたい死にたいしにたいしにたいしにたいしにたいしにたいしにたいしにたいもう生きていたくない生きてるのが辛い逃げだってなんだってそれでいい。
俺何言ってるんだろう。何考えてるんだろう。意味わかんない。支離滅裂じゃん。ああ、もともとだっけ?
狂っちゃったのかな?狂っちゃったほうが楽だ。もう何もわからなくなればいいんだ。酒でも煙草でもヤクでもなんでもいい。何も分からなくなるならそれでいい。全部忘れたい。みんなを忘れたい。
自分の身体にいるのが嫌だよ。汚れすぎて見ていられない。逃げたい、全部降りたい。生まれてなかったことにしたい。最悪なのぐらいわかってるよ。だけどもう死にそうなんだから死んだって変わんねえよ。
償うとか逃げだとか、全部死にたくないから作った言い訳だ。自分の言い訳を信じ始めた俺はお終いだね。嘘つきの最終形だよ。
ちゃっちゃと死ねないかなあ。贅沢言えばプラス思考になれないかなあ。なんでこんなに辛いんだろう。なのになんで死ねないんだろう。
決まってる。
これが俺のしたことだからだよ。
その時寺本潤の目には何も映っちゃいなかったし、そこには狂気が宿っているだけだった。
クラスメートは誰もそれに気付いてはいなかったけど、気付いていたところで何かできたのかというとそれはきっと何もできなかっただろう。
チャイムが鳴って朝のホームルームは終わった―――――そして、それは始まった。……否、やはり終わったと言うべきかもしれない。
というか、ひょっとしたらひょっとすると、寺本潤が生まれてしまった十三年ほど前に、それは既に終わっていたのかもしれない。




