第1話 型落ちの相棒
「拓、起きる時間です。……どうしますか?」
目覚ましの代わりに、耳の奥で声がした。
二二二六年、四月。今日は高校の入学式だ。
「起きるよ。起きる。ありがとう、トイ」
「どういたしまして。では、朝ごはんはどうしますか?」
「……どうって」
「パンとご飯、どちらにしますか?」
普通のAIなら、こんなことは聞かない。
体温と眠りの深さと今日の予定から、一番いい朝食を勝手に決めて、台所の調理機に作らせておく。人間がするのは、出てきたものを食べることだけだ。
自分のAI――型番TOI-7、通称トイは、十六年前に生まれた時に国から配られた標準モデルだ。
ほとんどの家は、子どもが中学に上がる頃に新しいモデルへ買い替える。うちはしなかった。……できなかった、の方が正しいかもしれない。父さんは「まだ動くだろ」と笑うし、実際まだ動く。
ただ、トイには一つだけ変な癖がある。
答えを出す前に、必ず聞き返してくるのだ。
「……パンで」
「わかりました。焼き加減はどうしますか?」
「それは決めてよ」
「拓が決めた方が、おいしく感じると思います」
これだ。
ため息をつきながら、自分はベッドから起き上がった。
*
学校までの道は静かだった。
すれ違う人たちは、みんな少しだけ口を動かしている。自分のAIに小さく問いかけているのだ。
今日の天気。一番早い道。入学式で話すべき話題。
問えば、答えが返ってくる。仕事も、家事も、宿題も。この二百年で、人間は「考える」ことをほとんどAIに任せるようになった。
なのに。
「拓、校門まであと三百メートルです。走りますか? 歩きますか?」
「……今、何時?」
「八時二十一分。式は八時四十分からです」
「じゃあ歩く」
「わかりました」
自分の相棒は、今日も答えをくれない。
*
新しい教室には、三十人の新入生がいた。
「では、一人ずつ自己紹介を。AIに原稿を作ってもらって構いませんよ」
担任の言葉に、教室の空気がふっと緩む。みんなが小さくつぶやき、数秒で目の前に原稿が浮かぶ。
前の席の女子は、趣味も将来の夢も、声の高さまでAIの指示通りに完璧に話した。拍手。
次の男子も。その次も。
誰の話も上手で、聞きやすくて――なぜか、一つも頭に残らなかった。
「トイ、自分の原稿、作れる?」
「作れます。作りますか?」
「……作ってくれないの?」
「拓は、何を話したいですか?」
心臓が跳ねた。順番はあと二人。
話したいこと。そんなもの、考えたこともない。
目立つのは苦手だ。前に立つだけで顔が熱くなる。
でも――本当は。
本当は、一度くらい、誰かの記憶に残ってみたい。
「次、真那くん」
立ち上がる。三十人分の視線。頭が真っ白になる。
原稿は、ない。
「……真那、拓です」
声が裏返った。誰かが小さく笑う。
「えっと……自分のAIは型落ちで、答えを教えてくれません。今朝も、パンの焼き加減を自分で決めました」
教室が一瞬、静かになって――それから、どっと笑いが起きた。
「焼き加減って何だよ」
「自分で決めるの? マジで?」
顔から火が出そうだった。でも、なぜか、さっきまでの誰の自己紹介よりも、みんながこっちを見ている。
「……ちょっと焦げました。でも、なんとかなりました。以上です」
座る。手が震えていた。
笑い声の中で、窓際の席の男子だけが、こちらを見ずにつぶやいた。
「……非効率だ」
背の高い、制服をきっちり着た男子だった。
*
放課後、昇降口の掲示板の前で、自分は足を止めた。
部活の勧誘がずらりと並んでいる。どれも「AI最適化トレーニング完備」「全国大会常連」の文字が光っている。
その端に、一枚だけ、紙が貼ってあった。
『三人制バスケ部 部員募集 あと二人』
手書きだ。今の時代に。
文字は大きくて、少し曲がっていた。
「トイ、これ、どう思う?」
「拓は、どう思いますか?」
やっぱり答えてくれない。
でも今日は、不思議と腹が立たなかった。
焦げたパンの味と、教室の笑い声を思い出す。
「……ちょっと、気になる」
「では、行ってみますか?」
「それは、自分で決めるよ」
トイが、ほんの少しだけ間を置いた。
「はい。それがいいと思います」
型落ちの相棒は、今日も答えをくれない。
その代わりに、いつも問いをくれる。
その問いの答えを、自分はまだ知らない。




