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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第90話 「懐の小さな春と、割れた温石」

――火を持ち歩かず、温もりだけを届ける――


 炬燵こたつが共同炊事場に置かれてから、下京しもぎょうの夜は少しだけ明るくなった。


 けれど、誰もが炬燵に入っていられるわけではない。


 らくは夜道を巡り、甚八じんぱちは冷たい鍛冶場で槌を振るう。お寅婆とらばばは朝早くから露店を開き、子どもたちは水や薪を運ばなければならなかった。


 雪の朝、京鈴きょうすずが両手へ息を吹きかけているのを見て、茶太郎は考えた。


「炬燵の温かさを、外へ持っていけないかな」


「炬燵を背負うんか?」


 こたろが首を傾げた。


「それでは歩けへんやろ」


 かん太が笑ったが、茶太郎は真剣だった。


「火を持っていくんじゃないよ。温もりだけを、石に覚えてもらうんだ」


 ◆河原の温石


 茶太郎たちは宇治川の河原から、手のひらほどの丸い石を拾ってきた。


 よく洗って乾かし、竈の端でゆっくり温める。麻布を何枚も重ねた袋へ入れると、じんわりとした熱が掌へ伝わった。


「……あったかい」


 レオが袋を胸元へ抱く。

 カイも嬉しそうに手を伸ばした。


「石の中に、火が残ってる」


「火そのものやない。石が受け取った熱や」


 甚八は石を持ち上げ、重さを確かめた。


「これなら、炭を懐へ入れるより安全やな」


 茶太郎はその袋を、朝の巡回へ向かう洛の首から下げた。


「重くない?」


「この程度なら問題ない」


 洛は澄ました顔で歩き出したが、数歩進んだところで足を止めた。


「……悪くない。巡回の妨げにもならぬ」


 尻尾が、ほんの少しだけ揺れていた。

 成功したと思った、その日の夕方。

 炊事場の隅で、京鈴が突然顔を上げた。


「……石が、鳴いてる」


 竈の近くに置かれた温石から、かすかな音がしていた。


 ちり。

 ぴしっ。


「みんな、離れて!」


 京鈴が叫んだ直後、石が弾けた。

 乾いた音とともに割れ、欠片が灰の上へ飛び散る。


 茶丸が土霊の壁を立ち上げ、子どもたちを守った。

 幸い、怪我人はいなかった。


 だが、洛の首に下げていたものと同じ石だった。


 茶太郎の顔から血の気が引いた。


「ぼく……また、危ないものを……」


 茶丸は温石の欠片を見つめた。


『川の石は、水を内に抱く。表が乾いていても、奥までは分からぬ』


 甚八が欠片を拾い、割れ目を確かめる。


「熱で中の水が逃げようとしたんや。たまたま割れへんかった石も、安全とは限らん」


 洛は温石袋を茶太郎へ返した。


「守るための道具で、誰かを傷つけてはならぬ。これは使えん」


 責める声ではなかった。


 だからこそ、茶太郎の胸に重く届いた。


 ◆石ではなく、焼き物へ


「同じ大きさで、同じ厚さに作れたら、熱の伝わり方も比べられる」


 甚八は土を練り、掌に収まる平たい器を作った。


 石のような一枚物ではない。小さな二枚の皿を重ね、紐で結べる穴を開ける。中には、十分に焼いて乾かした小さな陶片を入れる仕組みだった。


「熱い陶片を入れて、蓋をする。外は布で二重に包む」


 志乃しのとゆかりは、古い麻布を縫い合わせた。


 内袋には厚い布、外袋には柔らかな布。袋の口は紐で閉じ、直接肌へ触れないようにする。

 ゆかりは、また三色の印をつけた。


「赤い紐は、まだ熱すぎる。白になったら使っていい。青い紐の袋は、子ども用だよ」


 レオが燃料と時刻を記録し、カイが陶片の色を確かめる。京鈴は、乾いた音と危険な軋みを聞き分けた。


 茶太郎たちは、すぐには懐へ入れなかった。


 布の上から何度も触れ、外気の中でどれほど温かさが続くかを試す。熱すぎたものは袋を厚くし、重いものは中身を減らした。


 そして三度目の朝。


 京鈴は小さな懐炉かいろを胸元へ入れ、水汲み場まで歩いた。


「どう?」


「……熱くない。苦しくもない」


 京鈴は両手で懐炉を包み、しばらく黙っていた。


「家の竈を……思い出す」


 茶太郎は何も言わなかった。


 忘れられない家や時間を、無理に消さなくてもいい。

 ただ京鈴の隣を歩き、同じ速さで水汲み場へ向かった。


 ◆温もりを貸す


 最初に作った懐炉は、夜警の者、病み上がりの老人、朝早く働く子どもたちへ渡された。

 お寅婆は受け取る者へ、いつもの調子で言った。


「施しやないで。春になったら袋を返してや。貸しや、貸し」


 甚八は陶工たちへ作り方を伝えた。

 焼き物の厚さ、陶片の数、布の重ね方、温める時間。失敗した石の欠片も捨てず、危険を伝える見本として並べた。


 志乃は、冷えた身体へ生姜入りの蜂蜜湯を配った。


「外は懐炉、中は蜂蜜湯。これなら指も動くわね」


 京鈴は自分の懐炉を、震えていた年下の子へ渡した。

 少女の胸元から離れても、小さな焼き物は温もりを失わなかった。


 やがて、下京から宇治へ向かう荷運びの者たちの間で、新しい噂が流れ始めた。


「宇治の子は、懐に春を入れて歩くらしい」


 けれど、その小さな春を生んだのは、不思議な術だけではない。

 割れた石を隠さず、失敗を皆で見つめたこと。


 聞こえないほど小さな音へ、京鈴が耳を澄ませたこと。

 そして温もりを独り占めせず、次の誰かへ手渡したことだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


温石の失敗を隠していたら、同じ事故が別の場所で起きていたかもしれません。割れた石を危険の見本として残したことが、より安全な懐炉へつながりました。


温もりは独り占めせず、次に寒い人へ貸していく。お寅婆の「貸し」は、今回も人の誇りと縁を守っています。

なお、石や陶器の加熱には破裂や火傷の危険があります。作中の方法を実際に再現することはお控えください。


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『茶太郎がゆく』
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