シーマン最大の試練
岩国において雅人は様々な事を学んだ。在日米軍の航空基地がある岩国において、米国海軍の哨戒機乗組員から話を聞く機会もあったし、同じP-3Cを運用している指揮官の話を聞く事も出来た。
無論、その間もパトロールフライトの順番は回ってきた。まるで、時の流れが2倍速、3倍速にでもなったかの様な感じがした。だが、雅人はその生活に満足していた。やりがいのある仕事につけたと言う実感もあった。かげろうのシーマンとして現場に赴任して10年もの日々が立とうとしていた。
事件はそんな時に起きた。雅人はニュースでその事を知った。海上自衛隊岩国航空基地所属の哨戒パトロール中の2機の哨戒機が、中国空軍の領空侵犯機に撃墜されたと言う衝撃的なものであった。乗員の安否は不明。防衛省は、海上、航空両自衛隊による救難部隊を編成。雅人も駆り出された。領空侵犯機は、その場から領空外に逃走。航空自衛隊の戦闘機がスクランブル発進したが、追い付けなかった。
勝負のデッドラインは72時間。それ以上時間が立てば、助かる命も助からない。雅人は自分の部下にこんな事を話していた。
「いいか。絶対に全員を救出するぞ。やられたのは、同じ海上自衛隊員なんだ。何があろうと救出する。許せない気持ちも分かるが、ここはこらえ時だ。そして冷静になれ。こんな事態は経験が無いが、それでも救出してみせるぞ。」
雅人の決意は部下にもしっかり伝わった。だが現実はシビアだ。中国空軍機に撃墜された哨戒機は、撃墜された時点で木端微塵になっている可能性が高く、もしエンジンが損傷していたり、燃料に引火して大爆発をしていれば、肉片すら残っていないかも知れない。だが、指をくわえて待っている訳にはいかなかった。空飛ぶかげろうのシーマン達にとって、最大の試練が訪れようとしていた。




