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かげろうのシーマン  作者: 佐久間五十六


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行方不明

 二日目の捜索は、一日目の結果を踏まえてポイントを絞る事にした。その成果は絶大だった。捜索開始からわずか20分でP-3Cの機体を発見した。しかし、中には隊員はおらず、そこから3㎞程の海域で15人の隊員が生存しているのを発見。直ぐ様US-2救難飛行艇により、救出された5人は本土へ運ばれ治療を受ける事になった。幸いにして命に別状は無く、大きな怪我も無かった。

 だが、まだ一人の隊員が行方不明との事であった。2機あった哨戒機のうちの一つの機長で、海上自衛隊では名の知れた一野村夫一佐である。一野一佐は一番最後に脱出したと言う話だが、機体内部はおろか、周辺の海上にすらその姿は無かった。機体の回収が終わっても一野一佐の行方は分からず仕舞いであった。

 その後、五日以上捜索を続けたものの、遂に見つけ出す事は出来なかった。結果、一野一佐は行方不明となり、海上自衛隊では戦死扱いに認定され、一階級昇進となった。自衛隊では旧帝国陸海軍の時代から戦死又は不慮の事故により亡くなった者を一階級又は二階級特進させる伝統があった。P-3Cが領空侵犯機に撃墜されると言う前代未聞の事件は行方不明者一人を出して幕を閉じた。

 と、同時に海上自衛隊の内部では対空戦闘を強化した次期哨戒機の配備計画が検討され始めていた。たかだか戦闘機一機に対して我が国が誇る最強のsubmarineハンターが落とされた事がしゃくに触ったのだろう。確かに対潜能力ばかりに注力していたのは間違い無い。対空兵器をつけなかった事は、油断であり慢心であった。それは認めざるを得ない。

 だが、一野一佐を死なせてしまったのは、他の誰でもない日本人のせいである。今更責任の擦り付け合いをしたところで、彼が生きて帰ってくる保証はない。とは言え、P-3Cがやられたのは性能が中国空軍機に対して、何も出来なかった事を証明する何よりの証であった。

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