【転章】 ごく一般的なお父さん
ーー日本はどうなってしまったのか。
ひたすらに走りながら、わたしはそれだけを考えていた。
今日、《奴ら》は突然現れた。
総勢二百名ほどの集団。
みな総じて若かった。年齢にしてだいたい高校生ほどか。
ふいに出現した高校生たちが、摩訶不思議な力を使って街を、人を、すべてを破壊し始めた。
その力は常識をはるかに超えていた。
奴らの放つ謎の攻撃ーー光の可視放射とでもいおうかーーによって、人々はあっけなく死んだ。殺人という最大の禁忌を、奴らはいとも容易くやってのけた。
それだけではない。
光の可視放射は、建物をも簡単に瓦解させる。わたしが何十年と生きてきたこの街を、奴らは一瞬にして壊滅させた。
街にはもう、かつての面影もない。
原型をとどめている建物はなく、すべて無惨に崩れ落ちている。あちこちに火の手がまわり、呼吸さえままならない。
そのなかで、わたしは逃げていた。五歳になったばかりの子どもの手を引いて。
妻はパートの仕事にでかけている。無事に生きているのか連絡を取りたいが、しかし立ち止まることは許されない。
なぜならーー
「待ちなさい!」
ちらと背後を振り向くと、数名の警官がわたしを捕まえんとばかりに追いかけてくる。
虚ろな表情で。
涎を垂らしながら。
おぼつかない足取りで。
この非常事態に、警察官とあろうものがなにをしているのか。最初はわたしも怒りを感じたが、どうやらおかしいのはあの警官たちだけではないようだ。
なんと日本の治安を守るはずの警察官が、あの高校生たちの味方をしているのだ。警察官は、街に恐慌をきたしている彼らを捕らえるどころか、わたしたちのような一般の市民を敵視してくる。
日本は終わった。
警察だけではなく、自衛隊や救急隊などの、運動能力に優れた組織もみな同じ状態になっている可能性がある。この緊急事態になにもしてこないのだから。
日本はどうなってしまったのか。
昨日まではいたって平和だったのに。平凡でも幸せな日々を過ごしていたのに。
悲鳴、怒号、泣き声。
ごうごうと炎の燃える音。
そして、無味乾燥な国民保護サイレンまでが鳴り響いている。大規模テロ情報、大規模テロ情報……
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
周囲を見渡せば、胸を貫かれて絶命している人の遺体までが見られる。こんな光景を娘に見せたくはないが、しかしそれを考えていられる余裕もなかった。
「パパ、もう無理だよ。私走れないよ……」
娘が泣きそうな顔で体力の限界を訴えてくる。
「諦めるな! 止まったらいけない!」
「でも……もう、疲れたよ……」
さすがに限界か。さっきから走りっぱなしなのだから仕方ない。親のわたしがしっかりしないといけない。
わたしは自分自身の疲労は無視し、娘を抱き抱えると、再び走り出した。絶対に生きて帰るのだ。
「無駄さ」
ふいに声が聞こえた。
いつの間にか現れたのか、やや小太りな若者がわたしの目の前に立ちふさがっていた。
例の高校生集団の一員か。だとすると危険だ。このまま突っ切って逃走するしかない。
若者はわたしに向けて右手を突きだした。その拳に光の粒が収束されていく。
思わず怖ぞ気を感じた。
理由はわからない。
だが、わたしの本能が訴えていた。このままでは殺されるとーー
その瞬間。
「おおおおおおっ!」
突然響いたその大声。
わたしは目を見開いた。
また高校生のような若者が現れたからだ。
しかし、その高校生はテロリスト集団とはどこか違うようだった。彼は両手に漆黒の剣のようなものを握り、小太りな若者に切りかかった。腕がまるごと切断される。
「ああああああっ!」
小太りな若者が情けない悲鳴をあげて泣きじゃくる。もう戦意は喪失したようで、もうわたしになにかしてくる気配はない。
「き、きみは……」
思わずかすれた声を出してしまう。
助けてくれたというのか。この貧弱そうな高校生が。
彼はちらりとわたしに目を向けると、その痩身からは想像もつかない頼もしい声で言った。
「危ないから逃げててくれ。あんたたちは俺が守る」
「ま、守るだって……? しかし、街はすでに……」
「安心しろ。すでに俺の味方も動いてる」
「み、味方……?」
言われて気づいた。
新たに現れた若者は彼だけではない。
見れば、多くの若者たちが、テロリストや警察官に向かって戦いを挑んでいたのである。




