第753話 14歳(夏)…お姉ちゃんの嫁ぎ先(3/4)
それは獰猛な、それでいて狂気を感じさせる顔であった。
溜まりに溜まったストレスが爆発し、もう何もかもをメチャクチャにしてやるとヤケになったもの特有の気迫を感じさせた。
いったい何が奴をそこまで追い詰めたのか……!
「かかった――、だと?」
「ぐはははは、そうだ馬鹿め! 貴様はまんまと引っかかったのだ! この俺に残っていた、貴様に対する欠片ほどの良心! 貴様は提案を蹴ることでその息の根を止めてしまったのだ!」
「なん――、いや、違うな! お前は俺がどう答えるかわかっていて試した、そうだろう!」
「はっ、まあ確かにわかっていた。認めよう。――だが! 本来であればこんな確認をする義理も筋合いも無かった! それでも確認をしたのは、これから行うことが俺の矜持に反するからだ! 本当ならばこんなことはしたくない! だが、もう俺は我慢ならなかった! 限界だったのだ!」
激しく憤るヴァンツは狂気に取り憑かれているようだった。
今の奴ならば、ささやかに裁縫を嗜む健気で幼気な少年を地獄に引きずり込むくらい躊躇無くやることだろう。
奴は裁縫の暗黒面に堕ちたのだ。
「おねいおねい、お義兄さまはあの神さまにいったいどんなひどいことをしたの? ものすごく怒ってるけど……」
「わ、私もよくは知りません。ですが、これは知らない方がよいことです。いいですか、間違っても誰かに言ったりしてはいけませんよ?」
狂神と化したヴァンツから視線を切ることができない俺は皆の様子を確認することができなかったが、聞こえてくる会話からランシャが戸惑っていることはわかった。
ルーロットくんはどうだろう。
まさかまだクマ兄貴と特訓を続けているわけではあるまい。
できるなら二人を屋敷に避難させたいところだが、気をそらした瞬間にヴァンツが何か仕掛けてきそうでそれもままならなかった。
「自分を見失うほどロアとリアナの封印が重要だったのか!?」
「はっ、そいつらなど問題ではないわ!」
「なに!?」
「かつてのそいつらは破裂を待つばかりの災いであった。だが、封印から逃れるため多様性を獲得し先鋭性を失った今、そいつらは大した問題ではなくなった。極端な話、元々に比べればそいつらが好き勝手したところで些末な問題なのだ。そもそも、自ら零落することで抜け出せる封印などおかしいと思わなかったのか? 元々そのように作られた封印であり、そうなるよう望まれていたとは思わなかったのか?」
「じゃあ、僕たちの行動は想定内……!?」
「すべてわかっていたというの……!?」
「そうだ、いつか今日のような日がくることはわかっていた。俺は装衣の神だ。貴様らのような訳のわからんものでも、服であるならば庇護下に置き、面倒をみてやらねばと考えていた」
追想するように語るヴァンツは落ち着きを取り戻したかのように思われた。
が、そこで再び瞳に狂気を宿す。
「――だが、だが俺の心はねじ曲がった。度重なる心労に、ねじ曲がっていってしまったのだ。もし叶うなら、状況が許すなら、貴様らを利用しそこの大馬鹿への積年の恨みを果たせないだろうかと思うようになっていた」
「僕たちを使って父上を苦しめようと言うのか!」
「そ、そんなことにはならない! させないわ!」
思い通りにはさせない――。
ロアとリアナは抗うことを決めたが、しかし、ヴァンツはそんな二人に哀れむような目を向けた。
「遅い。もう遅いのだ。条件は揃ってしまった。まさか願った俺ですら、このような状況が生まれるなど思ってもいなかった。もはや奇跡だ。何しろ俺は何もしていない。いや、俺はただ世を混乱させまいと、神としての務めを果たしていただけだった。そこには邪な考えなど一つも無かった。――にもかかわらず、条件は揃った。おそらく、運命がそれを求めたのだろう」
何を……、奴はいったい何を言っている?
奴が何をしようとしているのか、それがまったく読めない俺は内心焦りを抱いていた。
「いくら考えようと無駄だ。これはただの自業自得。貴様のもたらした迷惑が組み合わさることで、貴様自身が苦しむことになる、それだけの話なのだ。あとは一押し。俺の一押しでそれは始まる……」
口調こそ静かなものだが、そこには言い知れぬ凄味があった。
奴には確信があるのだ。
必ず俺を苦しめることができると……!
「正直、こんな手段はとりたくなかった。俺というものを支えていた柱が折れてしまうかもしれないと、そう思ったからだ。このような手段で問題を解決するなど、どこぞのイカれクソガキと同じになってしまうと、そう感じたからだ。しかし、まったく懲りず、悪びれもしない貴様が俺をここまで追い詰めた……!」
ヴァンツの凄味がここで急激に増した。
何か仕掛けてくると、俺は咄嗟に身構える。
だが、ヴァンツの行動自体は拍子抜けするようなものだった。
「貴様に天罰を下す……!」
高々と右腕を掲げ、パッチーンと指を鳴らしただけだったのである。
どういうことかと困惑した。
その時――
「おや? これは……、どういうことでしょう?」
聞こえてきたのは戸惑うアレサの声。
見ればアレサの法衣がほのかに光を帯び始め、それは徐々に輝きを増していた。
それがいったい何を意味するか。
俺が悟るより早く、ヴァンツは鋭く告げる。
「さあ聖女アレグレッサよ! 祈れ! 汝が信奉する神に!」
「え!? あ、はい!」
アレサが野郎の催促に従ってしまったことを責めるのは酷だろう。
何しろ神。一応は神。
神?
「あ――」
忘れていた。思い出した。
あの法衣には『善神召喚』なるとんでもない特殊効果が宿っていたことを。
そしてヴァンツがそれを封印していたことを。
奴は今まさにその封印を解いたのだ。
「ああ――」
かつてはヴァンツが何故『善神召喚』を封印したのかわからなかった。
だが、今はわかる。
告白騒動のなかでアレが善神であるとわかってしまったから。
結果として封印しておく必要性は薄れたが、今となっては俺の方が封印したままにしておいてもらいたい代物になっていたのだ。
それをヴァンツの野郎は――
「て、て、てめぇ、やりやがったな!?」
「ふはははは、知らん、もう俺は知らんぞぉ! 貴様は貴様自身の愚かさによって苦しみ滅ぶがいい! ちなみに再召喚には日数を要するからな! では、さらばだー!」
と、ひどい捨て台詞を残しヴァンツは姿を消した。
「帰りやがった!?」
マジかよあの野郎、ここで放置かよ!
「アレサ! 祈るのをやめるんだ!」
「え!? はい!」
俺はすぐにアレサに指示を飛ばす。
だが――、遅かった。
無駄に神々しい光が頭上に生まれ――
「はぁぁぁ!」
びょーん、と変態が飛び出してきて地面に着地した。
ガチムチはいつものことだが、どういうわけか今日に限っては腰に布を巻いただけという九割方裸なせいで変態度が増している。
「我が輩すでに委細承知! ここが喜びの園であるな!」
「違うわボケが!」
思わず突っ込むが、こんなのでも奴にとってはご褒美だ。
「ち、父上、変態が、変態が現れた!」
「ど、どうして腰巻きだけなの! 服を、もっと服を着なさいよ!」
「おぉ、素晴らしい! 早速の歓迎に、我が輩は喜びを持てあましてしまうのである! 神に感謝せねばならんのである!」
神はお前だ。
いやこの場合はヴァンツに感謝ってことになるのか?
「歓迎なんてしてないのに! 何を言っているんだあいつは!」
「どうして感謝してるの!? 父さま、私恐い!」
新たな――、いや、真の脅威の出現にロアとリアナはひどく怯える。
一方――
「あねい! あねい! なんかきた! 変な人きた!」
「……」
「あねい! 私の目をふさぐよりルーくんどうにかしないと!」
「ルーロットはクーエルに夢中だからよいのです!」
後方ではランシャもショックを受けているようだが、かろうじてコレが善神であることは気づいていないようだ。
残念な――、本当に残念なことにこれが善神。
名前はダルダンなのかダールなのかもうよくわからないが、その時の立場が奴隷であろうと神であろうとお構いなしな、どうしようもないマゾであることは疑いようもない事実である。
つまり、奴は奴隷や善神である前に一人のマゾなのだ。
それも幼い子供に思う存分いたぶってもらいたいというマゾの中でもよりレアでアレなマゾなのである。
そんな奴に対するロアやリアナ、ランシャの言葉は、その不滅のマゾ魂に火を入れたようなものであった。
「恐くないのである。なにも恐れる必要はないのである。信じられないなら、その恐怖を力に変え、我が輩を思う存分虐げてみるとよいのである。我が輩、その信用を勝ちとるためには、いかなる責め苦にも喜んで耐える所存であるが故」
お前それ単純に自分が嬉しいだけじゃねえか。
「父上、何なのですかあの変態は! ――はっ、まさか、裸の神でしょうか! 僕たちの天敵だ!」
「だから私たちを狙っているのですか! 警戒心を解こうと、あのような言葉をかけてくるのですね!」
「う~ん……」
裸の神ではなく善神であるということ以外はすべて当たりだ。
ロアとリアナは実に正しい感性を持っているようである。
「むぅ、二人から強い警戒心を感じるのである。これまでつらい目に遭ってきたが故であるか……」
「いや今まさにお前がそのつらい目に遭わせてんだよ!」
まいったな……、ロアとリアナは永遠の少年少女であり、それはつまりあの変態にとって理想的な主人ということである。
これは何としても諦めさせねばならないが、今ここでその妙案を捻りだすのはさすがに無理だ。まずは奴をこの場から追い払い、考える時間を確保しなければならない。
だが――、どうやって追い払えばいい?
召喚された神として現れた今、奴は自重する必要が無く、己の欲望が満ちるまでここで変態の限りを尽くすことだろう。
「くっ、奴に効くのは……」
かろうじて可能性があるのは神罰ハリセンだ。
神撃よりも上位の力を宿すこのハリセンは、例え神であろうとその守りを貫通して雷撃を叩き込むことができる。
もしかすると奴の『苦痛=快楽』という禁断の等価交換を突破して『傷手』を与えることができるかもしれない。
「ロア、リアナ、よく聞きなさい。父は今から戦いを挑む。奴が怯んだらその隙にここから逃げ、しばらく姿を隠すんだ。その間に俺がお前たちを守る術を見つけだす」
「ち、父上……、わかりました」
「そんな! せっかく父さまと会えたのに、また離ればなれなんて……!」
「リアナ、父上を困らせてはいけない。父上だってつらいんだ」
「父さま……」
「不甲斐ない父ですまない……! どうか、逃げてくれ……!」
神罰ハリセンを手に俺はダルダンへと駆けた。
決死の突撃をしかけた俺に対し、さすがはマゾか、ダルダンは微動だにせず待ち受けている。
「くぅたばれぇぇ――――ッ!」
祈りをこめ叩き込む神罰ハリセン。
雷が炸裂し、ズガガーンと轟音が鳴り響く。
そして奴は――
「エクセレンッ!」
喜んだ。
やはりこいつはマゾだった。
神罰ハリセンの貫通効果では超えることのできないマゾだったのだ。
※誤字脱字、一部文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/05/21
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/29




