第231話 閑話…精霊の王
第八波をしのいだ後の休憩中、活動停止をしていたスナークが一斉に復活を開始するという予期しない事態に現場は大混乱に陥った。
まだ一時間ほど余裕がある――、そう思い、わずかな休息をとっていた者たちにとっては青天の霹靂、予想もしない事態であった。
盾士たちは下がり、次の波に備え念入りな休憩――防具を外して安静にしている状況であったため、防衛のための陣など存在しない。
今、復活を果たされたらそのまま要塞まで到達されてしまう……。
この事態に誰もが最悪を想像し、思考が止まる。
すぐに動ける者などいなかった。
いや、何をすればよいのか、それを知っていればすぐにでも動き出すことも出来ただろう。
しかしこのような事態、これまで一度も起きたという記録はなく、それ故に対処の方法など想定されていなかった。もしこれが想定されていたならば、そもそもスナークの防衛戦のやり方すら違ったものになっていたはずだ。
絶望が形となって姿を現そうとしていたそのとき――
「動ける奴は剣を取るニャァァ――――ッ!」
復活間近のスナークの群れめがけ走る少女――リビラが叫んだ。
スナークの防衛は大きく三つの隊による連携により行われる。
盾士隊による防衛、魔法隊による崖からの広範囲攻撃、そして掃討隊による殲滅だ。各々の役割は簡潔、全力を注ぎ込み易くなっており、そしてそれを連携させることでスナークの防衛を可能にしていた。そのため想定外の行動を起こすこと、これはこの効率を下げるものとして理解され禁じられていたのだが、今はこの理解こそが事態の対処を遅らせる要因になっていた。
突如姿を現した制御不能の戦場――。
この、どうしたらいいかわからない、という状況にあってリビラは身をもって簡潔な答えを示した。
復活したスナークの掃討である。
そう、難しく考える必要などなかった。
まず――、まずはそれを為さねばすべてが潰える。
ここでどれだけの犠牲が出ようと、まずこれを掃討しなければ次につなげることすらも出来ないのだから。
リビラの行動、その理解は瞬く間に周囲へと広がり、絶望を前にした戦士たちが自らを奮い立たせるための勇気となった。
掻き消えそうになっていた戦士たちの士気は激しく燃え上がり、くたびれきった体すらも突き動かす激情のまま、咆吼のような雄叫びを上げてリビラに続いた。一人、また一人、そして谷底にて戦うすべての者たちが声を張りあげ絶望を目指した。
それを目にした崖の上の魔法隊は掃討隊を巻きこまぬよう、スナークの群れの後方に魔法攻撃を開始。
盾士たちはスナークの進行を食い止めるべく、突撃していった掃討隊の後ろに陣を築く。
それぞれの隊はこの状況を切り抜けるため最適と思われる行動を自ら選択した。
突然の、そして各隊の連絡すらも満足にできぬわずかな時間に、一人の少女の一人駆けをきっかけに。
だが――、予期せぬ事態はそれだけではすまなかった。
スナークの即時復活。
ありえぬ事態――、あってはならぬ事態。
これではもはやどのような戦力も、戦術も意味をなさぬ。
飛びこんだ絶望の、そのさらに底――。
戦う黒騎士たちは誰からともなく自然とリビラへと向かっていく。
誰が言ったわけでもないが、その気持ちは一つにまとまっていた。
あの娘だけは無事に帰す、必ず帰す。
それがこの戦場に現れたあの娘の、その願いを聞くことすらも出来ない無力な自分たちにできる、せめてもの償いであれば。
あの子は本当は行きたいのだろう、父――アズアーフの元へと。
けれど、自分たちにすがられる状況に、あの子はその気持ちをねじ伏せて戦っている。であるからこそあの子は余計に言えぬのだ、ただ一言、誰か父を助けてくれ、との一言が。
黒騎士たちはリビラを追う。
リビラをこの黒い渦のなかから盾士の壁の向こうへ、そして王都へと帰すべく、スナークを斬り伏せながら必死になって追う。
辺りは黒――、ただ黒く、そして荒波のようにすべてを呑み込もうとしている。かろうじて、リビラの体に灯す光を、そしてそのエプロンドレスの白さを黒騎士たちは目指した。
だが、先陣を切って飛びだしたリビラはわずかに遠い……!
リビラは巨大な剣を振り回し、数体のスナークをまとめて薙ぎ払って破壊しながら、さらに強個体へと挑んでいる。
無茶だ、間に合え、間に合え……!
黒騎士たちが焦り、帰還する意志を放棄しての突撃をしようとしたそのとき――、雷が落ちた。
黒い稲妻であった。
黒雷は槍のような形状をしており、リビラが戦っていた強個体へと突き刺さると炸裂、その周囲にいたスナークをも巻きこんだ。
だがあれではリビラも――、目にした誰もがそう思った。
事実リビラは巻きこまれていたが――、しかし、黒雷がのたうち回るように暴れ回るその中心にあって、驚いたように立ちすくむのみで傷ついているような様子はなかった。
そして同時に起きている現象は、この有り得ぬスナークの復活よりも想像を超えるもの。
いや――、本当にスナークを知る者ならば誰もが夢見たものではあったのだ。
ただそれが邪神の討滅以後、誰にも果たせぬ夢物語であったが故に、想像することすら無為と思っていた。
だというのに――、黒い雷に撃たれたスナークは爆ぜた。
星のごとき小さな光と化した。
スナークは死なない。
殺すこと――、討滅させることは出来ない存在。
そのはずだった。
だがこれは。
光の玉はふわりふわりと揺れると、空へと昇り始める。
誰もがその光を目で追う。
黒騎士も、派遣されてきた武官たちも、スナークに至るまで、戦うことすらやめて。
その時、空から声が降った。
「戦士たちよ! 聞け! 聞け! 待ち人は来た! この絶望を打ち払う救い主は今ここに現れた! 退け! 退け! レイヴァース殿の邪魔になる! 戦士たちよ、直ちに退け!」
竜皇国武官、アロヴ・マーカスターが高らかに叫ぶ。
「そしてかつての偉大な戦士たちよ知れ! 待ち人は来た! 汝らを苦しみから解放する殺戮者――、虐殺の王は今ここに現れた! さあ続け! 我に!」
アロヴはそう言うと、スナークの群れ、その後方へと飛んでいく。
すると動きをとめていたスナークたちは、一斉にアロヴの後を追い始めた。
もう誰に襲いかかるようなこともなく、ただアロヴを――そしてその背に乗るレイヴァース卿を追って。
やがてアロヴは谷底へと降り立つと、すぐに上空へと舞い上がった。
それに遅れ、谷底から天へと向かって円柱状の柱が突き出してゆく。
目を凝らすとその天辺には人の姿があった。
押し寄せるスナークは柱に群がり、まるでうごめく黒い山。
そして黒き雷が。
黒い枝を垂れさせる大樹のような雷が。
黒雷に引き裂かれた瘴気は金砂のヴェールに、撃たれ爆ぜたスナークは星のごとき光へと姿を変える。
大樹を彩る輝きと、咲いた花のような光。
そしてうごめくスナークたちがすっかり消えうせたとき、膨大な数の光が空に舞い始めた。
「……精霊?」
誰かが呟いた。
話には聞いたことがある精霊。
では、高き柱の頂上にて、数えきれぬほどの精霊が舞い踊るその中心にいる者は、その精霊たちの主であろうか?
神々しさすらも感じるが故に、人々は精霊たちの王を幻視した。
幻想的な光景であった。
誰もが想像すらも諦めていた光景がそこにあった。
魂が震えた。
誰かがうめくような声をあげた。
その声はすぐにあちこちから聞こえるようになり、さらにさらにと広がっていく。
やがてその光景を目撃した者たちの誰もが声を振り絞り、怒号のような、号泣のような、悲鳴のような、絶叫のような、三者三様の声でもって胸に押し寄せたものの熱さに堪えきれず吐きだした。
安堵、感動、感謝、歓喜、興奮、多くの感情が一緒くたになってしまい、言葉にすることはできなかった。
叫ぶ、ただひたすら叫ぶ。
柱の上ではその精霊の王がちょっと死にかけていることなどつゆ知らず――。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/28
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/16
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/02/04




