4.脱出と滞在
熊の男との冬が過ぎた。その間にも色々な事をデボラは経験したが、なんとか張るまで生き残る事に成功したのだ。
「約束よ、あたしをこの場所から逃がしてくれるんでしょう」
「ちゃんと約束したし、あんたが一生懸命に生き残ったのを知ってるさ」
春のまつゆき草が花を咲かせたのだから、とデボラは熊男を叩き起こし、その摘んだ花を見せてそう言った。
雪の深い土地柄、デボラがなんとか生き残れたのは奇跡に近い事でもあった。
生き残ったデボラは、それはもう痩せ細ったし、死にそうな顔色になったわけだが、生きているのだから賭に勝ったのである。
「あんた、骨と皮になっちまったな」
「そうなるくらいに大変な生活だったわよ」
「だろうな。……でもあんたは生き残った。運が味方したってやつなんだろうな」
「そうね。おかげで雪と乾燥豆があればそれなりの期間耐え抜くっていう、便利な知識を身につけたわよ」
「それだけ身につけりゃたいしたもんだな。……さあて、お嬢さんを隠す樽は……と」
「樽?」
「そう、樽。あんたを背負って山を越えるからな。樽の中に人間が隠れているなんて、このあたりの人間は考えもしないだろう。だから良い目くらましだ。樽を背負い籠代わりに歩く奴は一定数いてもな」
そういって熊男は廃屋の中をあさり、もうぼろぼろだが、デボラが入れそうな樽を一つ見つけた。
「これに入ってくれよ。ちゃんとあんたの冤罪のとばっちりが来ない場所につれてってやるから」
「それをちゃんと信じて良いのね」
「あんたすっかり疑い深くなったけど、生き残るにはそれくらい必要だな」
デボラは、ほかに石を投げつけられる生活ではない場所なら、どこだってもうかまわないと思いつつ、樽の中に入った。うまい具合にデボラの体は樽の中に入り、熊男がそれをひょいと背負った。背負えたのは、熊男の元々の持ち物の中に、背負い籠のためのくくり紐一式があったためだ。
「お嬢さん、あんたは海の側と山の側とどっちが好みだ」
「石を投げられない生活ならどこだって」
「了解」
少しの揺れは気にしない。春になった、やっとここから出られるのだと心が弾んだデボラは、樽の天井の蓋はないのを良い事と、春色の空を見上げて、これから始まる、もう石を投げられない生活に心を躍らせたのだった。
「石を投げられない生活がいいとは言ったわよ」
「言ったなあ」
「でもそれで案内されたのが娼館というのには、驚きを隠せないわよ」
「女の子がたくさんいて、紛れて暮らすならこういう所だろ」
熊男はなるほど、事実をきちんと言っていたし、嘘をついていない。険しい山を一ヶ月かけて登って隣の国に降りて、きちんと関所を通過し……一体どういう手段で通過したのか教えてくれないが……それなりの場所までデボラを連れて行ってくれた。
約束は守ったわけだが、連れられた場所は娼館という、デボラにとって未知の世界の場所であり、そこの老婦人が熊男に何かを手渡したあたりで、デボラは
「もしかして売られた?」
という疑問が頭をよぎった。だが。
「はっはっは、こんな皮と骨のがりがりを、買い取る様なお人好しじゃございませんわよ!」
と熊男に何かを手渡した老婦人が言い切ったので、売られたわけではなかった様子だ。
「ここは表向きはそういう店構えに見えるかもしれないでしょう、でも実際は大違い。心に傷を負った女性達が、ゆっくり心と体を休めるための施設でございますわ」
「どうして表向きがそんな店構えに……?」
「そうすると、国から援助金が出るのですよ」
「なんで……」
「公的娼館という登録がされていると、それなりの援助金をいただけるのですよ。ですから、自分からそうなると決めた女性は、店に出ますが、弱った大変な目に遭った女性は、裏で看病してされるのですよ」
なんだか頭の痛くなる抜け道である。確かに公的娼館という登録がされていると、もしもの時に助けてもらいやすいとは聞くが……まさかこういう事をしているところがあるとは。
「あなたもずいぶんと骨と皮。大変な目に遭ったのはよくわかりますわ。気を張ってつらくて大変な毎日だったのでしょう。ここで自分の足で立てるようになるまで、ゆっくりしてくださいね。多少のお手伝いはしていただきますけれど」
老婦人はそう言い、熊男にこう言った。
「あんたはさっさと薪割りに荷物運びにあれやこれ、仕事はいくらでもあるのですわよ!」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はい」
老婦人の言葉は、熊男には慣れ親しんだ物の気配があり、もしかしてこの女性が、魔女なのかもしれないと、デボラはこっそり思ったのだった。
そしてその娼館で部屋を一部屋与えられたデボラは、今までの張り詰めていた感情が緩んだことによって、熱を出して一週間もの間、寝込んだのであった。




