第515話 閑話…あぶないクスリ
フリード伯爵の厚意により、勇者委員会関係者には裕福な迷宮都市たるエミルスでも有数の宿がほぼ貸し切り状態で提供されていたが、その宿の一階にある上等な酒場に集った勇者たちの表情は暗く、気分良くタダ酒をあおる者は一人たりとも居なかった。
それもそのはず、勇者たちは部屋に籠もっているとたった一体のゴブリンにやられたこと、さらに忌まわしい『死に戻り』の記憶が蘇ってきてしまうため気を紛らわそうと酒場へと集ったのだ。しかしそこに居たのが同じ目的の同志ばかりとくれば賑やかな雰囲気など望むべくもないのである。
結果、酒場の空気は尋常でないほど重くなり、普通にタダ酒を楽しみに来ていたネイたちはひどく居心地の悪い思いをしている。
できることなら別の酒場へと向かいたいところであったが、実はネイ一行、ここで提供されるような高価な酒を好きに飲めるほど経済的な余裕が無い。
エクステラ森林連邦を構成する森の一つ、カーの森。
ネイ、リフィ、レトの三名はこのカーの森において重要な地位に就く人物を親としているが、その親の反対を押し切って勇者活動を行っているために経済的な援助がいっさい行われていないのだ。
そのためネイたちは切り詰められるところは切り詰めねばならず、雰囲気が悪いという理由だけで、上等な酒をタダで飲める機会を放棄することができないのである。
「くそう……、酒があんまうまくねえな……」
「みんな暗いよねー。ま、あれだけの醜態をさらしたとあっちゃ、それも仕方ないんだろうけど」
愚痴をこぼすネイにリフィは言い、レトとゼーレがそれに続く。
「そんなの気にせず、こっちはこっちで楽しめばいいさ。こんなふうに上等な酒を好きに楽しめる機会はそうそう無いだろう?」
「役得ですな」
酒を楽しもうとするネイたちに対し、他の勇者たちはただ現実逃避するためにぱかぱかと飲み続ける。
そんな飲み方では気分が持ち直すわけもなく、やがては酔いから抑え込んでいた鬱屈が顔を覗かせ、自身を擁護するための不満が饒舌に語られるようになった。
悪いことに、この酒場に集まったほぼ全員が互いの鬱屈を共有しやすい状態であったため、やがて愚痴のこぼし合いはひたすら自分たちの自尊心を保つために都合の良いことだけを、事実であろうとなかろうとひたすら叫び、同志からの共感を得て満足するというおぞましい傷の舐め合いへと移行していった。
「きっと……、あれだ、迷宮を制覇したあいつらが居たからだ! そのせいで強い魔物が出てきたのだ! そうに違いない!」
「なるほど、それは納得できる話であるな!」
「つまりは、やはりレイヴァースが邪魔をしたということか!」
ここに居ない少年を共通の敵として、勇者たちは次第に危険な結束を高めていた。
無関係を装っていたネイたちも、さすがにこれはまずいと思い始める。
「面倒くせーけど、あのままだと危ないから宥めてくるわ」
ネイはそう言って酒場の真ん中で決起大会を始めてしまった勇者たちの所へ。
「あー、ちょっといいか? えっとだな、なんかお前らあの子が悪いみたいなことにしてるけど、あの子はべつにお前らに何もしちゃいないだろ?」
「いや、そんなことはない!」
「それは貴様が知らぬだけの話よ!」
「そうだ! 色々とあれ、こう、なんか権力とか使って、自分の思うようにしているのだ!」
「奴は強い者に取り入るのが上手いのさ! あの少女たちは騙されている! 奴のために頑張っても、結局は奴に手柄をとられるだけだというのに!」
「いやあの子、普通に戦ってるぞ? 森林連邦でのスナークの暴争ではスナークの大群を、それからバンダースナッチを討伐してるし」
「そういう話、というだけだろう!」
「いや俺参加したから実際に見たし……」
森林連邦におけるスナーク戦に参戦したことを告げられ、勇者たちは少しむっとして口をつぐむ。
「あの子を羨ましがるのはいいんだけどさ、無理に扱き下ろそうとしても虚しいだけだぞ? あの子が積みあげてきた功績は、あの子が頑張った結果なんだから。スナークを浄化する特別な力があるとしても、だからってあれに突っ込むのは相当な勇気がいることだ」
ネイは言いながら、何故、勇者たちがレイヴァースをそれほど敵視するか漠然と理解することになった。
勇者たちは恐れているのだ。
レイヴァースが『勇者』を名乗れば多くの者がそれを認めるに違いなく、まして隠された功績が公表されたとなればそこに異論を挟める者などいなくなる。
すると、勇者の称号を大事に抱えてきたこの者たちは、もう勇者であることを諦めざるを得なくなるだろう。
いや、べつに諦める必要はないのだ。
が、周囲はレイヴァースこそが勇者であると見なす一方で、功績も無く、ただ称号があるだけの者たちをどう見るだろうか?
この勇者たちは、勇者であることを自己同一性の柱としている。
誰も自分たちを勇者として認めなくなったら――、この者たちはそれを恐れているのだ。
どうしたものか、とネイが思っていると、そこで一人の勇者が声をあげた。
「いや! いや! 我ら称号を与えられし勇者! おそらくいざとなったらこの身に秘められた力が溢れる――、そう、覚醒するのだ。わかるか? それが勇者というものなのだ! レイヴァースは特別なのかもしれんが、我らはそれよりもさらに特別なのだ!」
「ゴブリンにやられたじゃん」
言ってから、ネイは「あ」と失言に気づく。
あまりに馬鹿馬鹿しく、つい素で突っ込んでしまったのだ。
ところがその勇者はめげなかった。
「違う! そうではないぞ! あの模擬戦のようなダンジョンでは覚醒などするものか!」
「じゃあ普通に死ぬところで戦えばいいのか?」
「いやいや、もっと命がけの、相応しい状況でなければ!」
「うむ、そうだな! 世界の命運がかかっているような、そんな状況であれば尚のこと良いだろう!」
「だがそういう状況はレイヴァースによって解決される。これは我々が力を発揮する状況を横取りしているようなものではないか?」
「えぇ……」
もはや言いがかりという段階を通りこし、ただ都合のいい妄想を叫ぶだけの状況、さすがにネイも付きあいきれなくなってきた。
「レイヴァースはたまたまそこに居た、そういうことだ! それに大勢が手助けしていたのだろう? なら我々とて出来るだろう!」
ネイは頭を抱えたくなった。
そこに居られるという意味を説明するかどうか迷い、きっと理解できない……、いや、理解しようともしないと考えて諦める。
これまでの活動の中、ネイは集団での話し合いというものに何度か立ち会ってきたが、この場ではその悪い傾向が再現されていた。
人は集まって考えた結果、優れた答えを出すことがある。
しかし、その集まりに偏りが生まれた場合は衆愚――ただ愚かなだけの集まりへと変貌してしまう。
今回の場合、偏りの原因は勇者としての肥大した自負だ。
この自負が同調のきっかけとなり、これを共有することで自浄作用が働かず、さらに一人の少年の行動によっては自己同一性を喪失しかねないという危機的状況にある。
このような集団が話し合いをしても、それは不合理で歪な、集団浅慮としか言えない意志決定をしてしまう。
「(駄目だなこりゃ……)」
酩酊しているというのもあるだろう。
だが酒が暴くのは本性であり、つまり、どう取り繕おうとこの勇者たちの中にはレイヴァースへの敵意があるのだ。
こうなると素面の状態で話し合ったところで結果は同じ。
ネイは仲間たちのところへ戻ると、グラスに残っていた酒を一気にあおってから言う。
「あいつらを宥めるより、あの子の側に居た方がいいわこれ」
「必要か? 家畜がいくら群れようと森の主には敵わないもの。レイヴァース卿があの連中に後れをとるとは思えない」
「周りには可愛いくておっかない嬢ちゃんが三人もいるしなー……、って、なるべくあの子たちにはこれは知られない方がいいだろうな。洒落にならない事態になるかもしんねえ」
ネイとレトが話していると、そこにリフィも混ざる。
「側に居るって、どうするの?」
「これからお邪魔しに行こうかなと。なんかここ居たくねえし」
「一緒に冒険の書で遊べるかしら……!」
「そ、それは……、どうだろうな?」
リフィの発言にネイは戸惑う。
するとゼーレが言う。
「レイヴァース卿とは懇意に、とも伝えられましたからね、むしろちょうど良いかもしれません」
ネイはカーの森の首長である父親から、レイヴァース卿と仲良くなっておけと言われていたが、そんな思惑あっての交友ではなく、純粋に人と人の、単純に言えば友達を目指していた。
自分の半分も生きていないのに、その肩にのしかかっている期待はどれほどのものか。
なるべく助けてやりたいと思う。
いざとなったらレイヴァース卿の盾になるためにも側にいることにすることにして、ネイは仲間と共に宿を後にした。
△◆▽
ネイたちが宿を後にしてしばらくすると、酔いと昼間の疲れもあるだろう、勇者たちによる自分たちを鼓舞するためだけの大騒ぎもいくぶん静まってきた。
するとそこで、酒場の隅にて一人で飲んでいた者が勇者たちにそっと近寄った。
男はフードを被り、さらに迷宮広場の商店で売られている猪の仮面で顔を隠していた。
明らかに怪しい人物――。
本来であれば警戒すべき人物であったが、酔いの回った勇者たちでは警戒心を抱くことができなかった。
「私の名はバファリン。しがない薬売りです。実は貴方がたに私の持つ薬を提供したいと思いまして」
薬……?
と、訝しむ勇者たちをよそに、バファリンと名乗った男は小瓶を取りだして見せた。
「これは飲めば比類なき強さを手に入れることのできる薬です。なにしろ魔王に対抗すべく作りだされた代物ですから……。ああ、怪しいのは重々承知しておりますよ。しかしどうか信じて頂きたいのです。私がこの薬を貴方がたに提供するのは、まず半分はレイヴァースへの憎しみから、そしてもう半分は同じくレイヴァースに苦汁を舐めさせられている貴方がたが、これ以上つらい目に遭うのが忍びないという……、つまりは優しさからなのです。まずはこの薬を少量舐めてみてください。それだけでも薬の効力を実感できることでしょう」
そう言い、バファリンは小瓶の液体をまず自分で舐めてみせる。
「この通り、毒などではありません。まずはどなたかが試していただければ信用していただけると思うのですが……」
バファリンは言うが、いくら酔っぱらった勇者たちでもさすがにこれは怪しすぎると警戒することになり、置かれた小瓶に誰も手を伸ばそうとしなかったが、かといって彼を「怪しい奴め」と叩き出そうとする者もいなかった。
怖じ気づく勇者たちをバファリンは見守っていたが――
「ここは冒険する勇気を持つところだとは思いませんか?」
そっと告げる。
と、そこで勇者の一人が酒の勢いか、気の迷いか、ともかく覚悟を決め、小瓶を手に取ると少量の薬を口に含んだ。
「こ、これは――ッ!?」
勇者は体から力が溢れるのを感じた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/27
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/10
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/01/07
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/03/16
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/04/19




