第69話 秘密の灯りと熱い夜
【7月7日(土)18:00 ―― 隊員クラブにて】
妻たち、そしてお目付け役の北川さんへの事前報告をきっちりと済ませ、僕は夕方の18時過ぎに駐屯地内にある「隊員クラブ」へと向かった。
監督であり第3夫人のクリスからは、「必ず21時までには戻ること」と釘を刺されている。今夜は彼女と褥を共にする約束をしていたからだ。門限厳守の、ちょっとスリリングな密会である。
赤提灯が灯る隊員クラブの前に着くと、僕の連絡係である牧野椿姫大尉はすでにそこに立っていた。僕の姿を認めた瞬間、彼女の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「天馬さん、お待ちしておりました!」
今日の彼女は、上下の迷彩服に運動靴というラフなスタイルだったが、何より僕の目を引いたのはその「髪」だった。
普段は軍人らしくキッチリとアップにまとめられている栗色の髪が、課業外(業務時間)なこともあってか、今日は肩までサラリと下ろされている。ストレートな髪が縁取る彼女の横顔は、いつもよりずっと新鮮で、その大人びた美しさが際立って見えた。
ちなみに僕は、お気に入りのTシャツにジャージ姿だ。
店内に入ると、一斉に猛烈な視線が突き刺さった。
当たり前だが、店内の客は全員が椿姫さんと同じ迷彩服姿の女性隊員で、男性の姿は一人もいない。一瞬でざわめき立つ騒がしい雰囲気に、僕はどこか懐かしさを覚えて嬉しくなる。気を使って奥の個室へ移動しようとする椿姫さんを、僕は手で制した。
「せっかくですから、ここで気楽に飲み語りましょう。その方が楽しいですし」
「えっ……あ、はい! そうですね」
椿姫さんは驚いたように目を丸くしたが、どこかホッとしたように表情を緩めた。彼女の頬がほんのりと赤く染まる。
こうして、二人きりの秘密?の飲み会が始まった。
普段は凛々しく、一切の隙を見せない牧野大尉だったが、ジョッキを傾けながら話すうちに、徐々に「素の女性」としての顔を見せてくれた。
「実は私……男性とお付き合いした経験って、一度もないんです」
少し照れくさそうに明かしてくれた彼女は、高校までは普通の共学に通い、生徒会役員をしていたらしい。
「偏差値の高い進学校だったので、他校に比べれば男子の数は少なかったんですけど……みんな根は真面目で、性格が悪い人はいなかった記憶があります」
高校時代まではそれなりに男子生徒と会話を交わしていたそうだが、どこか物足りなさを感じていたという。
その後、現在は陸軍大将を務めているという母親の影響を強く受け、自らも陸軍を目指して陸軍士官大学へと進学したのだと、誇らしげに語ってくれた。
「葵も、実は今――」
彼女が家族の話、特に妹の葵さんの話題に触れようとした、その時だった。
僕はそっと言葉を遮り、テーブルの上に置かれた彼女の白い手に、自分の手を重ねた。
「葵さんの話も素敵ですけど……今は、椿姫さんのことをもっと知りたいな」
「っ……あ……!」
椿姫さんは衝撃を受けたように息を呑み、顔を真っ赤にさせて硬直した。しかし、拒むようなことはせず、僕の手をそっと握り返してきた。その手のひらは驚くほど熱く、指先に込められた力からは、彼女の内に秘められた情熱と、妖艶な色気がじわりと伝わってくる。
(やっぱり、すごく魅力的な女性だな……)
その後も、彼女が新米幹部候補生だった頃のキツすぎる訓練のエピソードなどを身振り手振りで話してくれて、時間はあっという間に過ぎていった。
クラブを出る頃には、お互いのプライベートの連絡先を交換し、「また絶対に飲みに行きましょう」と約束を交わした。
「じゃあ、椿姫さん。おやすみなさい」
別れ際、僕は彼女の耳元で囁き、その白い頬にチュッと軽くキスをした。
「ふぇっ……!?」
椿姫さんは完全にキャパシティをオーバーしたようで、顔を真っ赤にしたまま、ロボットのようにその場でフリーズしてしまった。
僕はクスッと笑って手を振り、固まっている彼女をその場に残して、一足先に宿舎への道を急いだ。
自室に戻ったのは20時20分。すぐにメッセージアプリを開き、椿姫さんへ『おやすみなさい』の言葉にハートマークを添えて送信する。
すると、秒速で『おやすみなさいませ……!』と同じくハートマークのついた返信が返ってきた。
お堅い軍人だと思っていた彼女の可愛い一面に、僕の胸は心地よく弾んでいた。
その後は急いでシャワーを10分で浴び、身体を清めてから門限直前の20時40分にクリスの部屋のドアを叩いた。
ついさっきまで別の魅力的な女性とデートのようなことをしておきながら、夜は妻の部屋を訪れる。
元の世界の倫理観からすれば複雑な心境だが、この世界ではこれが合法であり、むしろ推奨される常識の範疇なのだ。
(早くこの感覚に慣れていかないとな……)
そんなことを思いながらドアを開けた、その瞬間だった。
「天馬、待ってたわ……!」
衣服を一切身にまとっていない、一糸まとわぬ全裸姿のクリスが、狂おしいほどの熱量で僕の身体に飛びついてきたのだ。
今夜のクリスは、いつも以上に激しく、貪るように僕を求めてきた。言葉を交わす暇すら与えられないまま、僕たちはベッドへと雪崩れ込む。
彼女の息遣いは荒く、僕の身体のあちこちに爪を立て貪り、まるで飢えた獣のように情熱的だった。
朝を迎えるまで、僕たちは何度も、何度も激しく愛を交わし続けた。どうやら、今夜は彼女の排卵日だったらしい。
子孫を残そうとする本能が、彼女の理性を完全に消し去っていたのだ。
翌朝の日曜日――朝食へ向かう直前にも、クリスから「もう一回……」と熱いアンコールを求められた。
全ての行為を終えた後、クリスは心身ともに完全に満たされたような、この上なく幸せで妖艶な表情を浮かべて僕の体に抱きついていた。
7月8日㈰――朝食の隊員食堂にて――
「……?」
翌朝、妻たちや蘭と一緒に隊員食堂でテーブルを囲んでいると、何やら周囲の空気がおかしかった。
美月や奈月、愛里たち妻グループが、僕の顔を見てはクスクスと意地の悪いニヤケ顔を浮かべているのだ。
さらに婚約者の蘭に至っては、僕の顔を見た瞬間にスプーンを持ったままフリーズし、その後、顔を耳まで真っ赤にして、熱烈に蕩けたような表情で僕をガン見し続けている。
食堂にいる女性隊員たちも、僕の顔(というか首元)を見ては手を口に当てて、「えっ!……凄い……」と驚きの表情を浮かべたり、わざわざ二度見してきたりする者もいた。
わずかに数人だけいる、当直勤務の腕章を着けた男性隊員たちも、何やら衝撃を受けたような顔でこちらを見ていた。
僕の隣に座るクリスはというと、“ふんす”と鼻を鳴らしながら、これ以上ないほど勝ち誇ったようなドヤ顔で味噌汁をすすっている。
あまりの不審さに耐えかねて、正面に座る朱里に小声で尋ねた。
「あのさ〜、朱里。みんなさっきから、僕の何を見てニヤニヤしてるの?」
「ひゃっ!? だ、ダーリン……その、昨夜は……大変お疲れ様でしたっ!」
朱里はポッと顔を赤くして、激しくあわてながら視線を逸らしてしまった。
今度は美月に話を振ると、彼女はついに堪えきれずに吹き出した。
「あははっ、天馬、自分の首筋を、あとで鏡で見てみるといいわよ? クリスったら、これでもかってくらい大量に『マーキング』を残してるんだから。あはははは……激しい夜だったのね?」
「えっ……!?」
クリスをチラリと見ると、彼女は昨夜の熱い時間を思い出したのか、頬を染めながらニヤニヤと笑っている。他のみんなも赤面し、蘭はボーッと妄想の世界にトリップし、僕を見つめたまま朝食を進めていた。
朝食を済ませた後に、急いで部屋に戻り、洗面所の鏡を覗き込んだ僕は、思わず頭を抱えた。
鏡に映る僕の首筋には、はっきりと“ソレ”と分かる鮮烈な赤紫色のキスマークが、数箇所にわたってバッチリと刻まれていたのだ。
「うわあぁぁぁ……!こっ、これじゃ〜昨夜はベッドで大暴れしましたって……周りに宣伝してるようなものじゃないか……!」
穴があったら入りたいほどの羞恥心がこみ上げてきたが、裏を返せば、それだけクリスに深く愛されているという証拠でもある。僕は「これも夫としての勲章か」と無理やり気持ちを切り替え、今更だが、大きめのバンドエイドを数枚ペタペタと貼り付けてマークを隠した。
「よし! 今日も一日、頑張るぞ!」
気合いとともに部屋を飛び出した――までは良かった。しかし、勢いが良すぎたらしい。ふと我に返ると、僕はボクサーパンツ一枚の姿だった。どうやら着替えの途中で記憶が飛んでいたようだ。おまけに不運は重なるもので、この部屋はオートロック式でドアは閉まってしまった。さらに絶望的なことに、今日は練習が休みの「日曜日」だった。
幸いなことに同じフロアには妻たちの部屋もある。僕はやむを得ず、一番近い隣のクリスの部屋の呼び鈴を鳴らし助けを求めた。
ドアを開けたクリスは、僕の姿を見て一瞬フリーズ。だが次の瞬間、何も言わずに僕の手を掴み、部屋の中へと強引に引きずり込んだ。……そして、僕はそのまま再び襲われる羽目になったのである。
僕の首筋に、新たなマーキング(キスマーク)が追加されたのは言うまでもない。
〜〜〜〜〜
朝8時過ぎ頃——
ようやくクリスより開放され、僕はクリスが用意してくれたジャージ姿で一階の管理人室に事情を話し、管理人(女性)に僕の部屋を開錠してもらった。
部屋に戻ってから着替え(ジャージ姿)をしてから、ノートパソコンを持って応接室へと移動した。
応接室には既に妻らと蘭がいる。
蘭は未だ僕に熱い視線を送っていて、僕の隣りに移動してきて、鼻をヒクヒクさせて、赤面し蕩けた表情をする。
先ほどまでクリスに襲われていたので、匂いが残っているのかも?
そんなことは気にせず、リモートを繋ぐ作業を続ける。
クリスはと言うと、何もなかったかのように、淡々としていた。
今日、みんなが応接室に集まったのは、僕が参加する予定であったランフェスの視聴をするためだ。
本来、僕の7月と8月のスケジュールにレースの予定は入っていなかった。僕が元いた世界の実績をもとに組んだ当初のプランは以下の通りだ。
9月:フルマラソン(非公認レース)
10月:30km走(非公認レース)
11月:フルマラソン(公認レース)
しかし、6月のハーフマラソンで世界記録を更新した反響があまりにも大きかったため、急遽、本日7月8日の日曜日、非公認の市民ランニングイベント「荒川ランニングフェスティバル」の10km走にゲストランナーとして出場することが決まっていたのだ。
このイベントへの参加を決めた理由は、ただ一つ。「日本にランニング文化を広め、男性が気兼ねなく参加できる大会を増やすため」である。
お祭りイベントなのでガチな走りは封印し、一般の参加者の方々と笑顔で並走する「ファンラン」を楽しむ予定だった。
主催は大手メディア「Jウィーク」とネット配信チャンネル2局も共催。
それとSNSの人気インフルエンサーたちも多数参加しており、あの元マラソン日本代表で知名度抜群の「Jウィーク」専属の美人記者、「吉永里枝」さんもリポーター兼ランナーとして出走することになっていた。
僕がゲストとして走ることが事前に大々的に宣伝されていたため、エントリー数は瞬く間に10,000名を突破した。
ランニングイベントとしては異例中の異例ともいうべき大規模なフェスに発展していたのだ。
結果として、僕は今回の一連の事件のせいで出場辞退となってしまったのだが……。
ネット配信で現地の様子を視聴した僕は、思わず声を上げた。
「あ! 鷹司君に、一条君!?」
画面に映し出されていたのは、我が東相大学陸上長距離・駅伝部の男子マネージャーである鷹司君と一条君の二人だった。東相大学のジャージ姿の彼らは、それぞれの嫡妻と厳重な護衛陣を伴い、カメラに向かって満面の笑みで手を振りながら、楽しそうに荒川の河川敷を走っていたのだ。僕の代わりに、イベントを盛り上げようと自ら出走を買って出てくれたらしい。
さらに驚いたことに、二人の母親であり、京都の名門華族、そして辣腕の実業家としても全国に名高い鷹司陽菜さんと一条千晶さんまでもが、華やかなウェアに身を包んでイベントに参加してくれていた。
日本を代表するセレブ親子の突然のサプライズ出走に、現地の実況は大興奮し、ネットのコメント欄もハチャメチャに盛り上がっていた。また、僕の呼びかけに応じるように、約20名もの一般男性ランナーたちも堂々と参加しており、大会は大盛況を収めていた。
部員たち29名全員も参加してくれて、ゆっくりジョギングペースで沿道の人らに手を振りながら走っている。
そんな部員らを見て、僕の目頭がつい熱くなってしまう。
隣りで視聴する蘭に至っては、涙を流していた。
僕はリモート機能を通じて、イベント会場の特設スクリーンへ「今回、どうしても現地に伺えず本当に申し訳ありません。代わりに走ってくれた仲間たちに心からの感謝を!」とメッセージを送った。
すると、画面の向こうにいる1万人もの参加者たちから、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
『天馬くーーん! 待ってるよーー!』
『次こそ一緒に走ろうねーー!』
と、温かい声援の嵐が、電波を通じて僕の胸に真っ直ぐに届く。
不自由な保護生活の中ではあるけれど、僕が蒔いた「ランニング」という名の種は、確実にこの世界で芽吹き、人々を動かし始めている。
(少しずつでいい。こういうイベントを増やして、いつか男性も女性も、誰もが自由に風を切って走れる世界を創っていくんだ)
画面の向こうで輝く参加者たちの笑顔を見つめながら、僕は未来のグラウンドへと、確かな一歩を踏み出す決意を新たにしていた。
次回の更新は来週の月曜日となります。大変お待たせして申し訳ありませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
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