9. 神話倫理法律学1
その教室は坩堝学園の西に位置する武家屋敷をそのままマンションにしたかのような城だった。
坩堝学園は巨大な大樹の城からなる学園だ。
坩堝と冠するだけあり見た目から混沌として摩訶不思議な城だ。
巨大な《星樹》と呼ばれる聖なる大樹はこの世界創世記からある大樹だと言う。
その神聖なる大樹から実のように枝のように色んな城がニョキニョキと生えている。
一番目立つのは中央にそびえたつ金色の天守閣が美しい城。
それが本館であり、りんの母リリス学園長が執務する城である。
移動するには巨大な大樹の中の入り組んだ廊下や階段を魔導端末アプリの地図を頼りに歩かなければならない。日々廊下も様変わりするから。
色んな種族や異形の者が通う学園だからバリアフリーの規模が違う。とにかく広大なのだ。
巨人族が通うことを想定された間取りらしい。
扉や天井が20メートル超えだから巨人族もそのくらいなのだろうか。種族図鑑では個体差ありと書いてあった。
小さな巨人族もいるのだろうか。
ーーー小さい巨人族さんかあ。会ってみたいな。
そんな邪心を抱えながらもその広大で複雑な廊下を上に下に移動して辿り着けた教室。
《神話倫理法律学》
この教室は日々現在地が変わる摩訶不思議な教室だ。
魔導端末の地図アプリなしでは辿り着けない。
そう看板が掲げられた教室の前でりんは深呼吸した。
少し緊張している。
これからりんが教えを乞うのはりんにとっては少し苦手意識のあるお方だからだ。
また深呼吸。手をワキワキした。
手が震えている気がした。
仕方ないから一息ついて声を張り上げた。
女は度胸である。
「失礼します!一年雷クラス。佐藤 りんです」
「あ〜〜どうぞ〜〜お入り〜〜」
声がしたから入室した。
木製の襖のような軽い扉が音もなく開く。
室内には。
ーーー誰もいなかった。
まず目に飛び込むのは天井からぶら下がるように浮いている巨大な天秤だ。
その天秤は神々しくもいぶし銀のような威風堂々とした風格で鎮座している。
ゆらゆら揺れるそれは鈍く光り、りんを迎えた。
いつもの講義では所狭しと並べられている学生達の机や椅子が何故か無い。
掃除をしたのだろうか。
物がないとこうも伽藍洞としているのかと感心する。
いつもよりも広く感じる教室にりんの足音が反響している気がした。
耳がぼやぼやとする。
内装は和洋折衷、日本風に言うと《大正ロマン》を感じるものだった。
木目を感じる柱や調度品は和を感じるようで西洋アンティークの匂いがした。
襖も和の落ち着いた雰囲気よりも華やかさが目立つ。
まるで振袖の和柄を貼ったかのような壁紙。ビードロのような光沢の魔導照明。
雑多になりそうな個性のぶつかり合いが絶妙なセンスで纏められている。
それはまるで。
「空隙せんせい、そのものみたいな教室だなあ…………」
「ありがと。口説いてくれてるの?嬉しいな」
「ふあ!!!!」
突然香った白檀の香。
ふわりと香った匂いと共に現れたのは空隙 ヌラ教諭だ。
背後からりんの耳元でその美声を震わした。
耳がこそばゆくなり思わずおさえた。
耳を押さえて口を抑えなかったから変な声が出た。
そのりんを覗き込み彼はにんまりと笑っていた。
金髪のボブヘアがサラリとりんの頬にかすった。
細められてニッコリと笑う教諭の瞳が実は糸目ではなく大きなルビーのような色を隠しているのをりんは知っている。
空隙教諭。
りんが唯一苦手とする教諭だ。
「………驚きました」
「うん。わざとしてるからね」
「………ですよね」
君面白いんだもん!!と語尾に音符が見えるほど底抜けに明るい声で空隙教諭は笑った。
「意外だな。君、僕苦手だろ。
まさか単身で来てくれるとは思わなかったよ。
君。行動もトリッキーなんだね。面白い」
「ははは………はは」
胸にいだいた分厚い紙の束や教科書を持ち直してりんはヘラリと笑った。
その笑い方すら面白かったらしい。
空隙教諭の笑みが深まった。
「うわあ………。その引き攣った笑顔。
王子様の仮面被れてないよ?
おやおやおや。敵には弱みは見せてはいけないぞう〜〜」
ああ。苦手だ。
この人はなんでこうも《優しい》のだろうか。
「あ。敵とは思っていないです。
苦手意識はあります。ごめんなさい。
空隙教諭のことは心から信頼しています。教諭としては。
人格までは推し量れるほど私が人間出来てません。
ただ。
空隙教諭には《繕い》は無意味だと自覚しているだけです。
………上手く優等生の生徒を演じられず申し訳ない」
りんはビシリと手の平を空隙教諭に見せる《降参》の仕草をした。
その後ペコりと頭を下げて謝った。
自称優等生としての矜持は揺らぐけど誠実なことは大事だ。
詫びるしかない。
「………………………」
「?」
しばし空隙教諭の空気が固まった。その匂いの揺らぎとともに。
空隙教諭の匂いはまるでゆらりと空気に溶ける蜃気楼のような揺らぎを感じるのだ。
ふわふわした心地がする。
皆はそれを癒しと感じるのか気安いと感じるみたいで空隙教諭は生徒人気が高い。
いつもニコニコ。柔らかく話し笑い飛ばす。
大らかな豪快に笑う底抜けに明るい教諭。
その教諭に常に心を探られると感じるりんがたぶん悪い子供なのだろう。
人は罪悪感を感じると居心地が悪いものだから。
「ほんと。君。いいこ〜」
「あ、そういうお世辞は無用です。お気遣いありがとうございます」
「え〜〜?僕嘘は吐かないよ?
湾曲させる言葉遊びもしてないつもりなんだけどなあ」
「うわ………本当いい子なんだもんなあ。やりづらいなあ〜」
そう呟きながら空隙教諭は自ら茶をたててくれた。
シャカシャカ泡立てしっとりと茶碗を回してりんの前に置く姿は雅な若旦那といった雰囲気だった。
なんの若旦那って?
表ではお茶っ葉。
裏では違法薬物を売り捌いてそうな若旦那だ。
そんなアウトローな雰囲気と色気があった。
「その《生徒に忖度しない》空隙せんせいだからこそ。
私は信頼して教えを乞いに来ました」
「ね?それがそもそも驚きなんだよ」
ま。こっち座りなよ。
とお茶をたてた堅苦しい空間から空隙せんせいは奥の畳が敷き詰められた応接間のような部屋に促した。
刺繍の素晴らしいふわふわした座布団がいつの間にか敷いてあった。
にじるように座布団に腰を下ろすとなんとも言えない包み込む心地よさ。クッションが魔法のような柔らかさだった。
教室に続く扉は閉めない。
その動作にりんはやっぱり空隙教諭は信用出来る人だと改めて確信した。
「君は《人気者》だ。
先輩からの信頼も厚い《生徒会長》だ。
クラスのリーダーとしても素晴らしい求心力がある。
素晴らしい母もいる。担任も優秀で頼りになる。
それなのに。僕?
それこそ《下心ある》と期待してしまうシチュエーションだよ?
放課後。時間外。僕の城。
倫理観が《種の存続》に特化してて子供の恋愛も生殖も奔放なこの幽玄異郷で。
君みたいな《現し世人類》女の君が男の教諭と二人きりって。
凄い危険なシチュエーションだってわからない?」
細めた瞳の隙間から怪しくルビーの光が漏れ出した。
まるでりんを探るように。
「その《危険な倫理観》を。
包まず隠さず忖度なく教えてくださるのは空隙せんせいだと信頼しています。
あと」
りんは一拍置いた。
これは自分の秘密の発露だったから。
「私は私を《欲する》男の匂いは現し世で、嗅ぎなれています。
欲しかない。
私の心などいらないと容姿や体だけにのみ執着する。
そんな愛情を伴わない匂いはドブ臭いんです。
女を欲で支配する匂い。
愛情の匂いのように甘くない。
………この幽玄異郷では嗅がない香です。
だから。私。少し無防備に見えますか。
心配してくださるから空隙せんせいはそんな探るようなことをなさる。
空隙せんせいが私を《子供》としてしか思っていないのも匂いでわかります。
大丈夫です。
そこの危機察知は信頼してください。
だからこその。
現し世での《正当防衛による傷害事件10回》です」
空隙教諭はキョトリとした後。
盛大に目を押さえて背後のソファに仰け反るように天を仰いだ。
何故。
「ごめん。信頼を覆すようだけど。
今のでぐらりと来た。
君本当………たらしこむの上手い。
欲に弱い現し世人類達が狂うだけある。
まあ………同じ愚かな存在と思われていないことは救いか」
「………?せんせいの匂いは変わってませんよ?」
「流石に胸の高鳴りと欲は切り離せる大人で教諭です」
「………?なら大丈夫ですね」
空隙教諭の目が開かれた。
その瞳が真っ赤なルビーのように煌めいた。
綺麗だからじっと見つめたら細まった。
「いやいやいや。
君のその信頼があまりに無垢だから僕こそ怖いよ〜」
「お互い様ですね?
私も常に推し量られて感じるのでせんせいは怖いです」
「怖いなら。お仲間引き連れてきなよ〜」
「そしたら。
《耳障りが良いように改変されたわかりやすい倫理観講義》しかお話にならないでしょ?
私が知りたいのは《本当の幽玄異郷の倫理観》です。
さささ。
よろしくお願いいたします」
りんはさっそく、うきうきと懐からポーチを取り出すと、ヒョヒョイとその中に手を差し込んでは中の書物を続々と取り出した。
そのあまりの多さに空隙教諭は目をひん剥く。
歴代生徒会長が引き継がれる《無限ポーチ》だ。
岸に見せたら「四次元ポケット?!」と興奮したものだ。
青いロボットはいないしもちろん時空は超えられない。
収納力だけは抜群のポーチからだされた書物は10を超えた。
「待って待って待って。
そんな純粋な瞳で《真実の探求》みたいにキラキラ見つめないで!!
ここの神話と倫理観。法律だって。
仕事してなくてお下劣で救いないこと察してるよね?
だから身内にも友達にも聞いてないんだよね?
テストにはそこまで出さないから!!
君の年ならふんわりで良いんだよ?ふんわりで!
ね?待って。やめて。
僕。底抜けにうきうきした瞳に弱いからやめて!!」
「そこをなんとか!!
幽玄異郷の民じゃない私だと解釈と倫理観がずれるだけで文章問題詰むんですよ。
真にそのズレを理解しないまでも自覚出来ないとッ………。
この古代神話の《肉袋》って女体のことですよね?肉の詰まったソーセージなんて解釈したら前後の恋物語が台無しですよ?聖女物語の発端は《生贄信仰》だったとか友達と討論出来ます?出来ませんよね?みんな私のこと気遣ってほんとうの神話を話してくれないんですね?
見た目が私、ぼけぼけしてるからか皆が「性と欲は見せちゃいけない」なんて思うみたいで。
こちとら、現し世で歌舞伎町でバイトしてましたよ?
歌舞伎町ですよ?
お母様は倒れちゃうから話さないけど、男と女のドロドロ見ましたよ?
そんなに私、純粋無垢ではないですよ?
反応が鈍感に見えるだけです。
男と女がキスでは赤ちゃん出来ないくらいは知ってます!!」
「君?!
僕を煽るだけ煽って、たがを外させる作戦だった?!
末恐ろしい生徒だな!?」
「さささ。
私なりにこの《現し世人類を命の糧として見る神とゆりかごとして溺愛する幽玄異郷の民の傲慢さと愛》って書物なんですけどね?
独自に解釈した論文を聞いてもらえますか?
現し世での愛とか欲とかと微妙にずれている観点が堪らなく興味深いんですよ?
ここなんか。
『愛がないと子は宿らない民からすると支配と暴力で女を蹂躙する発想はそもそもないものだ。それを軽くこなせる現し世人類はーーー』」
「待って!!君の朗読は危険だから!?
見るから。
ちゃんと討論はするから朗読はやめよ?!」
あまりに空隙教諭が焦るからりんは笑ってしまった。
それを空隙教諭はしてやられたという顔をしていた。
「うふふ。
やっぱり。ここの世界の皆さん過保護だ。
一番俯瞰して私に肩入れしなさそうな人を選んでもこれだもん」
クスクス笑いながらりんはため息をついた。
「お母様から教諭の皆様に開示がありました?
『私の娘佐藤 りんは。現し世で虐待経験があります。
その中には。男から受けたであろうおぞましいものも。
教育には配慮を 』って」
「………………」
沈黙。
一番言葉と空気を武器にしそうな教諭の沈黙。
その重々しいまでの空気を噛み締めながらも申し訳なく思いながらもりんは話し進めた。
教諭を困らせる自分がいい子な訳がないのだ。
「あ。ごめんなさい。
ここの教諭の皆様は私を《可哀想な子》なんて目では一切見ていません。
でも話してもいない方からも《気遣い》の匂いはします。
現し世で感じた《医療機関》の方々の匂いです。
………………正しく。
私は普通の生徒として扱ってもらえて感謝してます」
「そっか。君は《花火士》だった………」
花火士
正しくは《花爆ぜる匂いの薫りを見るもの》だ。
遠くの花が咲く瞬間の爆ぜる薫すら見たように感じる鼻をもつ。
要するに。
鼻がすこぶる良いのだ。
「………………神話も。ここでは御伽噺じゃないんだ。
真実は残酷だよ?」
「物語は残酷なことも現し世ではままありますよ」
「ここは。君等現し世人類を《糧》や《子作りのゆりかご》と扱う思想の神々が住まうんだ」
「………現し世では。
糧にすら利用されませんよ。子供すら望まないのに搾取されます。
まだここの《欲》のほうが誠実です」
「神は」
空隙教諭のルビーの瞳が淀んだ。
「現し世人類を《愛している》。過剰なほどだ。
君等への執着は僕等への比じゃない。
箱庭。この学園にいるうちだけでも知らないままで………」
「無知は罪なんですよ。せんせい。
その無知で私は母を失いそうになったし、大事な友達の人生を絶望させたんですよ。
知らないからと。
それは罪にならないんです」
「それ………は………」
空隙教諭はやはり知っているのだろう。
りんの養母がりんへの《虐待》の容疑で死刑になりかけたことを。
りんの友達の星が誤解して告発してしまったことも。
皆がりんに察せさせないように動こうとした善意が招きそうになった悲劇を。
「りんさん。君のせいじゃないよ」
ここまで説いてもまだ空隙教諭はりんの心配をする。
この世界の人々は優しすぎるのだ。
「現し世でも無知は搾取されるんです。
子供にも知る権利があります。でも、そこからどう認知を歪めないかの指導をお願いします。
私は。大丈夫です。
支えてくれる母も。友達も。家族もいます。
それに。
《神の欺き方》は現し世人類は得意なんですよ。
でも倫理も神話も法律も知らなかったら武器にならない。
せめて。クラスの皆と同じレベルになりたいんです。
昔から神様騙して利用してきた民族ですよ。日本人は。
結構タフです。遺伝子的にも」
「こわいよ………」
「へへへ」
「褒めてるけど褒めてないよ」
空隙教諭がドン引きだ。
「君の強さが………こわい。
現し世人類だからじゃないんだよ。
それもあるよ。希少な女の子だ。
その強さや。優しさ。皆を思う気持ちが。
自己犠牲では片付けたくない。
………子供らしく、いさせてあげたいなんて。
大人の驕りかな」
「わかります。子供の健やかさは癒やしですもの。
私も。
孤児院からの家族がいつまでも健やかなまま。
私にいつまでも抱きついてくれることを傲慢にも欲しがります」
「………君。子育て経験ある?」
「孤児院では24人の姉でしたね。今絶賛子離れ思春期対応中です」
「僕より子育て経験あるっっっ………」
空隙教諭の揺らいでいた空気と匂いが和らいだ。
ーーー武装解除完了………かな。
りんはニッコリと笑った。




