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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第311話 「燃える借り帳と、四十二本の線」

 ――証を消そうとする者は、書かれた数字が真実ではないと知っている――


「女を出せ!」

 戸の外の男が、もう一度叫んだ。


 弥七やしちは戸を閉めたまま問う。


「貸した物は何や」

「粟と布や!」


「量は?」

「帳面にある」


「誰が渡した」

「それも帳面にある!」


「ほな、その帳面を持ってきてくれ」

 男は答えなかった。


「借り人を隠したら、お前らも同じ借りを負うぞ!」

「誰との約束で、そうなるんや」


「針屋の決まりや!」

「その決まりを見せてくれ」


 再び沈黙。


 善十郎ぜんじゅうろうが、小声で言った。

「あの声、知っとる。北の小屋で木札を配る佐平さへいや」


「貸した本人?」

「違う。取り立てる役や」


 戸の外で足音が動いた。


「待て!」


 弥七が戸を開けたとき、佐平は路地を走り始めていた。


 追わない。

 代わりにおすみが、表通りの者へ声をかける。


「茶色い小袖、灰色の脚絆! 人を突き飛ばしたら止めて! それ以外は行き先だけ見て!」


 佐平は南へ走り、辻で荷車へ乗った。

 荷車は北へ向かった。


「小屋へ知らせに戻る気や」


 善十郎の顔色が変わる。

 動きは早かった。

 千早ちはやは海燕衆を伏見へ戻し、弥七は北の村へ文を送る。


 小屋のある土地を預かる寺。

 村の名主。

 炭を運ぶ馬借。


 三方へ同じ文を出した。


『借り帳の確認を求む。

 小屋へ火を入れず、帳面と木札を動かさぬよう願う。舞の居場所は記さず』


「ぼくらも行く?」

 茶太郎が尋ねる。


「行かへん」

 弥七が即答した。


「約束通り、子どもは京より北へ出さん」

「聞いただけやもん」


「行きたい顔してた」

「顔まで止められへんやろ!」


 弥七、善十郎、千早。

 そこへ寺の僧二人と村の名主が加わり、北の小屋へ向かった。


 茶太郎たちは京の受け場に残った。

 まいを一人にしないことも、大切な役目だった。


 日が暮れる前。

 シオが最初の文を運んできた。


『小屋より煙。中に人あり』


 茶太郎の手が止まる。


 次の知らせが届いたのは、夜だった。

 北の小屋で、借り帳が燃やされていた。


 寺の僧たちが戸を開けたとき、土間の火鉢へ帳面が投げ込まれていた。


 善十郎が火鉢を倒す。

 千早が濡れ布をかぶせる。


 弥七は燃え移りかけたむしろを外へ運んだ。

 火を消すことが先。

 帳面を救うのは、そのあとだった。


 小屋にいたのは、十四歳の少年一人。

 名を小六ころくといった。

 佐平に命じられ、帳面を燃やしていた。


「逃げたら母の借りを増やす言われた」


 小六自身も、欠けた輪の木札を持たされていた。

 佐平は帳面を燃やさせ、自分は裏道から逃げていた。


 全部は助からなかった。

 三冊のうち、一冊は灰。

 二冊目は半分が焼けた。

 三冊目だけが、床下から見つかった。


 翌朝。


 回収された帳面が、京の受け場へ運ばれた。


 濡れた頁を無理に開かない。

 一枚ずつ薄い板を挟み、風通しのよい日陰で乾かす。

 読める頁から、舞の借りを探した。


「あった」

 おれんが指す。


 名前の横に、

『粟二升』

『古布一枚』

『三泊』

 と記されている。


 その下には、

『舞、荷運び四十二日』


 横線が四十二本。

 舞の話と一致した。

 だが、その横に別の墨で、


『食、寝床、蓑、利を加える』

 と書き足されていた。


「墨が違う」

 友照ともてるが言った。

「最初の字より新しい」


 《道箱》に残る古い決まりでは、働いた分をその日のうちに減らす。

 新しい食事を借りへ足す場合も、本人へ伝え、別の印を付ける。


 舞の記録には、その印が一つもなかった。


「四十二日、働いたんは書いてある」

 茶太郎が言う。


「でも、減らした記録がない」


「わざとや」

 舞の声が震えた。

「最初から、終わらせる気なかったんや」


 ほかの頁も同じだった。

 働いた日数だけが増え、借りは減らない。


 父親の借りを、子へ移す。

 粟二升の横へ線を足し、二斗に見せかけた跡もある。


 木札を持たされた者は、十一人。

 うち三人は子どもだった。


「借り全部を、今ここで無かったことにはできへん」

 村の名主が言った。


「せやけど、この帳面の数字をそのまま認めることもできん」


 決まった。

 十一人への取り立てを止める。

 小屋に残る荷は、持ち主を確認するまで動かさない。


 佐平と、小屋を預かった者から別々に話を聞く。

 働いた者の証言と荷の記録を突き合わせる。


「小六は?」

 舞が尋ねる。


「帳面を燃やしたやろ」

「命じられたんや」

 茶太郎が言った。


「火をつけたことと、脅されたこと、両方を調べなあかん」


 小六は縛られなかった。

 だが逃がしもしない。

 寺の一室で休ませ、母親の安全を先に確かめることになった。


 昼過ぎ、乾いた頁の端から、もう一つの記録が見つかった。


『集めた荷、月の終わりに伏見へ送る』


 送り先には、蔵の印。

 欠けた輪ではない。

 二つの輪を、斜めの線が貫いている。


「輪違いの印や」

 弥七が言う。


「伏見のどの蔵?」


 記録に名はない。

 だが友照が、帳面の裏へ付いた粉を指で示した。


 白ではない。

 赤茶色の細かな粉。


「これ、前に見た」

「どこで?」

「伏見の古い瓦蔵や。壁土に、同じ赤い砂を混ぜとる」


 北の小屋で積み上げられた借り。

 人に運ばせた炭、薪、山菜。

 それらは月ごとに、伏見の蔵へ集められていた。


 道の先は、もう遠い山ではない。

 茶太郎たちが何度も行き来してきた——伏見の町中へ戻ってきた。


「次は蔵やな」

 かん太が言う。


 茶太郎は首を振った。

「先に、荷が入った日を調べよう」


「また帳面?」

「今度は早いよ」


 茶太郎は荷の記録に並ぶ日付を指した。

 次の荷が伏見へ届く日は——明日だった。

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『茶太郎がゆく』
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