第61話 「長刀鉾町の空と、墨屋宗白」
――失われた宝と、冬までに建てる家――
長刀鉾町には、空だけが残っていた。
鉾を組むための木材は焼け跡から運び出され、使えるものと使えないものに分けられている。
車輪の一つは割れ、金具は熱で歪んでいた。
そして、鉾の先へ掲げられるはずの長刀がない。
茶太郎は空を見上げた。
「ここに、長刀があったの?」
墨屋宗白が頷く。
「大永二年、三条長吉が打った二代目の長刀です。災厄を祓い、巡行の先頭を示す鉾町の宝でした」
騒乱の日。
武装した者たちが鉾町へ入り、蔵を破った。
長刀は柄から外され、油を含ませた布で包まれたまま持ち去られたという。
誰が運び出したのか。
どこへ向かったのか。
混乱の中で、確かな証言は残っていない。
「探さなきゃ」
茶太郎が言った。
「長刀が帰ってきたら、町の人も安心すると思う」
宗白は返事をせず、焼け跡へ歩き出した。
右頬の火傷が、朝の光を受けて赤く浮かんでいる。
指先は墨で黒い。
宗白は一軒ずつ、残った柱と土地の広さを帳面へ記していた。
「この家には七人。この仮小屋には十二人。屋根を直す板は二百枚足りない。共同竈は、あと三つ必要」
「長刀のことは、書かないの?」
「書いてあります」
宗白は帳面の最後を見せた。
『二代目長刀 所在知れず』
それだけだった。
「探さないの?」
「今は探しません」
茶太郎が顔を上げる。
「どうして?」
「人手が足りないからです」
宗白は淡々と答えた。
「長刀を追う者を十人出せば、屋根を直す手が十人減る。秋雨までに仮小屋が完成しなければ、老人も幼子も濡れます。長刀を取り戻しても、掲げる町がなければ意味がない」
正しい。
けれど、茶太郎の胸には苦い味が広がった。
「でも、大事なものなんでしょう?」
「大事だからこそ、順番を決めるのです」
宗白の言葉は冷たく聞こえる。
しかし彼は自分の店を直さず、他の家の材木を数えていた。
火傷を負った頬にも薬を塗らず、帳面を持つ手だけを動かしている。
太常が宗白の帳面を確かめた。
「物資の数は正確です。六角割付も、すでに町ごとへ写されています」
「宇治の皆様が作った仕組みを借りました」
宗白は茶太郎へ頭を下げる。
「塩、水、薪、寝床。何が不足しているか見えるようになった。ゆえに、長刀へ割ける余裕がないことも分かりました」
天后は帳面の一部を指した。
「この横線は何ですか?」
住民の名が、何人も墨で消されている。
「都を追われた者です」
宗白は答えた。
「戻る見込みのない家は、残った者の仮住まいに使います。空いた蔵の品は、復興の費用へ回す」
「その者たちが帰ってきたら?」
「冬まで空き家を守って、今いる者を凍えさせるわけにはいきません」
天后の黒髪が静かに揺れた。
「戻れぬ者の場所を、無かったことにするのですか」
「今ここにいる者を、先に生かすのです」
二人の間に、張りつめた沈黙が落ちた。
茶太郎には、どちらが正しいのか分からなかった。
帰れない人の場所を残したい。
しかし、今いる人の屋根も必要だ。
「宗白さんは、迷わないの?」
茶太郎が尋ねる。
宗白の筆が、ほんの一瞬だけ止まった。
「迷っていては、冬が待ってくれません」
それ以上は答えなかった。
宗白は宇治の者たちへ、五つの仕事を頼んだ。
炊き出しの竈を増やすこと。
井戸と排水路を調べること。
焼けた材木を選別すること。
荷車の通れる道を開くこと。
各町の人数を数え直すこと。
伊平じいさんが頷く。
「長刀を探すためやなく、町を立て直すために来てほしいいうことじゃな」
「はい」
茶太郎は空の鉾を見上げた。
長刀を諦めたくはない。
だが、宗白の言う現実も無視できなかった。
「町を直しながら、長刀の手がかりも探したらだめ?」
「復興の仕事を遅らせない範囲なら、止めません」
宗白は小さな木札を茶太郎へ渡した。
長刀の長さ、銘、包まれていた布の特徴が記されている。
「ただし、宝を追って人を見捨てることは許しません」
その日の炊き出しで、茶太郎は大根と粟の汁を作った。
列の外に、赤い草履を片方だけ履いた少女が座っている。
年の頃は六つほど。
煤で汚れた首には、焼けて黒くなった小さな鈴が下がっていた。
茶太郎が椀を差し出しても、少女は受け取らない。
「お腹、空いてない?」
少女は答えなかった。
「ここへ置いておくね」
茶太郎は少し離れた石の上へ椀を置いた。
少女は汁ではなく、茶太郎が持つ長刀の木札を見つめている。
やがて、首の鈴を強く握った。
ちり、と濁った音が鳴る。
その音を聞いた少女の顔が強張った。
焼け跡の向こうで、誰かが長い金属を石へ擦った。
ぎいん——。
少女は両耳を塞ぎ、初めて声を漏らした。
「……その音、知ってる」
墨屋宗白が振り返る。
「京鈴。何を見た?」
少女は怯えた目で宗白を見た。
そして、自分の名前を否定するように首を振った。
「うち……京鈴やない」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
長刀鉾とその町の歴史を下敷きにしながら、本作独自の事件として「失われた長刀」を描いています。登場人物や盗難の経緯には創作が含まれます。
焼け跡で出会った、鈴を持つ少女。彼女が恐れた金属音は、長刀の行方へ続く最初の手がかりでした。けれど少女は、自分が京鈴であることを否定します。




