第229話 12歳(夏)…その冒涜を許さぬもの
そのとき感じた不快感を正確に言い表すのは難しいが、それでも例えるとするならパーソナルスペースの侵害だろうか。
身近な感覚に例えるなら自分の部屋が何者かの手によって勝手に荒らされていることに気づいたような不快感である。
逆に、大げさに例えるとすると、自国が侵略を受けたと知った王の――、いや、その国を故郷とする者たちであれば感じるであろう憤りと、早くなんとかしなければならないという使命感すら抱かせる焦りのようなものだと思う。
そんな不快感が、唐突に、ぶちまけられるようにおれの中に生まれた結果、びっくりして動いてしまい、結果、カレー鍋に潜んでいることはさっそくバレた。
そしておれたちは要塞の最上階――、司令室へと連行された。
司令室にいたのは副団長のフーターグ、そして竜皇国のアロヴ。
副団長は困り果てた表情であったが、アロヴの方は笑みをかみ殺したような顔である。
「なんであいつが戦ってんだよ!?」
こちらへ忍び込んできた理由を話したあと、副団長からリビラが掃討戦に参加していることを聞き、シャンセルが怒鳴るように言った。
副団長は申し訳なさそうな顔でさらに話を続ける。
「そんな状況なのかよ……」
副団長の話は納得せざるを得ないところもあり、シャンセルは声を落とす。
戦況はすでに危機的状況、黒騎士たちの緊張の糸を保つのにリビラという存在が必要であるとなれば……、頭をひっぱたいて連れ戻すというわけにもいかなくなった。
黒騎士たちとしては藁にもすがる気持ちでリビラを支えにしているのだろうが、しかし当のリビラの気持ちは――、根底にあるであろうものはまったく無視されている状態である。
仕方ない――、仕方ないのだが……、しかし、それでも、迷子の子猫と一緒になって困ってやれる犬のお巡りさんくらいいてもいいのではないか。
「これなにかしら?」
シャンセルが副団長に詰め寄るなか、手持ち無沙汰代表のミーネは司令室の床にある黒い跡、もやもやと黒い湯気めいたものを立ち上らせる謎の代物をしゃがみ込んで見つめていた。
「それは迷い込んできた小さなスナークを叩き潰した跡だな。いずれ復活する。あと体に良いものではないからな、触らないように」
今にもつつき始めそうなミーネをアロヴが注意する。
なるほど、スナークか。
それで……、か。
不快感の理由はもうわかっていたが、だからといってどうすべきなのかがわからない。おそらく、この場に留まる限りこの不快感――、そして聞こえ始めた『声』におれは苛まれ続けるのだろう。
予想外、これは本当に予想外――。
「どうしたものか……、ひとまずリビラに会おう」
リクシーが険しい表情で言う。
連れ帰る予定だったが、それも難しい状況だ。
ここでリビラを連れ帰り、士気を落とさせるわけにはいかない。
だが、かといってリビラを置いて帰るというのも……。
副団長は通信用の魔道具でもってリビラをこちらに案内するように告げる。
シャンセルとリクシーはどうするか相談している。
まだスナークの潰れた跡を眺めているミーネと、そのミーネを苦笑しながら眺めているアロヴ。
シアは静かに黙ったまま。
そしておれは――
「…………」
そっとバルコニーへ出て谷を見つめる。
遠く望む谷底は途中から膨大な量の墨を垂れ流したように真っ黒になっているのだが、あれがすべてスナークなのか。
「ご主人さま……」
シアが隣にやってきて、そっと呟く。
「おまえもか」
「はい」
めずらしく真面目――深刻で憂鬱な表情だ。
きっとおれも似たようなものだろう。
「……〝おれってさ、世間的にはクソ映画って評価されそうなもんでも、どこか気にいるところがあればわりと好きになるんだよ〟」
おれは小声でシアに言う。
「〝でな、とある映画なんだが、宇宙船が不時着していて、そこを米軍の戦闘機が爆撃しようとするんだ。すると宇宙人はその戦闘機のパイロットのな、精神に訴えかけ始めるんだ〟」
「〝なんてですか?〟」
「〝攻撃しないでって。敵じゃないって。男の声で、女の声で、子供の声で、老人の声で、ひたすら懇願するんだ。それを聞いたパイロットは任務を果たそうとする意志と良心の板挟みになって苦しむんだ〟」
「〝その宇宙人は良い宇宙人なんですか?〟」
「〝いや? 地球を侵略するつもりバリバリのエイリアンだから戦闘機は攻撃を受ける〟」
「〝ダメじゃないですか〟」
「〝ダメだな。まあつまりな、ありきたりな話なんだが、人の心に訴えるという手段をああも見事に、悪辣に使ったことにおれは驚いたんだよ。そして思ったんだ、ああこれはダメだ、こいつらとは仲良くなれねえって。作り手の思うつぼなんだが、そう思ったんだ〟」
「〝なるほど〟」
「〝で、それでだな……〟」
と、おれは一つ深呼吸して尋ねる。
「〝あいつらは? あいつらの訴えはどうなんだ? この、死神への訴えは偽りか? 真実か?〟」
「〝ご主人さま、これに関して死神を謀ることはできません〟」
「〝そうか、ならそうなのか、あいつらは死なないんじゃなく、死ねないのか……!〟」
殺してくれ、と『声』は訴える。
ただそれを、それだけを願い、スナークたちは強者を襲う。
殺してくれることを望みながら襲いかかってくる。
かつて邪神と戦ったものたち、犠牲者たち。
邪神に呑み込まれ、肉体が朽ちた後も死ぬことができず悶え苦しむものたち。
おれの中に生まれた不快感、これはおれのものではない。
この不快感はおれの魂に混ざり込んだ死神の鎌、その意志――死が冒涜されていることへの激しい憤り、強い怒りだ。
おかげでおれのなかの『力』はふとした拍子に溢れ出てしまいそうになっている。
こんなことは初めてなので、漏れた場合どんなことになるかさっぱりわからず、おれはなるべく心を空っぽにするよう心がけ、なんとか荒ぶる『力』をなだめようと試みていた。
ここから立ち去ることができれば収まるかもしれないのだが――
「わっ」
そのときミーネが驚きの声をあげた。
ふり返るとミーネが尻もちをついており、その手前の床――、真っ黒い染みからもこもこと伸び上がるものがある。
「スナークが復活します。襲われても多少傷を負う程度のものですが念のため離れてください」
副団長が言い、ミーネの手に手を貸して立ちあがらせる。
やがて伸び上がった黒い影がうねうねとうごめきながら形を取り始め――
「うわぁ……」
「なん……、だこれ」
ミーネは嫌そうな声をあげ、シャンセルは愕然とする。
姿を現したスナークは、全体としてはタールを塗られたトカゲのようであった。しかしその頭はネズミのようであり、四肢は無く、変わりに芋虫のようにずらっと並ぶ足、背には鳥の翼。
――ああッ、殺してくれッ!
「――ッ!」
はっきりと届いたその声。
瞬間、おれの左手から放たれる雷撃。
意識して、ではなかった。
まるでそうするようすり込まれていたかのように左手はかざされ、使おうとする意識すらないまま放たれた雷撃、その色は黒。
初めて見る色だ。
黒雷は藻掻くように宙へと飛びだしたスナークを捉えた。
そしてスナークは――、爆ぜた。
粉々に、跡形もなく、ただそこに星のような小さな光を残して。
『……え』
おれを含めて全員が戸惑いの声をあげた。
聞いていた話と違うと。
これまで目にしてきた状態と違うと。
小さな光はふよふよと漂い、他の染み――活動停止をしているスナークの上を舞う。
すると他のスナークも一斉に復活を始めた。
「なっ、まだ時間ではないはず……!」
副団長が驚くなか、アロヴが足早にやって来て言う。
「レイヴァース殿! もう一度同じことはできるか!?」
「え……、あー、おそらく……」
正確な返答など出来はしない。
今のはおれの意志ではなかったのだ。
そして、まるでアロヴの問いに答えるように、左腕に蛇のようにまとわりつきバチバチと音を立て始めた黒雷もおれの意志ではない。
死の冒涜を許しておけない死神の鎌が、おれを突き動かしてのものだ。
この意識せずに雷撃が溢れている状態――、おれとしてはかなり不気味なものだった。いや、放ってふと感じたのだが、もしかしたら本来はこんなふうに溢れ出るようなものだったのかもしれない。生まれたときから善神の加護があり、力が抑え込まれていたから感じることの出来なかった感覚だ。
黒雷は四つの祝福をすり抜けて溢れ出ている。
スナークがいるせいで特殊な状態になっているのは何となくわかるのだが……、これを使ってもおれは大丈夫なのか? 祝福があるからある程度は保護してもらえたりするのか?
やがて五体のスナークが復活を果たしたが――、やはり同じ、黒雷は放たれ、スナークたちを木っ端微塵、小さな光へと変えた。
六つになった光はどういうわけか、おれの周りをふわふわと舞う。
喜んでいる――、ような気がする。
少なくとも、もう『殺してくれ』とは訴えていない。
でもこれ……、死んでないんじゃない?
それでいいの?
「……精霊、か?」
アロヴがぽつりと言う。
「精霊? これって精霊なんですか?」
「いや、どうだろうな。だが精霊というのはこんな感じなのだ」
両親も会ったことがないと言っていた精霊……、これがそうなのか?
でもどうしてスナークが?
あんまり死ねない状態が続きすぎて、死神の力で正常化したら別物になっちゃったってこと?
やっぱり死ねないままだけど、在り方が変わったからそれでいいの?
「なあシア……、もしかしておれってこのためにこっちに来させられたのか……?」
「へ? ……、いや、いやいやいや! 知りませんよわたし!? いやホントにこれについてはさっぱりです!」
「そうか」
死ねない連中が問題になっている世界に、殺せるおれが転生してくる――、できすぎだ。どう考えても計画されたものだろうが、これについてシアは関わっていないらしい。
鎌がすっぽぬけておれにぶつかり、おれが昇天したあたりまでは偶然の出来事であったとして、問題はそこからだろう。ある程度の確信をもって、あのアホ神はおれをこの世界に放りこんだのでは? 死神の力の一部を使えるおれを、死神の力でしか葬れないものたちがいるここに――。
「……? シア、おまえの仲間はどうしてる」
ふと疑問が浮かぶ。
おれですら絶対殺すマンになるくらいなのに、どうして他の死神はこの事態を放置なのだろう?
「わたしの……? ああ! えっと、基本アホの子なんです。ですからこれに対して特別な感情は抱きようがありません。ご主人さまだけが――、特別です」
それは死を与える――、強すぎる存在への制約ということなのだろうか? 死神が自由意志を持ち、怒りや憎しみ、または享楽によって力を振るいだしたらただただ大惨事なのだから。
故におれだけがこいつらを殺せ、殺してやろうと思える――。
ますますうさんくさい。
くそっ、もっとしっかりアホ神と話をしておくべきだった。
だがさすがにあの状況――、黒い玉になっていたあの状態で、そこまで冷静に状況を分析できるほどおれは神経が太くない。おまけに妙な捏造映像を見せられるわ、巨大なチンコは出てくるわ、メチャクチャだった。結局、勢いに乗せられてしまったということなのだろう。
どこまでが偶然で、どこまでが計画か。
一度、冷静になって考えてみた方がいいかもしれない。
「……レ、レイヴァース卿! あ、貴方はスナークを滅することができるのですか!?」
そこで茫然としていた副団長に尋ねられた。
どうかそうであってくれと祈るような気持ちでいるのだろう、もう表情は泣きそうだ。
「どうも精霊になってしまうようですが……、スナークでなくすことは出来るみたいです。ただぼくも今初めて知ったので、どれくらいやれるかはわかりません」
「おお、おぉ……、おおぉ……」
副団長は今にも跪いて祈り始めそうな感じだ。
これ、おれもリビラと一緒に戦う流れだな……。
まあこうなった以上、スナークもほっとくわけにはいかなくなった。
あの死ねない連中をほったらかしにすることを、おれのなかの死神の鎌が認めないのだ。
そう覚悟を決めたとき、おれの周りを舞っていた精霊たちがふわふわっとバルコニーへと移動していき、寄り添い合う。
そしてキンッ――、と甲高い音を立てて姿を消した。
「……? ――あッ!」
なんだろう、と思った瞬間に閃いた。
最初に精霊に変えたスナークは、ほかの活動停止していたスナークの復活を促した。
まるで殺してくれる者が現れたと知らせるように。
ならば今のは――
「アロヴさん! ぼくを乗せて谷へ!」
「んお? なんだ、どうした」
「精霊はたぶん谷のスナークにぼくのことを知らせた! すべてのスナークが目を覚ます!」
『な――ッ!?』
全員が驚き、谷へと目を向ける。
するとそれに合わせたように谷に変化があった。
黒く塗りつぶされた谷底から、噴き上がるような瘴気が。
「スナークの復活が早まった! 全員、直ちに防衛準備を! 無茶なのはわかっている! だがなんとかここをしのげ!」
副団長が直ちに通信機ごしに指示を出す。
「まずいぞ、盾士の準備がろくに整っていない状態での侵攻は……!」
リクシーが渋い顔で言う。
そこでアロヴがバルコニーの手すりを飛びこえ、その身を竜と化してからおれに問う。
「レイヴァース殿、なにか手立てがあるのだな!?」
「詳しくは向かいながら!」
「わかった! 乗れ!」
アロヴはバルコニーに背を向け、停止飛行状態で尻尾を手すりへとひっかけた。
尻尾を伝って背に来い、と言うことか。
「二人も来てくれ」
「うん!」
「はーい!」
ミーネとシアが元気よく返事をする。
危険な状況に飛びこむことになるのだが……、迷いねえな、まったく。
「ダンナ! あたしは!?」
「待機だよ!」
「俺はどうしたらいい?」
「殿下も安全な場所で待っていてください!」
何気に行く気になっていたのか、この王子王女は。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/17
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/02/26




