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せとうちに眠る龍の夢  作者: 遊佐東吾


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12/20

龍に祈る

 テツは花純たちとともに石段の途上にいる。

 丘の中腹にある伊庭家からさらに上へと石段は続いており、終着点となる頂上には小さな社があるのだそうだ。もちろん龍を祀った社である。

 これから執り行われるのは、龍の眠りを深くするための儀式だ。本来は偶数月に一度だけなのだが、今回は〈龍の夢〉が連続して表の世界との境界を侵蝕してきたのを受けて、という扱いらしい。守人の花純が祭祀を仕切る宮司となるため、白衣に松葉色の袴という出で立ちへと着替えを済ませていた。

「えらい様になってるやん」と称賛すれば、彼女は「こういうのは結局慣れだからね」という身も蓋もない返事を寄越してきた。


 すれ違うのも難しいほどに狭い石段は、意外にもなかなかに長い。思わず金刀比羅宮を引き合いに出したくなるほど長い。ただしあちらは地上から本宮まで七八五段もあるので、到底比較にはならない。

 好奇心の強い茶がまはついてきたがるだろうと予想していたが、病み上がりの千鳥まで同行するのはテツとしても想定外だった。

 それとなく本人へ留守番を勧めてみたものの、「絶対行くから」と頑固なところを見せてくる。説得はあきらめるしかなかった。


 逆に祖父の清三が別行動をとっている。

「ちょっと取ってくるものがあるけん」とのことで、軽トラックで彼だけ家へと戻ったのだ。何を取ってくるのかはテツも知らされていない。

 夏の日差しが最も強烈な時間帯であるため、花純と千鳥はきちんと日傘を差していた。テツも使用を勧められたのだが、暑さへの耐性は充分にあると自負している。


「今の時代、そういう過信が命取りなんだよ」


 千鳥に厳しく咎められても、元野球少年としてそこはまだ譲れない。

 両側を木立に挟まれた格好の階段を三人と一匹が歩く。


「本っ当に長いんだよねえ、ここの階段はさあ」


 先頭の花純が盛大にぼやいた。

 そして立ち止まってから後ろを振り返り、声を掛けてくる。


「ちーちゃん大丈夫? しんどくなったらすぐに教えてちょうだいね」


「全然平気。もう治ったし、東京にいたときより体が軽いくらい」


「ならいいんだけど」


 彼女はしきりに千鳥の体調を気遣っていた。病み上がりで、かつこの暑さの中で長い階段を上るとなれば、心配になるのも当然だろう。

 けれどもテツとしては別の点に引っかかりを覚えた。


「どしたん二人、いつの間にか呼び方がえらい砕けた感じになってるやん」


 最後尾を歩きながら、テツがぽんと手を打つ。


「そうや。ならおれもちーちゃんって──」


「絶対に嫌だから」


 最後まで言わせてさえくれなかった。


「テツくんからちゃん付けで呼ばれるのは、何か腹立つ」


「ええー……」


 千鳥から拒絶に近い勢いで断られてしまう。

 しょげているテツをよそに、茶がまが小走りで千鳥へと駆け寄っていった。


「なあなあ、ぼくはそのままチドリって呼んでええ?」


「もちろん。茶がまだったらどう呼んでくれてもうれしいよ」


 日傘の下から覗く彼女の横顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 後ろ足だけで立って並んでいる茶がまの姿も相まって、「絵になる光景やな」とテツは思った。しかしそれとは別に、千鳥へ一言物申したくもあった。


「おれのときと扱いが違いすぎひん?」


「言ったじゃん。ちゃん付けは子ども扱いみたいだからって。わたし、テツくんとは対等な関係がいい」


 千鳥からの反論は簡明だった。

 対等でいたい、そう告げられてしまうとテツとしてもこれ以上続ける言葉がない。なぜなら誰に対しても常々そうありたい、というのが彼の密かな信条だったから。


「まあ、精神年齢としては同じくらいかむしろ……て感じだしね」


 再び歩きだしながら花純が余計な茶々を入れてくる。


「ほら、もうちょっとだよ。そろそろ小さな鳥居が見えてくるはずだから」


 その言葉通り、緩やかに湾曲している石段の切れ目でくすんだ鼠色の鳥居が立っていた。一見しただけでも相当に古そうなのが伝わってくる。


「この神社ってもしかして、重要文化財とかに指定されてんの?」


 テツの問い掛けに対し、花純の答えはシンプルだった。


「いいや。世間的にはまったく知られていない、名もなき社だよ」


「やっぱりそんなもんか。この島では観光客の姿も一切見かけへんしな」


「ただ、その昔に桃太郎が鬼退治を記念して建立した──という言い伝えは残っているんだよね。というかこの島が鬼の住処だったらしくてさ」


「そらすごいわ。岡山に負けじともっとアピールしたらええのに。桃太郎いうたら昔ばなしの大スターやん」


 現在、桃太郎といえば岡山県の顔である。

 かつての備中国の一の宮、吉備津神社へ伝わる、吉備津彦命(きびつひこのみこと)による温羅(うら)退治が桃太郎伝説の原型とされているのは確かだ。そのあたりはテツの両親の専門分野なので、彼もある程度聞きかじってはいる。

 けれども対岸の香川県にも意外なほど桃太郎にまつわる言い伝えが残っていた。

 鬼がいない、と書く桃太郎伝説由来の鬼無(きなし)という地名が高松市にはあるし、沖に出れば鬼ヶ島の異名を持つ女木(めぎ)島もある。

 なら、この壱ノ木島こそが伝承の本命だったとしても不思議ではない。

 そんなことを考えていたテツだったが、なぜか笑いをこらえ切れず吹き出した千鳥によって現実へと引き戻されてしまう。


「おれ、また何か変なこと言うたか?」


「ううん。スターってのがうちのママと同じ言い方だったから、おかしくてつい」


 そのときのシチュエーションを思い出したのか、彼女はまた笑っている。

 もうすっかり元気そうな千鳥の姿に安心したテツは、苦笑いとともに石段を上り切った。言うなればここが山の頂上だ。

 瀬戸内海の景色が一望できるくらいの高さではあるのだが、この場所からは何も見えない。台風が来れば吹き飛ばされてしまいそうな小さな社と、その周りを囲んでいる木立。テツの目の前にあるのはそれだけだ。


「手水舎はないから、一礼したらそのまま靴を脱いで本殿へ上がってちょうだい」


 宮司を務める花純からの指示に従い、テツたちはまず深々と一礼する。

 ようやく龍の神さまを祀る場所までやってきたのだ。失礼があってはならない。

 花純の後に続いて本殿へと上がる際にテツは気づいた。古く小さい社ではあるが、掃除はきちんと行き届いており、埃っぽさなど皆無だった。

 薄暗い本殿内を歩くと、そのたびに床がぎしぎしと鳴る。目で確かめなくてもその音によって全員の位置がわかってしまうほどだ。


「さあ、今からご対面だよ」


 そう声を掛け、花純が奥にある木枠の戸を開け放った。

 次の瞬間、テツの視界に飛び込んできたのはまさしく絶景であった。

 穏やかで青い海には島々が点在し、航行する船の白い飛沫が線上になっている。少し先には四国と本州とを繋ぐ瀬戸大橋も見えた。

 自然と人の営みが織り成す、とても美しい景色だった。だからこそ、簡単に「綺麗だ」などと口に出すのは憚られてしまう。


「おお……」


 誠実でいるために、唸るだけで精いっぱいだ。

 柄にもなく感動していたテツだったが、突然彼の背中に衝撃が走った。何の予告もなく茶がまが飛び乗ってきたせいだ。

 するするとテツの左肩までよじ登り、「どっこいしょ」と腰を落ち着けてしまう。


「思ったとおりや。やっぱりここがいっちゃん高いわあ」


「おれの肩は展望台ちゃうぞ」


 文句を口にしながらも、テツの目は海へと向けられたまま外せない。

 そのうちにしばらく黙ったままでいた花純が声を掛けてきた。


「千鳥にテツ、ちゃんと目に焼き付けておいてね。これがご神体」


 今の花純には普段と違い、神職らしい厳かさがあった。


「さっき言ったでしょ。瀬戸内海そのものが龍なんだって。だからここは龍としての海を祀る社なのよ」


「うん、わかる。ほんまに神さまなんやなって」


 自然と胸に敬意が満ち、頭を垂れる気持ちになる。きっと昔の人々もそうだったのだ、と思えば時を超えて親近感も湧く。


「ちょっとテツ、ゆらゆらせんとって。落ちてしまうけん」


 肩に乗っている狸の茶がまにはあまりそんな意識が見受けられないが、もしかしたらこれは出自によるものなのかもしれない。

 屋島の狸を含めた妖たちは、みな〈龍の夢〉で生まれた。テツたち人間よりも龍を身近に感じていたっておかしくはないだろう。


「おれが落とすわけないやろ。どーんと大船に乗ったつもりで構えとかんかい」


 テツが威勢よく言ったのと同時に、最後の訪問者の足音がした。清三だ。


「遅れてすまんな」


「それはええんやけど、テレビ番組の録画でもし忘れとったんか?」


 軽く質問してきたテツに対し、清三は手元の品物を掲げてみせる。


「こいつや。ちょっと酒を取りに戻っとっての」


「それは……」


 見覚えがあった。なぜなら清三が手にしているのは日本酒の四合瓶であり、神戸土産としてテツが渡したものだからだ。

 昨年秋に宝丞学園野球部の施設を見学し、入学を決めた際、帰りは梁田コーチが車で三宮のバスターミナルまで送ってくれた。そのときの待ち時間に、祖父を喜ばせようと思って名高い灘の酒を購入したのはまだ記憶に新しい。

 テツでは年齢制限に引っ掛かって買えないため、代わりに面倒見のいい梁田コーチがレジまで持っていってくれた。

 ボトルワインと同じサイズの四合瓶で、純米大吟醸。さすがにテツとしては大きな出費だったが、渡したときの祖父は非常に喜んでいたのを懐かしく思い出す。


 そんな酒を、どうやら龍の神さまへの捧げものにするつもりらしい。

 テツとしても理解はできる。古今東西、龍や鬼のような人ならざる超越的な存在を眠らせるために使われるのは決まって酒だ。出雲の八岐大蛇しかり、大江山の酒呑童子しかり。

 ただ単に頭を悩ませて選んだ贈り物が、その役目を果たせずに終わってしまうことを、ほんの少しだけやるせなく感じただけにすぎない。

 四合瓶を開け放たれた戸のすぐそばに置き、清三は言った。


「なあテツ、わしはこう思うとる。昨日、おまえが海に沈んでいったときに、わしは最悪の事態を覚悟した。生きて帰ってこれんかもしれん、と」


 返す言葉もなかった。あの状況では誰だってそう思うだろうし、海をよく知る清三であればなおさらだ。


「やけん、わしにとってみれば〈龍の夢〉は、むしろおまえの命を救ってくれた存在でもあるんじゃ。〈龍の夢〉に迷い込んでなかったらと思うと、心底肝が冷える」


「そういう見方もできるんか……」


 無謀な行動をとったという自覚はテツにだってある。

 素直に頭を下げようとしたが、当の祖父によって「謝らんでええ」と止められてしまう。


「アホで無茶で蛮勇ではあったが、おまえの生き方は変えられん。ただ、それでもわしは〈龍の夢〉に感謝しとるんよ」


「清三さんらしいね」


 そう言って花純が土器のような杯を置いた。

 龍の眠りを祈るための神事が、これから始まる。

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