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1章2話

吊された男、登場。

 数分後、扉が音もなく開いた。侵入者か、と部屋の中にあるナイフを握りしめて警戒するフルールの肩をAZは叩き、安心しろ、と首を横に振る。

「ようやくか」

「やあ、待たせたね、麗しの魔女殿」

 呼びかけを合図に臙脂のフロックコートを着た白銀の髪の青年が部屋に入り、ニコリと笑って手を振る。

 大抵の婦女子であれば頬を赤らめて黄色い声を上げる麗しき青年のそれを、AZは腕を組んだまま白んだ眼差しで睨む。

「遅いぞ。貴様のその名は飾りか? 吊るされた男?」

「やれやれ。相変わらず不機嫌なことだ。まあ、良い。患者は……あの子か」

 吊された男はリリィのベッドに膝をつき、診察する。

(魔術の核は薔薇十字、ローゼンクロイツのものか。それをカバラで補強し、更にセフィロトの逆さ樹ーークリフォトで洗脳魔術を強化させる、と。これはまた)

「随分と杜撰な魔術だ……」

 オリジナルだけなら吊された男でもどうにもならないが、この魔術を編み出した者はアグリッパとエノクの魔術を織り交ぜて英語に無理矢理置き換えている。補強補完のつもりだろうが、綻びを作っている上に核と喧嘩させている。これならば吊された男にとっては。

「この程度、造作もない」

 コートのポケットからプロテスタントの十字架を取り出し、リリィの胸に置く。さらに鞄の中身を広げ、水晶玉と蝋燭をリリィの足元に置き、紫色のストラをリリィの額に当てる。

「幼子に取り憑きしモノよ。今すぐ立ち退いて貰おう。其処は貴公の棲家ではない。貴公の棲家は主が作られた地下の国である。そこがイヤならば、人の手により作られた模造の国に移られよ」

「あ……あったか、い……」

 幼き少女の体が微かに震え、赤黒い刻印が淡く光る。薔薇十字とクリフォトを取り巻くヘブライ文字が引き剥がされ、黒い塊となって水晶玉に引き込まれる。

 吊された男は黒い塊が閉じ込められた水晶玉を蝋燭にかざし、ラテン語で唱える。

「神が私達を憐れみ、祝福し、御顔の輝きを私達に向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いを全ての民が知るために。神よ、全ての民があなたに感謝を捧げますように。全ての民がこぞってあなたに感謝を捧げますように。諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように。あなたが全ての民を公平に裁き、この地において諸国の民を導かれることを。神よ、全ての民があなたに感謝を捧げますように。全ての民がこぞってあなたに感謝を捧げますように。大地は作物を実らせました。神、私達の神が、私達を祝福してくださいますように。神が私達を祝福してくださいますように。地の果てに至るまで全てのものが神を畏れ敬いますように」

 黒い塊が白き光となり、蝋燭の火が広がって水晶玉を包み込む。火が消えると、水晶玉は天使の形をした銀色の鍵となった。

「仕上げだ」

 吊された男は銀色の鍵を薔薇十字とクリフォトの境目に当て、鍵を三度回す。

 赤黒い刻印が煙のように溶けて消えていく。

 ふぅ、と小さく息を吐いた吊された男は少し離れたところで固唾を飲んで見つめる少年に笑いかける。

「これで大丈夫だ」

 止まったゼンマイが動き出した人形のように、フルールは走り出し、駆け寄る。

「リリィ、リリィ!」

「お兄ちゃん……なんだか、前より調子良くて、からだポカポカするの……」

「そっかぁ……よかったぁ……」

 頬を赤くして笑うリリィをフルールは抱きしめ、リリィは兄を安心させるように頭を撫でる。

 兄妹の無言のやり取りを満足げに頷いた吊された男は手を広げてAZに近づく。

「そんなわけだ、魔女殿。私の願いに応えてもらおうか」

「研究ならお断りだ」

「そうではない。私の弟子の面倒を一週間、見てくれないか?」

「私はフルール盗人少年と旅をする予定だ。面倒を見る余裕はない」

 勝手に予定を取り付けられたフルールは聞き捨てならないと言った様子で割り込む。

「おい。名前の後ろいらねえだろ」

「つーか、あんたなんで棺に閉じ込められていたんだ?」

 AZは少し遠い目をし、ため息を吐く。

「……ほんの十年前、女王率いる騎士団に負けて眠らされた。それだけだ」

「それより、フルール泥棒少年。聞きたいことが二つある」

「なんだよ」

 蘇ってからリリィの異常を見るまでAZは疑問に思っていたのだ。

「この町で見かけたことのない格好をした者、赤と白と金色が目立つ服を着た人たちは来なかったか?」

「来ていた。又聞きだけど、十字架の真ん中に薔薇があって、その十字架の下にリリィの胸にあった樹みたいな模様が入った服を着た人たちが。確か……一ヶ月前か。リリィも含めてここにいる全員、苦しみを取り除く奇跡を授けるとかなんとかで。それでリリィ達も元気になっていったんだけど……だんだん酷くなっていって……」

「……君は?」

「そんときは別の仕事でいなかったから会わなかったけど」

「そうか。それは何よりだ。で、最後に聞きたいことがある」

「君は誰の依頼で私の墓を掘り当てた?」

 魔術のまの字も知らない少年に自分を掘り起こすよう仕向けた者の狙いがなんなのかを。

「え? えっと……ドクタージョブズ。この街一番の名医で、一部の貴族も世話になってる医者なんだ。一週間前にリリィやみんなの症状が悪化してどの薬も効かなくてどうしようってなった時にドクタージョブズから依頼が来たんだ。あんたの墓を掘ったのはあんたの体が妹さんやみんなの治療に役に立つからって」

 守秘義務、という四文字が浮かんだが、掘り起こした死体が不死身の魔女であった以上、そんなものは意味ないだろ、と思い、フルールは正直に答えると、AZと吊された男の表情が凍りついた。

「……まずいな」

「え?」

「ああ。まずいことになったな」

 まずいこと、と聞いてフルールは焦る。

「それって、俺が仕事を果たせなかったから失敗って言いたいのか? あ、でも、それならそれで別の仕事を」

「それもある。が、君は私の復活を見た。見てしまった。私が不死であることを知ってしまった。極秘が漏れてしまった。そんなこと相手が許すと思うか?」

「あ……」

 秘密を詮索した者の末路を見てきたフルールは己もそうなってしまう未来を示唆されて息を呑む。

 吊された男は追い討ちをかけるように淡々と推測を伝える。

「ドクタージョブズの狙いは不老不死の実験だろう。そもそもタイミングが怪しい。ローゼンクロイツの分派による呪いが進行した時に名医からの誘い。ピンポイントで墓の指名。死体の顔合わせもしていないのに、効能があると確信した口ぶりだ」

 言われてフルールは思い出す。

「そう、いえば、AZの、墓の、警備は、ほとんど、なかった……」

 フルールは乾いた喉を潤すように唾を飲み、口を開く。

「もしかして、ドクタージョブズは……」

「グルだな」

「ああ。ローゼンクロイツの分派と繋がっていると見た」

 町一番の名医がリリィに、仲間に、あんなおぞましいものを施した連中と手を組んでいたことにショックを受けつつも言葉を紡ぐ。

「な、んの、ために……」

「分からん。だが、これ以上留まるのは危うい。選べ、フルール少年」

「なにを?」

「私を不老不死の材料としてドクタージョブズに売り払い、金を得るか。私の手を取って、数多の敵と鬼ごっこをする旅に出るか」

 残酷な二者択一を前にフルールは目を閉じる。目と鼻の先にあって手の中に収められるか金か千里の先にあるかどうか分からない安全か。変わらない日常か変わりゆく非日常か。

(俺は、金が欲しい。こいつとは初対面で、助ける理由はない。でも、こいつについて行ったら、今までの生活とおさらばできる。だけど)

 リリィは兄の頭をポンポンと撫でる。

「おにい、ちゃん」

「じゆうに、なって、いい、んだよ」

「もう、がまん、しないで」

 言外に置いて行っても構わないと言った妹に、フルールは目を開ける。

「っ……」

 いつも妹を安心させるために浮かべていた兄の笑みをリリィは真似ていた。その笑みで、フルールの決意は固まった。

「リリィもだ! リリィも連れて行け! ついでにリリィの恩人さん! あんたも一緒に来いよ! 俺たちの旅に!」

「げっ」

 露骨に顔を顰めるAZを尻目に吊された男は仕事道具を鞄に納めて鞄を持ち上げる。

「ふふ。いいとも。まずは私の家に行こうか!」

「仕切るな!」

 フルールはリリィを優しく抱き上げ、AZと吊された男と共にアジトから飛び出す。

 吊された男が路地に停めていた馬車に乗り込んでベーカー通りにあるハングドマンの別宅へと疾走していく。

(ジョン……アンナ……ヘンリー……セシル……)

 置いて行ってすまない。けど、後でこの人達を連れて、戻ってくるから。それまで自分のままでいてくれ。いてくれるように祈るしかできないけど。

(神さま、みんなを守ってくれ)

神様は祈りを聞き届けてくれるのでしょうか

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