海上自衛隊特殊飛行隊
尚、パイロットには航空手当て等の支給がされる事になる。約4万3000人の隊員の約3分の1が艦艇勤務を、約3分の1が陸上機関に、残りの3分の1が航空部隊として勤務しているとされ、海上自衛隊は"航空海軍"と言われる所以になっており、航空部隊の重要性が分かる。
雅人が厚木に来て、まもなく2年。だが、ここは安住の地ではない。これは幹部自衛官の運命である。そろそろ来るんじゃねぇかと思っていた矢先の事であった。来た。転勤の辞令であった。
ちなみに平均すると、大卒の幹部候補生として入隊した所謂B幹は、定年までの33年間の間に約20回転勤するというデータもある。防大卒のA幹はもっと多い事になるが、これ等は全て人事権のある海上幕僚監部が決めており、部隊からの報告に基づいて適正かつ公正に決められている。
逆に高校卒の任期制隊員は、順当に勤めあげても転勤の数はB幹の半分の約10回。階級が低いからとは言え、転勤が全く無いと言う事は無いようだ。自衛隊と言う特殊な環境下にあって転勤は仕方の無い事になる。
雅人を待つ一人の人物がいた。海上自衛隊厚木航空基地司令官の堀村時二海将、その人であった。
「辞令は見たな?」
「はい。」
「突然だが、君には岩国に行ってもらいたい。何やらまた中国が怪しい動きを見せてるらしい。そこで、海上自衛隊として特殊飛行隊を創設する運びとなった。君にはそこで、中級幹部として部隊を率いて欲しい。」
「はい。分かりました。自分としても本望であります。」
「岩国基地航空隊司令官の武村均海将には、私から話をつけておいた。明日にでも岩国へ向かうように。」
「了解致しました。」
雅人は喜んでいた。一度は諦めかけていた戦闘系部隊への、配属が決まったからだ。たとえ戦闘機には乗れなくても、その支援が出来る?と勘違いしていた雅人のテンションはMAXであった。
その勘違いは別としても、特別飛行隊には全国の航空基地の精鋭パイロットが集まってくるのは、事実である。特殊飛行隊には全国のスターパイロットが召集されるのは分かったが、その狙いまでは明確にされてはいなかった。そんな事とはつゆ知らず雅人は喜んで岩国へと足を運んだ。その足取りは軽やかであった。




