7 失恋しました
親書の内容は以下の通り。
今後のアスレン殿下のため、他国に進行されたマクベシー領を見て回ることを許可すること。
その護衛に騎士二人派遣されること。補佐として教育係のメーゼをつけること。
滞在先はマクベシー伯爵家屋敷で、滞在費はメーゼ経由で密かに王家が払うこと。期限は三日のみ。それ以降は滞在を許さず、強制送還となること。
そんな内容が、渡された親書に書いてあった。
「すでに護衛騎士二名は、庭にて待機させております。費用もすでに受け取っておりまして……私としては、伯爵家の皆様には申し訳なく思う次第です」
「三日とは短すぎるな」
「いいえ!三日でも長すぎます!」
アスレン殿下は三日以上滞在したいらしいが、脱走してきている上に、貴族院を通さず極秘に王家が費用を支払っている以上無理は通せないらしい。
現に、もろもろの事情で急遽教会訪問がこの三日間内に公務とし組み込まれそうになったそうだ。
脱走のことは公にできないので、風邪気味であり民に移す恐れがあるという理由をつけ、代理で王妃様が行くことになったとメーゼは言った。
王妃様と言えば、十年以上前に貴族界を騒がせた令嬢と交換で他国から来た方。
青味がかった銀髪が素晴らしい美女と有名で、アスレン殿下の髪と美貌は王妃様から受け継いでいる。妹君も同じ銀髪に美貌の少女と有名だ。
メーゼが疲れ切ったと言わんばかりの顔で王宮内のことを言えば、アスレン殿下は「なら安心だ」とにこやかに言う。
「そういうことで、すまないけれども、マクベシー伯爵家に厄介になります」
「……」
そう言うと、自分の思惑通りに事が進んで満足しているのか、アスレン殿下は有無御言わさない迫力をもって笑みを浮かべた。
メーゼに至っては、言葉すらかけることも申し訳ないと再び直角90度のお辞儀。
自分たち伯爵家はただ沈黙するしかなかった。
とりあえず、滞在費を出してくれるとはいえ、今のままでは王子殿下が滞在するのにふさわしくないと、慌てて父が侍女たちに命じ部屋を整えさせる。
その間に、護衛騎士を部屋に呼び互いに挨拶し、どこからどこまでなら自由に動いても問題ないかを教える。
国境に線に近いところは当然として、人がいなくなった村にもいかないよう教えているらしく、しきりに行かないようにと言い募る父。
住民はいなくなったが、建物があるので流れついた盗賊などが根城としているらしかった。そんな情報など一切リリスの耳に入らなかったので、驚きつつ頭のすみっこにメモして置く。
エレンジスとは別に、同盟関係にある南のバジリタ国からも盗賊団が入ってきてしまっているそうだ。
こちらは最近できたらしくまだ名前は分かっていない。ただ一つ、彼らは仲間の証に羽根を模した装飾品を身に着けているそうだ。
かなり腕の立つ者も含めれている可能性があり、羽根の装飾品を見たら相手をするなと忠告を入れる。
他国から流れついた盗賊を掃討したいところだが、こちらは人手不足と物資不足、しかも資金不足と、ないもの尽くしで掃討まではいっていない。
国から軍を出してもらい追い出してもらうのが一番だが、今回の侵攻でそちらにも少なくない被害がでたために貴族院が渋っていると父は苦々しく言った。
「つまり見て回れるのは、領主屋敷周辺と他領に隣接している所のみということですか。
まいったな……。できれば被害が一番大きかったところを見たかったんだけれど」
「治安が落ち着き次第にしてください」
そもそもそこを見るために来たのに、見れないなんて問題だろうと、ブツブツ文句を言いつつ、自分に何かあれば咎められるのは伯爵家なのだからと、アスレン殿下は渋々了承した。
黙っていれば、物語に登場するような物腰柔らかな王子様なのに、その言動はつかみどころのない放蕩息子のようだ。
そっとメーゼを窺えば、彼はもう諦めたとやや遠い目をしていた。
その表情にまたもやドキドキと鼓動が鳴る。
自分は年上好きなのだろうか。それともあの平凡さにやられたのか。いやいや、もしかしたら少年が大人になって登場したから、前世の記憶がイタズラを起こしたのかもしれない。
熱くなる頬をどうにかすべく、すでに冷めている安っぽいお茶を一気に飲み干した。
「それなら、早く領地を立て直さなければいけないな。この三日間で出来ることをしようかな」
「少しは自重してくださらないと困ります。……まったく殿下が落ち着いてくださらないと、おちおち家に帰れない上に妻にも会えないい」
「おやノッテ殿はご結婚しておりましたか」
「ええ。主が婚姻を結んで安心いたしまして、私もと兼ねてから好きだった女性と」
胸の鼓動がイヤな音をたて、持っていたカップを落としそうになる。指先が震えていないことが救いだった。
聞き間違いがなければ、彼は今妻と言っていた気がする。いや確実に言った。
メーゼは照れて頬を少し赤らめていた。
学園時代一目ぼれをして、主と共に卒業したことをきっかけに告白し結婚したらしい。平民出身同士なので、簡単に結婚できたそうだ。
こそばゆいのか、しきりに「私にはもったいない女性です」と言っている。
(そう、結婚してるのね。……そうよね、当然だわ)
いくら見かけが若々しくとも男盛り。しかも有能なのだろう、王子の教育係まで勤めているのだから、当然のことだ。
しかしリリスの中では、いまこの時まで妻帯者だと頭になかった。考えなくてもあり得たのに。
なんとか表情を取り繕い、メーゼから視線を反らすと、アスレン殿下がすまさそうな顔をしてこちらを見ていた。
彼は自分の感情の機微に気づき、間違いが起こらないようにと、無意識にメーゼ本人が結婚していることを口にできるよう誘導したらしい。
(お節介!ああ、私の初恋だったのに……)
初恋を実らせた両親を見て育ったリリスは、恋というものに夢を見ていたふしがあった。いつかは自分もああなりたいと。
それを一瞬にして砕いた王子殿下を、思わず睨み付けてしまう。
王家に重要されているとはいえ、向こうは平民の出。対してこちらは伯爵家。
それに歳を考えても、向こうは自分のことなどまだ子供としか思っていないはず。
元からどうにもならないことは重々承知しているし、夢を見るくらいは良かったじゃないか。
口のへの字に目だけに力をこめて睨んでいるが、当のアスレン殿下は笑みでさらりとかわしている。
それが腹立たしく、リリスはさらに口を引き結んだ。