通達の隙間 1
リンドル地方役所の使者は、集会所の入口に立ったまま、もう一度封筒を掲げた。
「グレイル村旧坑道周辺における危険物調査について。民間組合による独自調査および検体送付は、一時停止していただきます」
室内のざわめきが大きくなった。
薬草問屋の主人が隣の男と顔を見合わせ、運送商会の番頭は露骨に眉をひそめる。倉庫を持つ商人たちからも、不安げな声が上がった。
「調査を止めるのか?」
「では、グレイル方面の荷はどうする」
「役所が安全だと確認するまで、こちらで止めておくしかないだろう」
「だが、流通を勝手に止めるなと言われたのでは?」
それぞれの不安が別々の方向へ膨らみかける。
オリヴァーは、すぐには口を開かなかった。
使者の灰色の外套。
濡れた革鞄。
封筒に押された地方役所の公印。
見たところ、書状そのものは正式なものだ。
だが、早すぎる。
三組合が内々の話し合いを終えたのは、つい昨日。実務を担う商人たちへ招集をかけたのも、その後だ。
それなのに、会合が始まる時刻に合わせたように通達が届いた。
偶然と考えるには、少し出来すぎている。
「全文を読んでいただけますか」
オリヴァーが言った。
使者は彼へ視線を向ける。
「要旨は、今申し上げた通りです」
「要旨ではなく、全文です」
声は穏やかだった。
だが、譲る気がないことは伝わった。
「この場には、調査に人を出す者、荷を止める者、水を運ぶ者がいます。何を禁じられ、何が禁じられていないのか、正確に確認する必要があります」
ロアンが隣で筆を構え直す。
「発行元、発行日時、受領者名も記録します」
使者の目が、若い記録役へ向いた。
「そこまで必要でしょうか」
「必要です」
ロアンの返答は、少しだけ硬かった。
けれど、声は震えなかった。
「後で内容に違いが出た時、どの通達を誰が受け取ったのか分からなければ困ります」
オリヴァーは何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに頷く。
ロアンはそれを見て、筆を握る指に力を込めた。
使者はしぶしぶ封を切り、書状を開いた。
「では、読み上げます」
室内が静まる。
「――グレイル村旧坑道周辺において、瘴気性危険物が存在する可能性あり。未確認の危険物に対し、民間組合および商会が独自に調査、採取、封印、移送を行うことは、住民ならびに調査員の安全を損なう恐れがある」
そこまでは、もっともらしい。
「――よって、危険物の採取、封印、移送、および検体の王都送付は、地方役所の確認と官吏の立会いが整うまで一時停止とする」
魔術組合長の眉が、わずかに動く。
「――また、グレイル村方面からの流通荷について、民間判断による一律の差し止めは商業混乱を招く恐れがあるため、役所の判断を待つこと」
使者はそこで顔を上げた。
「以上です」
「発行責任者は」
オリヴァーが問う。
「地方役所名義です」
「責任者個人の名は」
「通常の臨時通達ですので、役所印で足ります」
ロアンの筆が、紙の上を走る。
――発行責任者個人名、記載なし。
「発行時刻は」
「本日の朝です」
「誰からの上申を受けて発行されたものですか」
使者の顔に、わずかな険が浮かんだ。
「それは役所内部の手続きです」
「分かりました。その回答も記録します」
オリヴァーは追及しなかった。
追い込む必要はない。
答えなかったという事実が残ればいい。
薬草師組合長が椅子から立ち上がった。
「ひとつ確認したい」
「どうぞ」
「グレイル村では、井戸が使用停止になっている。雨で旧坑道の排水路が半ば埋まり、その後に水質異常が疑われたためだ。現在は南の泉から水を取っているが、反応針での確認を欠かせない状態だ」
使者の顔がわずかに曇る。
その事情までは詳しく聞かされていなかったらしい。
「井戸の封印状態の確認と、南の泉の水質確認も、独自調査として禁じるのか?」
「危険物へ直接触れる調査は――」
「井戸と泉の話をしている」
薬草師組合長の声が低くなる。
「村人が今日飲む水だ。危険物の採取ではない」
使者は言葉を選んだ。
「水質確認については、役所の担当者を――」
「いつ派遣する」
今度は魔術組合長だった。
「今日か。明日か。それとも一月後か」
「日程は、役所内で調整した後に」
「その間、村人は何を飲む」
室内が静まり返る。
使者はすぐに答えられなかった。
オリヴァーはその沈黙を待ってから、静かに口を開いた。
「通達の趣旨は理解しました」
皆の視線が集まる。
「三組合は、未確認の危険物について、採取、封印、移送を行いません。旧坑道内の危険物へ、独自判断で接触することも控えます」
使者の表情が、わずかに緩んだ。
しかし、オリヴァーは続けた。
「一方で、住民の健康聞き取り、使用停止中の井戸の封印確認、現在使われている南の泉の水質確認、薬草や流通荷の販売前検査は、各組合の通常業務です」
使者の顔から、緩みが消える。
「それらも、危険物調査と一体である可能性があります」
「可能性、ですね」
「ええ」
「では、明確にしてください」
オリヴァーはロアンへ視線を送った。
ロアンが新しい紙を一枚、机の上へ置く。
「住民の健康確認を停止する。井戸の封印保全を停止する。飲用中の泉の水質検査を停止する。薬草問屋による販売前の自主検査を停止する」
オリヴァーは一つずつ、ゆっくり言った。
「地方役所がそれを命じるのであれば、発行責任者名とともに、書面でいただきたい」
「そこまでは申し上げていません」
使者は即座に答えた。
「では、続けます」
「ですが――」
「危険物には触れません」
オリヴァーは遮った。
声を荒らげてはいない。
それでも、室内の空気が張り詰める。
「私たちは、村人に水を届けます。症状を聞き取ります。薬草を売る前に、安全かどうか確認します。封じた井戸から水が漏れていないかを見ます。これは危険物の回収ではありません」
薬草師組合長が、はっきりと頷いた。
「治療と薬材管理だ」
魔術組合長も続く。
「飲用水への非接触測定は、危険物採取ではない」
魔道具師組合長が腕を組む。
「井戸に置かれた封印具が壊れていないか確かめるのは、封印具の保守だ。新たに何かを封じるわけではない」
使者は三人を順に見た。
一組合だけなら、押し切れたかもしれない。
だが、三つの組合長が、それぞれの通常業務として同じ線を引いている。
その背後では、大店や問屋の者たちが成り行きを見守っていた。




