↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
PR
60/314

第57話 「天后の問いと、名簿にない者の水」

 ――村に属さぬ者も、喉は渇く――


 堰の対岸には、旅人や避難者が並んでいた。


 空の竹筒を持つ老人。

 幼子を背負った母親。

 足を傷めた僧。

 

 どちらの村にも属さないため、水争いの話し合いへ呼ばれなかった人々である。


「水を少し分けてください」


 母親が頼む。

 だが上流の村人は首を振った。


「うちらの田もぎりぎりや。村の者へ回す分しかない」


 下流の村人も困った顔をする。


「旅人へ一度渡したら、もっと人が集まってくる。今の井戸では養いきれん」


 誰も意地悪で断っているわけではない。

 限られた水を守らなければ、自分たちの家族が困るのだ。

 それでも幼子の唇は乾き、泣く力さえ弱くなっていた。


 天后てんこうは黒髪を揺らし、茶太郎へ尋ねる。


「両村の約束は整いました。では、この者たちの水はどこにありますか?」


「……どこにも入ってない」


 六角割付にも、旅人の人数は記されていない。

 村ごとの必要量だけを量ったため、通り過ぎる者の分が抜け落ちていた。


 青龍せいりゅうが低く告げる。


「水は足りぬ。情だけで無制限に渡せば、明日には村人も旅人も渇くぞ」


「じゃあ、旅人を追い返すの?」


「それを決めるのは私ではない。人だ」


 天后は幼子の前へ膝をついた。


 水の入った器を出すのではなく、母親の竹筒が本当に空であることを確かめる。


「私は、水を生む神ではありません。声を上げられず、割付からこぼれた者を見つける役目です」


 茶太郎は太常たいじょうへ尋ねた。


「今の流れから、旅人に渡せる水を量れない?」


「量れます。ただし、その分だけ他の用途を減らす必要があります」


 水車を一日中回すのか。

 田へ流す刻を少し短くするのか。

 村人の洗い物をまとめるのか。


 両村は再び話し合うことになった。


 下流の粉挽きが言う。


「水車を止めたら、麦を挽けん」


 すると伊平いへいじいさんが尋ねた。


「夜通し回す必要はあるんか?」


「いや……挽く麦がない刻も回しとる」


 水車を使う時間をまとめれば、その間だけ流れを強くし、使わない刻には飲み水へ回せる。


 上流の田も、用水路の漏れを塞いだことで、これまでより短い時間で水が届くようになっていた。


「余った水があるんじゃない」


 茶太郎は言う。


「使い方を変えて、旅人の分を作るんだ」


 両村は、堰の下へ共同の水汲み場を設けた。

 名を《水縁場すいえんば》とした。


 毎朝と夕方、決めた時間だけ水を溜める。

 同じ大きさの竹筒を使い、一人が一度に持ち去る量を揃える。


 病人や幼子へ渡す分は、別の甕へ先に確保した。

 甕には蓋をし、汲む柄杓を直接口へつけない。


 周囲には排水溝を掘り、こぼれた水が足元へ溜まらないようにする。

 歩ける旅人には、水路の泥上げや薪運びを頼んだ。

 ただし、病人や子どもへ働きを求めることはしない。


「水の代金として働かせるんやない」


 六合りくごうが約束の紐を結ぶ。


「水場を使う者が、できる範囲で水場を守るのです」


 最初の竹筒は、幼子を背負った母親へ渡された。


 母親は一気に飲ませようとしたが、山科言継やましな・ときつぐが止める。


「弱っている。少しずつ、様子を見ながら」


 幼子は数口飲み、やがて小さく息を吐いた。


 茶太郎は、沸かして冷ました水へ水飴と塩をほんのわずかに溶かした。

 濃すぎないよう、言継と太常が量を確かめる。

 それを働き終えた者へ少量ずつ配った。


 上流の村長は、水を飲む旅人たちを眺めていた。


「明日、もっと増えたらどうする」


「また数えて、話し直す」


 茶太郎が答える。


「今日の決まりを、ずっと変えちゃだめってことはないよ」


 天后が微笑む。


「水は動くもの。決まりも、流れが変われば見直さねばなりません」


 茶太郎は《縁の料理覚書》へ、村の外に置かれた一つの甕を描いた。


『名簿にない者にも必要はある。余りを待たず、使い方の中へ場所を作る』


 日が沈む頃、水縁場には小さな列ができていた。

 争いは起きていない。

 水番が残量を数え、足りなくなれば次の時刻を伝える。


 天后は列の最後尾まで歩き、一人ずつ竹筒を確かめた。


 彼女の力は水量を増やさない。

 ただ、列の外に立つ者を見落とさなかった。


 最後の旅人へ水を渡したとき、川岸の土が突然沈んだ。

 古い石列が地面の下から現れる。

 それは、かつて二つの村の境を示していた杭跡だった。


 石列の中央には、土をまとった大きな鉤爪の印が刻まれている。


 青龍が表情を険しくした。


勾陳こうちんの境界印……」


 地面の奥から、鎖を引きずるような音が響く。


「水の争いだけではない。この土地では、村の境そのものが動かされている」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


村に属していなくても、人は水を必要とします。一方で、限られた水を無制限に配ることもできません。そこで天后が見つめたのは、善意だけに頼らず、最初から決まりの中へ居場所を作ることでした。


水を巡る約束が整った直後、地中から古い石列が現れます。次回は「昔からあった境なら正しいのか」という、新たな争いに向き合います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。