戦士の休息
事態は一刻を争う様な状況であった。米国は海軍の原子力空母ジェラルネ・リミットや、多くの艦船も出撃したが、鹿児島沖から沖縄近海に至るまで網の目状の探索は続いていた。もし仮にP-3C乗員が脱出に成功していれば、海上に着水しているはずであるが、脱出に失敗していれば、生存率は大幅に低下している事は、目に見えている。
救命胴衣を着用している余裕など無かった筈である。まずは撃墜された2機の機体を発見する事と、それが最優先である。機体さえ見つかればその周りに隊員がいる可能性も無きにしもあらずである。
だが、日没サスペンデットまでには、もう二時間もない。暗くなれば、救助効率が大幅に低下してしまう。とは言え、現場で捜索にあたっていた誰もが、暗くなっても捜索は止めない。必ず見つけ出すと言う不退転の決意を持っていた。
政治家も黙ってはいなかった。国籍不明機の国籍を中国空軍機と断定。日本は中国に更なる経済制裁を発動。米国政府も中国に対して同様の事をした。
救いだったのは、死人が確認されていない事であった。死人が確認されれば、現場の士気が下がるのは目に見えていた。その決意とは裏腹に航空機や艦船も、燃料が無くなってきた。捜索を継続したかったが、物理的な限界には誰も敵わない。
午後20:00を過ぎると、海上自衛隊自衛艦隊司令部広報官の横木照久海将補が一日目の捜索終了を全部隊に発令した。米国海軍も、同時刻に佐世保基地に帰投した。一日目の捜索で見つかったは、わずかにP-3Cのウィングの欠片と思われる、白い欠片だけであった。
隊員達は疲労困憊の様子であったが、日の出の捜索開始に向けて早めに寝た。いくら天下無双の自衛官とは言え、休息は必要である。同胞がしんどい思いをしていると思うと、寝るに寝られなかったが、今彼等に出来る事は、しっかりと寝て体力を回復させる事であった。




