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右手に箒、左手に塵取り、心に勇気  作者: かなえ ひでお


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7/8

佳人 変人 やや不審

 カア……カアカア……。

 建国の時代には砦として、数十年前までは見張り台として利用されていた塔の上方で幾羽もの鴉が騒いでいる。ともすれば、ヘルギが探している人物の居場所は此処で間違いなさそうだ。賑やかを通り越して喧しい鴉の鳴き声を頼りに、ヘルギは歴史を感じる石造りの塔の階段を上がっていく。カツカツと、律動的に軍靴を鳴らして。薄暗さに目が慣れてきた頃、屋内よりは明るい程度の曇天の屋上へと辿り着き――周囲に鴉たちを侍らせた怪しい人物を見つけ、やれやれと息を吐いた。


「飽きもせずに鴉どもとのお喋りに興じていらっしゃるところ、お邪魔致します。フォグルヴェイズ准将」

「……おやおや、おままごととは無粋だね。愛らしいお友達との逢瀬と言ってもらいたいものだ」


 怜悧な美貌の持ち主のくせに情緒が無い男だね、君は。

 王都で最も高い場所から眺める景色を楽しんでいたらしい長身の女性軍人は、大げさに肩を竦めながら、ゆっくりと振り返る。棟髪刈り(モヒカン)風にした漆黒の髪が強烈な、且つ物憂げな表情が印象的な彼女は、王国軍の独立部隊である特務分隊の長にして、ヘルギの上司でもあるフォグルヴェイズ准将だ。


「して、要件は何かね?」


 体はヘルギに向けたままで、顔は明後日の方へと向けて、フォグルヴェイズは懐から出した菓子を食べ始める。周りにいる鴉たちが羨ましそうに見つめているが、恵んでやる気はないらしい。


「ガウク少尉が白目をむいて右往左往していたので、親切心で声をかけたら厄介事を押し付けられました。直ぐに行方を眩ます我が儘上司を執務室まで連行してくれ、とね」


 面倒なことこの上ない来客があって困り果てているようですよ。と、付け加えたが、フォグルヴェイズは菓子を食べるばかりで、その場から動こうとはしない。


「名だけは立派な暇人の集まりと揶揄される我が隊に来客とは……今日の占いでは私の運勢は最良であると出ていたはずなのだがねえ……不思議だねえ?」


 ――特務分隊の職務内容は、街中を散歩するだけの簡単なものです。

 士官学校を卒業し、周囲の予想を大きく外して特務分隊に配属されたヘルギはこの台詞を聞かされて、なんて素晴らしい職場なのだろうと歓喜したことを何となく思い出す。


「王弟殿下が新しくこさえた愛人が本宅に突撃し、正妻である妃殿下と鉢合わせしたことで激しい戦いが繰り広げられたそうです」


 憤怒の形相の正妻と愛人に挟まれた顔面蒼白の王弟は、自分で責任を取らないことに決めた。そうだ、昔馴染みのフォグルヴェイズに何とかしてもらおう、そうしようと、特務分隊に使者を寄越してきた。フォグルヴェイズの秘書を任されてしまっているガウク少尉は内容を聞かされて、頭を抱えるしかなかった。


「私もよく忘れるのだが、これでも私の階級は准将なのだよ?暇人の集まりの長とはいえ、一応は立場のある軍人なのだがねえ?」


 将校に助けを求めるようなことではないと猿でも分かることを、平然と頼んでくる王弟の神経が理解不能。うんざりとした表情のフォグルヴェイズが鴉たちに語りかければ、「本当にねー」「ありえないよねー」と鴉たちが鳴く。


「王弟殿下の御指名ですし、国王陛下も我が隊を動かしても良いと許可を出されているそうです」

「やらなくても良いことだけは素早いな、あのヘタレ国王は。王弟殿下とは偶々士官学校の同期だったというだけの薄っぺらい関係だというのに、どうして私が痴情のもつれの尻拭いをさせられなければならないのかね?」

「王宮内の噂によりますと、王弟殿下からの結婚を前提としたお付き合いの申し出を准将が素気無く断ったことを未だに恨んでいらっしゃるのだとか」


 奇抜な髪形にばかり目がいくので気付かれ難いのだが、フォグルヴェイズは妖艶な美女の範疇だ。彼女が長髪のカツラをつけて辺りを歩けば、通りすがりの男たちが鼻の下を伸ばして、恋人や配偶者から鉄拳制裁を受けるほどの美女なのだ。ヘルギの目に映る彼女は、奇抜な髪形をしたやる気の無い変人なのだが。


「ああ……そんなこともあったねえ。然しだね、私は至極丁寧に断りを入れたのだよ?私が愛してやまないのは素敵な女性なのであって、ギリギリの成績で士官学校を卒業し、領地運営の手腕もいまいちの、王族であることだけしか取り柄のない、伸びしろも無い、つまらない男にはこれっぽっちも興味が無いので、是非とも私の知らない所で他の女性と幸せになってください、と」


 王弟殿下の唯一の取り柄に飛びついてくれる、欲望に忠実な女性は巨万といるので楽勝ですよ。彼の日のフォグルヴェイズは本人と取り巻きを前にして、堂々と言い放った。


「私の真摯な言葉に心を打たれたのだろうね。殿下は涙ぐんで震えていたし、取り巻きの方々も言葉を失って立ち尽くしていたよ……」

「今一度、丁寧という言葉を辞書で引いてみましょうか、准将」


 言動がふざけているので想像できないが、かつてのフォグルヴェイズは誉れ高き近衛師団の一員として、王弟の護衛をしていた。ところがこの一件により、彼女は降格は免れたものの、閑職の極みと称される特務分隊に追いやられたのだと、これまた王宮内で噂されている。

 それはさておき、と前置きをして、ヘルギは話題を戻す。


「そろそろガウク少尉の胃に穴が開いてしまうかもしれませんので、とっとと執務室に向って頂けませんか、准将」


 何だかんだ言って、ガウク少尉はお気に入りの部下なのだから、大切にしないとそのうちに失ってしまいますよ。ヘルギの諫言が効いたのか、フォグルヴェイズは漸く一歩を踏み出し、鴉たちも何処かへと飛び去って行った。


「御遣い御苦労だったね、仔犬くん」


 御褒美をあげようと言って彼女が懐から取り出したのは、菓子の包み。


「菓子を頂いて喜ぶ年齢を過ぎて久しいのですが、頂いておきます」


 精神年齢が五歳児の妹に横流ししようかなどと考えつつ、差し出された包みを目にして、ふと、気付く。


(これは……カトラの店の包み紙では?)


 手早く紙で包んだ商品を、柔らかい笑顔で渡してくれるカトラが脳裏に浮かんだヘルギが逡巡すると、「どうかしたのかね?」と上司に声をかけられて意識を引き戻される。恭しく包みを受け取って、ヘルギはそれを懐にしまった。


「准将閣下、どうぞ御先に。貴女が逃走を図らないように背後から見張っておりますので」

「部下に信用されていないとは、悲しいねえ……」


 大して悲しんでいない上司を先に行かせようと、ヘルギが一歩退く。すれ違いざまに赤茶色の目が細められ、赤い唇が弧を描いたが、視線を外していたヘルギは見逃した。

 ――そうして目を光らせたヘルギがフォグルヴェイズを執務室に送り届けると、「キリキリする胃痛から解放してくださって有難う御座います!!!」とガウク少尉にひどく感謝された。




 ――後日の朝、ヘルギは再び塔の上で鴉を侍らせている上司に尋ねてみた。例の王弟の尻拭いの件について。面白い話でも聞けるかなと少々期待して。


「正妻と愛人の愛憎渦巻く戦いと、責任を放棄した王弟の物語の結末かね?私が美女二人を手中に収め、冴えない中年男が涙に暮れるという非常につまらない終わり方をしたのさ」


 これからはフォグルヴェイズ准将に手間をかけさせません。誓いを破った場合は自らの醜聞を王都の新聞記者に売られたとしても訴えたりは致しません。といった内容の誓約書を作成し、王弟に署名をさせたと、彼女はしれっと言っていた。


「身内に甘すぎる国王陛下は何も仰らなかったのですか?」

「勿論、初めのうちは激昂していらっしゃったとも。だが、私がどういった者であるのかを思い出されたら、王弟殿下を切り捨てられたよ。それはもう、あっさりと。血を分けた兄弟だというのに、薄情なことだ」


 さて、今日は天気が良いから散歩に出かけるとしようか。軽やかな足取りで去っていく上司の背中を見送ると、ヘルギはやれやれと息を吐いて、それから徐に空を仰いだ。


(私も出かけるとするか)


 仕事という名の散歩が好き過ぎる上司に倣って、ということはない。だって、今日は天気が良いから。近頃励んでいた新しい散歩道の開拓は休みにして、テュースルンド地区に――ディーサ・カトラ菓子店に顔を出そうか。


(そろそろ世間も噂話には飽きただろうからな)


 輝きの貴公子ヘルギの心を射止めたのは、平々凡々な小太りの女性カトラだった。という噂が流れたせいで、カトラが多大な迷惑をかけられてしまっていると人伝に耳にした時、申し訳無く思うと同時にヘルギは首を傾げた。


(カトラは平々凡々な女性なのか?小太りなのか?)


 右手に箒、左手に塵取りを装備して、成人男性をボコボコにしていた彼女のどこが平凡であるというのか。ふっくらとして、もちもちぷにぷにしている、あの魅惑的な体は小太りに該当するのか。彼をよく知っている人物から「独特な趣向をお持ちですね」と言われるヘルギにはよく分からない。


(体の大きな、毛の長い猫に似ているとは思ったかな)


 ヘルギは動物が好きなのだが、大抵の動物はヘルギが好きではない。犬猫を撫でようとすると牙をむかれるし、吠えられるし、シャーッされるし、猫パンチされるし。カトラの反応は、犬猫に似ている気がする。ヘルギを苦手として警戒心を露にするのに、本のことになると興奮して警戒心を何処かへと放り投げてしまうウッカリ具合はちょっと可愛い。思い出し笑いをしたヘルギを目にして、通りすがりの乙女が腰砕けになったが、考え事に夢中になっている彼は気づかない。


(嫌われてはいない、と、思いたいが……好かれてもいないのだろうな)


 それでもカトラの顔が見たいと思ってしまう不思議。ヘルギの長い足は真っすぐテュースルンド地区に向っていくばかり。道中、乙女や淑女の心を奪いながら。

 迷うことなく進んでいけば、ディーサ・カトラ菓子店に辿り着き、彼はドキドキしながら店の扉を開けた。


「いらっしゃいま、せ……ヘルギィ」

「こんにちは、カトラ」


 露骨に嫌な顔をされるかもしれないと予想はしていたが、的中すると悲しい。それでも彼女は小さく咳払いをすると、表情筋を無理矢理動かして、歪な笑顔を作ってくれた。


「この前に買っていかれた本を妹さんが読破したから、次の本を探しにいらっしゃったの?」

「いいえ。今日は本ではなくて、菓子を買いに来ました」


 嘘です。カトラの顔を見たくて、声を聞きたくなったので来ました。ヘルギの心の声は漏れ出ないから、カトラには伝わらない。意外な返事があったからか、カトラの表情筋の強張りが解けて、きょとんとした表情でヘルギを見上げてきた。


「貴方がお菓子を買いに来たのは初めてね?やっぱり、妹さんに?」

「大人にはなりましたが、私も偶には菓子を食べますよ。殆ど、妹に食べられますが」

「ふふ、そうなのね」


 ヘルギと、顔も知らない彼の妹とのやりとりを想像して、カトラが楽しそうに笑う。彼女が纏う空気が一気に柔らかくなって、ヘルギは安堵するも、少しばかり妹に焼き餅を焼く。


「貴方はどのお菓子にするの?妹さんはどんなお菓子が好きなの?」


 ヘルギの好みを訊いてくれているけれど、カトラの興味は妹の方にある気がする。彼女はきっと、ヘルギにはそれほど興味が無いのだ。それでもヘルギはカトラと過ごす一時が好きだ。それが親愛なのか、それとも恋愛なのかは分からないが、冷たくされても彼女に会いたくなる。


(不意に近づくとカトラが顔を赤くするけれど……)


 ヘルギにときめいて顔を赤くしているというよりは、単に異性慣れしていないだけのような気もする。あれはヘルギに懸想している目ではない、と、直感が告げる。


「どうかしたの?体調が優れないのかしら?」

「……ああ、少し、ぼんやりとしていたようです」


 普段は不敵に微笑んでいることが多いヘルギでも、ぼんやりとすることがあるとは意外だ。カトラは目をぱちくりさせつつも会計を済ませ、注文された菓子を紙で包んだ。そして、ふくふくした手で包んだお菓子を差し出すと、ヘルギは何故かそれを凝視してくる。何か、不手際でもあっただろうか。カトラはドキドキする。


(あの変人准将が持っていた菓子の包み紙と同じもので間違いない)


 この包み紙は、どの店でも使われている代物なのか。それとも、この店独自の物なのか。ヘルギが尋ねれば、彼女は後者であると答えてくれた。


「そんなことを訊いてくるなんて、どうかしたの?」

「上司に頂いた菓子の包み紙と、この包み紙が同じものだと気がついたので、何となく訊いてみました。闇の匂いがしない、日当たりの良い菓子店を訪れそうにない変人なので、余計に気になったのかもしれません」

「上司を変人って……いえ、ヘルギの上司ということは軍人よね?このお店のお客さんで軍人っぽい方って、いらっしゃったかしら……?」


 散歩が仕事だと言っていた風変りな黒髪の美女がカトラの脳裏に浮かんだ刹那、店の外から一際大きな鴉の鳴き声が聞こえてきた。


「鴉……若しかして、ラグナがいらっしゃるのかしら?」

「ラグナ?」


 その名前は何処かで耳にしたような気がするし、鴉の鳴き声というのが引っかかる。急に身震いしたヘルギの背後で、ギィ、と扉が開く音がした。


「幾日振りだろうか、カトラ。寂しくしていなかったかい?」


 聞き覚えがあるというか、職場を発つ前に聞いたばかりの、ねっとりとした蠱惑的な低めの女性の声が鼓膜を叩いて――ヘルギの目が死んだ。


「いらっしゃい、ラグナ。寂しくはしていないけれど、貴女に会えて嬉しいわ」

「……」


 照れ笑いをするカトラを目にして、ヘルギの胸に嫉妬の炎が燃え上がる。自分よりも、その人物の方を警戒するべきなのに。自分もカトラに歓迎して欲しいのに。表情に出せばカトラに気がついてもらえるかもしれないのに、ヘルギの表情筋が強張るものだから、好機を逃す。


「私の胸が喜びに満ち溢れている……私も君に会えて嬉しいよ、カトラ」

「大袈裟ねえ……って、どうかしたの、ヘルギ?」


 勘定台の方へと向かってくる足音が、ヘルギの真後ろで止まる。黙して微動だにしないヘルギを、カトラが困惑しながら見上げている。


「おやおやぁ~?菓子を貰って喜ぶ年齢を過ぎて久しい仔犬くんではないか!こんな所で会うなんて……奇遇だねえ?」


 他人の振りを決め込もうと足掻いてみるが、彼女はヘルギを逃がす気はさらさらないようだ。彼は渋々振り向いて――眉間に深い皺を作った。見知った女性の顔があるが、髪型が違う。


「王侯貴族や軍の上層部に苦言を呈されようとも、公の場であってもカツラを被らない主義だと伺っておりましたが?」

「気分転換だよ、仔犬くん」


 因みにこれは地毛で拵えた一点物のカツラだ。長髪だった時代もあったのだよ、と言ってラグナことラグンヒルド・フォグルヴェイズ准将はにんまりと笑い、ヘルギはますます眉間の皺を深くし、状況が呑み込めないカトラは面白い顔をしていた。

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