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かげろうのシーマン  作者: 佐久間五十六


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いざ八戸へ

 海上自衛隊第2航空集団は、青森県八戸市にある。大湊には地方隊、三沢には米軍基地もあり、あまり知られていないが、青森県は北日本の防衛の一大拠点である。

 第2航空集団司令の津軽沢流(つがるさわながれ)海将補に挨拶をした雅人は、荷物を第2航空集団所有の隊舎に置き、早速基地見学を許可された。

 「何も見せるものはないぞ。」

 そうぶっきらぼうに言ったのは、第502飛行隊の機長、士野山春斗(しのやまはると)三等海佐であった。士野山三佐は、雅人が自分と同じ階級なのが、どうにも解せぬかった。親子ほど年の差があるにも関わらず。防大(防衛大学校)を出ていたとしても、5年で三佐に成れるエリートは限られている。士野山三佐は48歳。自衛隊員歴30年のベテランであった。下士官からの叩き上げであった士野山三佐にして見れば防大卒業者にどれだけこきつかわれたか分からない。

 「桐生三佐?君防大卒業者?」

 「いえ、航空学生出身です。」

 それを聞いた士野山三佐は、謎が解けた気がした。

 「そうか、先日の対中作戦の功労者か。凄いエースパイロットがいるって言ってたが、コイツの事か。」と、心の中で呟いた。

 立派な佐官になった雅人に指導教官など付く筈もなく、欠員が出た第551飛行隊の機長に抜擢された。八戸には、第501~520の20個の飛行隊が存在している。その機体の多くがP-3Cの後継機であるPX-1であったが、雅人が機長を勤める機体はP-3Cであった。その20人の飛行隊長の上に石沢登志男(いしざわとしお)一等海佐(第2航空集団副司令官)が務める航空総長なるポストがあり、その上に津軽沢流司令官がいると言う那覇よりも規模の大きな指揮命令系統となっていた。

 あとは、留意点をまとめたA4サイズの紙20枚程が渡されて、引き継ぎは終了した。北方の脅威と言えばロシアである。潜水艦もわんさかいる。その為の抑止力であった。そんな事は普通に考えれば、わかりそうな事であるが、その認識があるのと無いのとでは、大きな開きが生まれる。

 そして二点目は、流氷観測と言う任務があるという事。この任務は那覇では無かった任務である。三点目は、対潜水艦抑止力の任務である。那覇では中国や北朝鮮が主な仮想敵国であったが、八戸では、ロシア海軍太平洋艦隊の潜水艦に対する対潜水艦能力を重視しなくてはならなかった。

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