第543話 14歳(秋)…強制休日の小旅行(1)
八月いっぱいは体調を考慮してお仕事は控え目だった。
しかし、冒険の書三作目を十月までには仕上げたいと、九月は修羅か羅刹かといった具合で頑張った。
同時に魔剣の製作、日々追加されるおれ公認商品の査定、カードゲームの企画なども頑張った。
もう頑張りすぎて日や曜日の感覚が消失した。
おかげでこのところ、さっき昨日でふと気づいたらさらに翌日になっていた、という摩訶不思議な感覚を堪能することになっている。
それは仕事をしているという意識だけが地続きになっており、就寝とか食事の記憶が飛んでしまっているせいだろう。
まあ睡眠は皆に強制的にとらされるので、疲れているというわけではないと思う。
きっと仕事に集中できているんだな、とポジティブに捉えよう。
その日は魔剣製作に関わる髭二人も、カードゲーム製作に関わるヴィグレンも来ない日だったので、おれは冒険の書の製作を精力的に頑張った。
メイドのみんなが手伝ってくれるようになったので、仕事部屋では狭いと広間に机と椅子を持ちこんでの作業になっている。
「はい、休憩の時間です。皆さん、どうぞ手を休めてください」
サリスの言葉に重かった広間の空気がふっとやわらぐ。
しかしほっとするのもつかの間、限られた休憩時間を少しでも快適に、そして長く楽しむため、給仕役となるメイドが速やかに退室して調理場へと向かった。
二時間のみっちりとした作業の合間にある三十分の休憩。
そこには長い潜水を終え、やっと水面に顔を出したような安堵がある。
修羅か羅刹かといったおれも、この時ばかりは意識を解放して存分に緊張をほぐすことにしていた。
と、そのとき、足元で「みゃーん」と猫の鳴き声がした。
お茶とお菓子の用意を始めたメイドたちに紛れ、何食わぬ顔でネビアが侵入してきていたのである。
ネビアは一声鳴いたあと、椅子に座ったまま放心――意識を解放しているおれの脛あたりにゴスッと頭突きめいた勢いで狭い額を擦りつけてきた。
ごりごりごり、と、これはいつものこと。
猫にとってはお気に入りのサインであるらしいのだが……、こいつはどんだけおれをお気に入り登録すれば気がすむんだろう?
まあもふもふした生き物と戯れるのは精神に良い影響――癒しとなるらしいので、おれはネビアを抱えて膝の上に。
適当にもふもふ撫でる。
「おまえはもふもふだな。冬になったらもっともふもふだな」
「にゃん」
「そうか、にゃんか。おまえはにゃんだもんな……、にゃんにゃん!」
「にゃー」
「にゃにゃんにゃーん!」
「にゃぁーん!」
「よし、今日からおまえはゴッドにゃんだ!」
「みゃん!」
「ゴッドにゃん!」
「んにゃぁーおー!」
「ゴォォッド、にゃ――」
「あの! あの! ご主人さま! そろそろ本気で心配になってきたんでそれくらいでやめましょう!」
ネビアと戯れていたらシアが無粋にも邪魔してきた。
「なんだよー、ただの息抜きだろー?」
「どこがただの息抜きですか。このところ休憩のたびそんな感じで……、格好良く宣言してた人と同一人物とは思えません」
「うん?」
格好良く?
やっているこっちは切羽詰まっていたから、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「あれって格好良かったのか?」
「あ、うぁ、え、ええ、まあ……」
なに、いまいちだったの?
なんかシアが言いにくそうにするなか、盛大に肯定してきたのがリオだった。
「ご主人様は格好良かったですよ。素敵でした。惜しむらくはそれが私ではなくティアさんのためってことですね! どうして私のときはああいうのやってくれなかったんですか。これからの人生、私がどれだけティアさんより恵まれたとしても、この一点によって私はティアさんを羨ましがり続ける運命です。これを覆すためには同じようなことをやってもらうしかありませんが、まったく幸いなことにもう私には困っていることがありません! ――あ、なんか女王になることがほぼ決定しているのが困っていると言えば困っている……、ご主人様、どうでしょうか、エルトリアから私を強奪して――、へぶっ」
スパーンッ、と。
アエリスがリオの頭をハリセンでひっぱたいた。
良い音だ。
ハリセンが大々的に販売されるようになったら、大陸各地でこの音が鳴り響くようになるのだろうか。
少し感慨に浸っていたところ、リオを強制的に黙らせたアエリスがどうぞどうぞと手でシアを促した。
「あ、どうも。えーっと、ともかく、最近のご主人さまは傍から見てヤバイです。危険です。休憩のたびにいちいち精神の箍を外す必要があるくらい疲れてます。なのでもうちゃんとした休みをとってもらいます。もう今日明日は仕事してはいけません!」
「いやそんな横暴な……」
「あ? それ以上ぐだぐだ言うなら名前呼びますよ! 名前呼んでそれから『あなた疲れてるのよ……』って言いますよ! これでもご主人さまが嫌がるからって我慢してるんですからね!」
「え、う、うーん……、み、みんなはどう思う?」
シアの剣幕に圧されたおれは他の面々に助けを求めてみたが、無言で見つめてくる皆の瞳には「いいから休みましょうか」という強い意志が感じられたのでそれ以上何も言えなくなった。
「ゴッドにゃん……、おれ、休まないといけないんだって……」
「みゃおーん!」
なんだかネビアまで「それがいいニャー」と言っているような気がした。
△◆▽
「あら、明日は仕事しないの? じゃあ何する? どこか行く?」
「なんでおれの休日はおまえに付きあうことが確定してんだ」
なんか強制的に休みになっちゃったよー、と愚痴る相手がいなかったのでとりあえずミーネに言ってみたらまったく想定にない反応をされて驚いた。
「え、じゃあ何かしたいことでもあるの?」
「そりゃおまえ……」
おれは考えた。
精神を集中させ、この突然の休日をどうすれば実りのあるものにできるかと考え、考え、そして何一つ思いつけないおれはなんとつまらない人間なのだろうと嘆き、しかしそれを乗り越えて答えた。
「クロアとセレスと一緒に遊ぶ……」
「じゃあ二人も一緒にお出かけしましょう」
「あ、いいかもしれないな……」
考えてみれば二人を連れてどこか遊びに行った記憶が無い。
なんてこったい。
「そうだな、そうするか」
「ええ、そうしたらいいわ」
こうしておれはお出かけすることにしたのだが、そのすぐあと、計画を知ったサリスが気まずそうな顔で言ってきた。
「あの、ミーネさん、明日はシャフリーンさんをエミルスへ送る日だったと思いましたが……」
「あ」
八月の下旬あたりから、シャフリーンは一週間ごとにエイリシェとエミルスを行き来するようになっていた。
これはエルセナ母さんの体調が回復したことにより、シャフリーンが常駐しなくてもよくなった結果だ。
このサリスの指摘にミーネはぽかんとすることになったが、それもわずかな間だった。
「なら一緒にエミルスへ行けばいいわ!」
「いや、それはダメだな。今のエミルスには危険な存在がいる」
「危険……? そんなのいた?」
「いたんだよ、これが。詳しくは面倒だから言わないが、いるんだ」
あの都市には、幼子たちに虐げられることを心から望む変態がいるのだ。
そんなところにクロアとセレスを連れては行けない。
「うーん……、あ、じゃあデヴァスにお願いしてあの港町へ行きましょう! 新鮮なお魚をたくさん仕入れられるから、クロアの誕生日はそれをふんだんに使った料理なんかいいんじゃない?」
「ふむ。ふむー……」
海産物をふんだんに使った料理か、悪くない。
なんかさっそく休日計画が変化し始めていたが、クロアとセレスはまだ海を見たことがないのできっと喜んでくれるだろう。
ところで、急に飛んできておれの腕にしがみつくネビアは何をみゃーみゃー訴えているのだろうか?
「あらネビア、あなたも一緒に行きたいの?」
「みゃぁーん! みゃー! みゃぁーうー!」
餌をやり忘れていた時に見る必死な反応だ。
「お魚の仕入れに反応したのかしら?」
「なるほどな。しかし、こうも食い意地が張っているのは、やはり飼い主似ってことなのかな」
「でしょうね」
「!?」
ミーネ、まさかの同意。
まったくこいつは大物だぜ。
「まあでかい子猫の一匹くらいなら連れて行っても平気か」
「よかったわねネビア、一緒に来てもいいって!」
「みゃー!」
喜んだネビアが宙をじたばたする。
それは明らかに異様なはずなのだが……、慣れたなぁ。
それからおれはクロアとセレスを誘うべくさっそく説明に向かった。
「え、兄さん明日はお休み? それで海へ行くの? ぼくも? うん、行く! 海見たい!」
クロアはリィの部屋で指導を受けていたが、ちょっと休憩がてらに話を聞いてもらったところ興味を持った。
「おいら自身はまだ海を見たことねえナ! よし、いっちょ行ってやろうじゃねえカ!」
なんか誘っていないメタマルが同行する気まんまんである。
最近はクロアのオプションみたいになってるし、まあいいか。
「リィさんも一緒にどうですか?」
「ん? 私はべつにいいや」
「……」
なんかクロアが目に見えてしょぼんとした。
「あの、リィさん、行きませんか?」
「う……、わ、わーったよ、行くよ、行く」
「――!」
なんかクロアの機嫌が目に見えて良くなった。
リィはクロアには優しいなぁ……。
まあおれのお願いでもちゃんと聞いてはくれるのだろうが、たぶん二言三言文句があるんだよな。
同じ孫なのに差を感じちゃうなー。
でもそれを言うとすっごい勢いでその『差』が生まれるに至った経緯を説教してくるだろうから絶対口にはしない。
クロアを誘ったあと、次におれはセレスを誘いに向かう。
そのときセレスは屋敷を徘徊して愛想をふりまく着ぐるみピエロのミーティアのあとをついて回っていた。
ちっちゃい子ってこういうのに付いてっちゃうんだよな。
「うみ? いきます! セレスもいきます!」
セレスからは元気のよい快諾をもらった。
さて、これでメンバーはおれ、ミーネ、クロア、セレス、リィの五名となったが、当然アレサは同行するだろうし、シアはセレスの保護者としてくっついていてもらいたい。
あとコルフィーはどうだろう?
海は裁縫と関係ないから興味ないかもしれないが、一応レイヴァース家の末妹だ、この家族旅行ならぬ弟妹旅行には是非とも参加してもらいたいところである。
そんなことを考えていたとき、ふと気づく。
廊下の角からシア、アレサ、コルフィーがトーテムポールのように縦一列で顔を覗かせていた。
なんだか目が据わっているような……。
……。
あ、違うよ?
誘うのを忘れてたとかじゃないよ?
これから、これから誘うつもりだったんだよ?
ホントホント。
ホントだよ?
※登場人物たちの年齢に関するコメントを頂いたので、主要キャラの年齢をのせておきます。
急遽定めたキャラもいるので矛盾があるかも……。
セクロス(14歳)
シア(13歳)
ミーネ(14歳)
アレサ(17歳)
クロア(もうすぐ10歳)
セレス(6歳)
コルフィー(13歳)
リィ(約390歳・見た目は十代)
アエリス(14歳)
ティアウル(14歳)
ジェミナ(11歳)
シャンセル(15歳)
リオ(14歳)
ヴィルジオ(××歳)
リビラ(16歳)
サリス(15歳)
シャフリーン(17歳)
パイシェ(26歳)
ルフィア(18歳)
ミリメリア(18歳)
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/01




