プロローグ
墓地から始まる運命の物語
十八世紀。大英帝国。帝都ロンドン。
霧が立ち込める深き夜の墓地には土を掘る音と一人の少年の荒い息遣いが響いていた。
「早く、早く、見つけて、渡さないと……」
浮浪者の少年フルールの脳裏に幼い妹のやつれた顔が浮かぶ。治ることのない熱にうなされ、息をするごとに咳き込みながらベッドに横たわる妹の姿が、フルールを突き動かす。
スラムで生まれ育った自分には医者や薬はおろか、温かいスープすら作ることも買うことも出来ない。せいぜい泥水にまみれたパンや残りカスでしかない肉にありつくのに精一杯だ。
そう、金がない。金が無いというだけで何もかもが不利になる。自分達の生活も妹の健康も。
「くそ、早く出てこい、よっ!」
死肉を貪るカラスみたく墓を荒らし、死体を医者や解剖医に渡す。それがフルールの仕事だ。依頼人が、町一番の名医が、この死体なら妹を、みんなを救えると、言ってくれたんだ。スコップを持つ手が震える。吐く息が白くなる。膝が笑っている。それでもフルールは土を掘り進めていく。この死体が妹やみんなを救えるのなら。
一心不乱に掘り進めていくうちにスコップが硬いものに当たった。ガツン。鈍い音が響く。
フルールは手で土を払いのけていき、見えてきた棺の蓋をこじ開けようとするが、中々開かない。爪が割れ、血が滲んでいく。重い。固い。眠りを妨げるな、というのか。ふざけるな。
「こん、ちく、しょぉぉ!!」
こっちは生きてる妹やみんなの命がかかってるんだ。
フルールはスコップを棺の蓋の隙間に入れてわずかに開かせ、思い切り蹴り飛ばした。ここまで手間をかけさせた死者の顔を拝ませるために。
そう、意気込んで中を見た瞬間、フルールは言葉を失った。
「ーーーー」
棺の中には肩と胸元を大胆に露出させた黒いドレスを着た女が眠っていた。
カラスの羽を思わせる黒髪、豊満な体型、磁器の如き白い肌。閉じた瞼の上には二枚の銀貨すなわち葬送銀貨が置かれている。死者の目隠しとして古くから使われている。
(まるで寝てるみてえだ)
美しいとかキレイとかよりも先に浮かんだのは、女の死体の状態で。スコップの倒れる音にハッと我に返ったフルールは女の顔に触れる。
「この死体、まだ新鮮だッ! これならたんまり金が貰える!」
女の体は冷たく、腐敗の兆しもない。完璧な「商品」だ。これを基に妹やみんなを治す薬を、医者が、依頼人が、作ってくれる。早く持ち帰らないと。
「……コインも貰っておくか」
これぐらいいいよな。死人には要らないモノなんだから、今生きてる人間に使わせてくれよな。そんな思いからフルールはゆっくりと女の瞼から葬送銀貨を剥ぎ取った。
その瞬間、女の手がフルールの手首を掴んだ。
「うわぁ!? だ、誰だ!? って、え……」
女の目がカッと開く。深紅の輝きが闇の中で燃えるように映えた。
「なんだ、また生き埋めか……それも棺桶とは。何度も苦しむ羽目になるではないか」
女はゆっくりと身を起こし、うーん、と背伸びする。気怠さを少し払った女は棺桶から出してくれたのは誰だろうか、と視線を巡らせ、己を茫然と見つめる少年に声をかけた。
「私を地獄から解放してくれてありがとうな少年」
フルールは後ずさる。銀貨を握り潰すほど手に力を込める。
「あ、あんた、し、死んでた、はずじゃ……ま、まさか、死んだ、ふり……で、でも、さっき、つ、冷たかった……」
女は優雅に棺から這い出し、ドレスの裾を払う。泥が少し付着してしまったが、そんなのは女にはどうでもいいことだ。
「私は君がコインを取るまで死んでいた」
「そして生き返ったのさ。君のおかげで」
「…………」
フルールの頭の中はひっくり返された書庫のようになっていた。新鮮な死体は死体じゃなくなって、妹やみんなを治す薬の材料は無くなって、依頼達成出来なかったから、金はもらえなくなって、いや、そうじゃなくて、あの女は、生き返ったと言ってたから、不死身で、人間じゃないのか。
「コインを取ったのは欲か? それとも必要に迫られてか?」
女は混乱から帰ってこない少年の手から二枚の銀貨を取り上げ、指先で弄ぶ。銀貨が月光を反射してきらめく。
返せよ、と叫ぼうとしたが、女の真紅の眼差しを前に叫べなかった。答えないと食われる。魔女に食べられそうになったヘンゼルとグレーテルのように。そんな予感がして、フルールは正直に答えた。
「妹が、みんなが、死にそうなんだ。金がなきゃ、薬が買えない……」
「そうか」
「なあ、あんた、なにもんだ? 名前は?」
「ーーAZ。悠久の時を生きる魔女、と言っておこう」
魔女と自称したAZは二枚の葬送銀貨をフルールの少年の手のひらに優しく置き、握らせる。
「欲ではなく、必要なら……これで薬を買え」
そう言って微かに笑うAZに、フルールは呆気に取られる。
これが二人の運命の始まり。
のちに世界を揺るがすことになる運命のスタート地点となる。
次回、魔女をおうちにつれていくの巻




