お姫様だと思ったのに
「お方様!」
「何!」
「プリンが!」
「今度は何!」
朝。
凛は寝台から飛び起きた。
「虫を集めすぎました!」
「どこに!」
「畑!」
「プリンーっ!」
*
『何だ!』
「多い!」
『草を食わせろと言っただろう!』
「こんなに呼べとは言ってない!」
『多い方が早い!』
「限度!」
『げんど?』
「ほどほど!」
『最初からそう言え!』
「普通分かるでしょ!」
『分からん!』
凛は頭を抱えた。
「シロイチと同じだ……」
『なぜ俺を見る!』
「最初の草取り思い出した」
『忘れろ!』
*
「リン様!」
「今度は何!」
「学校!」
「あ!」
走る。
集会所。
「遅いです」
サエが待っていた。
「ごめん!」
「今日は海のお話です」
「はい!」
「先生が遅刻してどうするのです?」
「私先生じゃない!」
「今日は先生です」
「はい……」
子供たち。
大人。
三十人近い。
「増えてない?」
「見学です」
「誰?」
「船の話を聞きたいそうです」
「海ないのに?」
「だからでしょう」
「あ」
知らないもの。
だから。
見たい。
*
「海は」
凛は木片へ絵を描いた。
「でっかい水たまり」
「湖?」
「もっとでかい」
「どれくらい?」
「向こうが見えない」
「嘘!」
「本当!」
「端は?」
「あるけど、ものすごく遠い」
「魚いる?」
「いる」
「大きい?」
「家より大きいのも」
「嘘!」
「本当だって!」
ポクルだけは。
真剣に聞いている。
「船は?」
「大きいのも小さいのも」
「星は?」
「星を見て進む船もある」
「どうやって?」
「それは」
凛は止まった。
「詳しくは知らない!」
「えー!」
「先生呼んで!」
「私も専門外です」
サエが言う。
「じゃあ今度調べよう!」
「はい!」
それでいい。
知らないなら。
一緒に調べる。
*
昼。
アンジェル酒造。
「飲むな!」
「試飲だ!」
「朝から何杯目!」
「二杯!」
「本当?」
「……三杯」
「バッカス!」
「一杯はモモが!」
「私飲んでない」
「裏切ったな!」
「嘘つく方が悪い」
葡萄酒。
今年は。
去年より多い。
葡萄農家も増えた。
器を作る職人にも仕事が増えた。
運ぶ商人も。
「ミルンから注文来たよ」
「何本?」
「去年の三倍」
「少ない!」
「急に増やさない!」
「酒が足りん!」
「お前が飲むから!」
*
午後。
水田。
「ここ」
カスルが言う。
「水少ない」
「分かる?」
「うん」
「すごいじゃん」
「じいちゃんに教えてもらった」
「誰?」
「ここの田んぼやってる人」
「ああ」
いつの間にか。
自分で教えてくれる人を見つけている。
「田んぼやる?」
「まだ分かんない」
「そっか」
「でも明日も来る」
「うん」
それでいい。
*
夕方。
ポクルが手紙を持って走ってきた。
「お方様!」
「何?」
「リゲル様が!」
「どうした?」
「タルシア!」
「え!」
リゲルが。
航海学校へ問い合わせる書状を。
正式に出してくれた。
「返事来た?」
「まだ!」
「じゃあ何で走ってきたの!」
「出したって!」
「そっか!」
でも。
二人で笑った。
一歩。
たった一歩。
道が伸びた。
*
夜。
縁側。
凛とリゲル。
「今日も疲れた」
「お疲れさまです」
「領主夫人って暇じゃなかった」
「最初から申したつもりですが」
「聞いてなかった」
「でしょうね」
「お姫様みたいに暮らせると思ったのに」
「誰がお姫様です?」
「私」
「領主夫人です」
「似たようなものだと思った」
「全然違いましたね」
「うん」
凛は笑った。
「戦った」
「はい」
「耕した」
「はい」
「酒造った」
「はい」
「魔拾った」
「何人も」
「学校作った」
「はい」
「外国行った」
「はい」
「虫まで雇った」
「それは普通しません」
「忙しい」
「自分で増やしています」
「それ言わないで」
*
「ねえ」
「はい」
「私、お姫様になれた?」
リゲルは。
少し考えた。
「なりたかったのですか?」
「最初は」
「今は?」
「別に」
「では、なれなくてよかったのでは?」
「そうだね」
「嫌でしたか?」
「何が?」
「ここへ来たこと」
凛は。
畑を見る。
暗い。
遠く。
虫の声。
館のどこかから。
バッカスの声。
「酒を隠すな!」
モモ。
「仕事したら!」
「明日する!」
「今日しろ!」
凛が吹き出す。
「うるさいね」
「はい」
「シロイチも」
『聞こえているぞ!』
「どこにいるの!」
『屋根だ!』
「寝なさい!」
『鳥に言うな!』
リゲルが笑う。
「で?」
「何が?」
「嫌でしたか?」
「ああ」
凛は。
少し考えて。
「ううん」
答えた。
「楽しい」
「そうですか」
「うん」
*
日本にいたころ。
豊かさとは。
もっと便利になることだと思っていた。
収入。
物。
教育。
効率。
もちろん。
どれも大切だ。
今でも。
そう思う。
でも。
それだけではなかった。
畑が好きな人。
町へ出たい人。
学校へ行きたい人。
行かない人。
船乗りになりたい子。
まだ何をしたいか分からない子。
人と暮らす魔。
魔のままでいたい魔。
それぞれ。
違う。
「リゲル」
「はい」
「この国、豊かにできるかな」
「まだ、それを目指しますか?」
「うーん」
凛は首を傾げた。
「違うな」
「では?」
「みんなが」
少し考える。
「やりたいことを見つけたとき」
「はい」
「できるかもしれない国にしたい」
「できる国、ではなく?」
「そこまでは約束できない」
金がないこともある。
能力が足りないことも。
失敗することも。
「でも」
最初から。
知らない。
道がない。
選べない。
それを。
少しずつ減らしたい。
「ずいぶん控えめになりましたね」
「大人になったから」
「こちらへ来て一年も経っておりません」
「じゃあ元から大人!」
「そうでしたか?」
「二十五歳!」
「年齢の話では」
「喧嘩売ってる?」
「いいえ」
*
リゲルが言った。
「終わりませんね」
「何が?」
「リンのやりたいことです」
「……うん」
学校を作った。
終わりではない。
葡萄酒を造った。
終わりではない。
米を作った。
終わりではない。
「国って」
「はい」
「完成しないんだね」
「人が暮らしておりますから」
「ああ」
その言葉が。
妙にしっくりきた。
「じゃあ」
凛はリゲルの肩へ頭を預ける。
「ずっとやる?」
「何を?」
「一緒に」
リゲルが笑った。
「もちろん」
*
翌朝。
「リンーっ!」
モモの声。
「何ーっ!」
「畑に変なのいる!」
「何!」
「分かんない!」
「プリンの虫?」
「違う!」
「シロイチ!」
『見た!』
「何!」
『作物を食ってる!』
「何匹!」
『一匹!』
「でかい?」
『でかい!』
「魔?」
『分からん!』
「ベテル!」
「おります」
「弓!」
「こちらに」
「リゲル!」
「私も行きます」
「よし!」
凛は走る。
「リン様!」
ジェネが追いかける。
「朝食は!」
「帰ってから!」
「またですか!」
「畑が先!」
*
朝日。
畑。
学校へ向かう子供たちが。
「お方様、また走ってる!」
と笑う。
「笑うな!」
「今日は学校来る?」
「行く!」
「遅れないで!」
「頑張る!」
領主夫人。
元国家公務員。
二十五歳。
職業を一言で説明しろと言われても。
もう。
自分でもよく分からない。
でも。
それでよかった。
「待てーっ!」
畑の向こう。
何かが逃げる。
「作物食べるなーっ!」
弓を持ち。
畑を駆ける。
凛は。
笑っていた。
「お姫様かと思ったら――」
走りながら。
叫ぶ。
「戦って、耕して……忙しいったらありゃしない!」
今日も。
アンジェルの一日が始まる。
そして。
凛の仕事は。
たぶん。
これからも終わらない。
――完――




