光明
何故人は自由を求めるのだろう。
安全を放棄し、自由を求めるのだろう。
自由の奪取とと生命の保証は決して共生を成し遂げられないのに。
それを分かっていながら、それでもなお、自由を求める。
僕もその一人ではあるけれど。
理由も分からず、ただひたすらに解放を望みながら、自由と危険に向けて駆けて行く。
そして今、目の前に立っている相手も、きっとそうなのだろうと思う。
相手からみるみる殺気が消えていく。驚いたようなその表情を見て、僕は短剣を消した。
鎌を消した彼はゆっくりとこっちに向かって歩いて来るけど、逃げはしない。彼は敵意を持っていないし、城の人間でもないから。
やがて僕の眼の前に立った彼は、僕の顔を不満気に見て、そして言った。
「……あんたさ。その髪型、やめたら」
「えっ」
「こんな国で、暑苦しい。後ろはともかく、この前髪、何とかしろよ」
そう言って、僕の前髪をどけようとする。僕は反射的に顔を背けた。
「嫌だ!……やめて」
「何故。何かあるのか」
不審げな黒い瞳が、真っ直ぐ僕を見詰めて来る。視線のやり場に困って下を向くと、彼の足に付いた、切れた足枷が目に入った。
「……キル=クェロッタ」
「ん?」
「キル=クェロッタから来たの?」
「そうだけど」
ということは、奴隷として連れて来られた内の一人か。どうして、こんな所に。
声にならない激しい感情が、急に湧き上がって来た。
「なぁ。何かあるのかって。訊いてるんだけど」
「うん、えっと……ごめん!」
「はぁ?」
「ごめん、あの、軍部が勝手にして……それは、その、僕は違うって言ったけど、あの、全くの冤罪で、軍部の勘違いで」
「何を言ってるんだ?あんた……軍部、いや軍隊と、知り合いなのか」
「ごめん……ごめん!ほんとに……君達は、何も、悪くないのに」
「待て。落ち着いて、落ち着いて話せ。話が噛み合ってない」
言われてようやく、僕は顔を上げた。顔の傷、足の鎖、改めて自分のした事が重くのしかかる。
「もう一度訊く。軍隊と、知り合いなのか」
「……うん。軍部は……管轄下だよ」
すると彼は意外だとでもいうように彼は目を丸くした。僕の姿を眺め、ゆっくりと首を振る。
「あんた一体何者だ?管轄?管轄って」
驚くのも……そりゃ、無理ないよね。キル=クェロッタは外交の無い国だから、知らなくてもおかしくはない。
すなわち、僕の髪と目の意味する所を。
国で唯一の、王の証を。
「僕は、この国の王だ」
はっきりと口にする。彼の目が更に大きくなった。
「王って……あんた何歳だよ」
「十二」
「オレより年下じゃないか……親は?普通親が王だろ?」
「死んだよ。もう、僕しか残ってない」
そして僕は自分の前髪を、自分の手で持ち上げる。
人には見せたくない、ずっと隠して来たこれを見せることなど、彼の受けた事に比べたら大した苦痛にもならないから。
彼が息を呑むのが見えた。
「どこか、人気の無い所に行こう。また軍部が来るかもしれないし。そこで話すから。通行人にも、なるべく見られたくないでしょ?君だって」
「……ああ」
彼もそうだけど、僕の素性を、そして事情を知って驚かない人はほとんどいない。そうなる前に説明しておこうと思う。
この物語の八人目の主人公でもある、僕の名前はブライン。十二年前、このトウェルート王国に王子として生まれた。ずっと髪は長く伸ばしてきたけど、その時は全部まとめて後ろで縛ってたかな。そう、うん……しばらくは、とても平穏な日々だったんだ。
その事故が起こったのはちょうど半年前。ちょうど王国全体の大きな休みで、親戚全員で旅行に行った時の話だ。季節は夏。僕達が出かけた先の別荘は木でできていた。
そして、火事が起こったんだ。建物や家具なんかは全焼。それどころか、親戚、つまり王族が根こそぎになって焼け死んだ。僕も、一命は取り留めたものの、大やけどを負った。
城に留守を任せていた人達がいたから生活に困る事は無かったけれど、唯一生き残った僕は新しい王として、傷の回復を待たず国民の前に出る事になる。
その時から、傷が治るまでは前髪で焼けた部分を隠すことにした。でも結局、火傷痕は消えなかった、だから……僕は焼けただれた顔の右半分を隠し続けている。彼が驚いたのも無理はない。若い王の顔に大きな火傷痕があるなんて、誰が予想するだろうか。
「ふうん。それで……オレ達に矛先が向いた、と」
「うん。本当にごめん」
「もういいよ。今更どうしようもないし、あんたは悪くないんだろ。オレは、その長官って奴さえどうにかできればいいんだ」
そう……場所が悪かったんだ。隠していても、その事実は隠しきれるものじゃない。国民の、そして重臣達の怒りは、当然犯人に向けられた。
王家の別荘に放火した犯人。そうと決まった訳でもないのに。
別荘はキル=クェロッタとの国境近くに立っていた。それに、キル=クェロッタの人々は昔から気性の荒い者が多い。決して許される事じゃないけれど、でも、その人達が犯人だと考えるのが一番有り得る仮説だった。
「長官なら……今は国に居ないよ」
「いない?なら、今はどこに」
「分からない。遠征だとしか、聞いてないんだ」
「なら、追うか……それにしてもあんた、なんで逃げてたんだ?さっき」
ぎくり。僕は思わず制止する。彼は、心を覗き込むような目で僕を見ていた。
「もう……うんざりだったからだよ」
ゆっくりと答える。一つ呼吸をして、僕は続けた。
「長官も、それに従って僕の言う事なんか全くきかない重臣達も。最初は我慢しようと思ってたんだけど、ご先祖様に会ってね」
「先祖?それって……亡霊ってことか」
「うーん。それは違う、と思う。ちゃんと触れたし、足も地面に着いてたし。あのね、僕が会ったのは、この国を作った初代の王様なんだ。名前は無くて、ただ〔暁の王〕とだけ呼ばれてたんだって。金色の目と髪を同時に持ってるのは、その血を引いた人だけなんだよ」
「だから王族の証、か」
「そういうこと」
「ふうん。先祖……ねぇ」
何か、心当たりがある様な物言いだった。せっかくなので、僕はそれを訊いてみる事にする。
「ねぇ、君も会ったの?ご先祖様」
「だったのかな……先祖かどうかは分からないけど、まあ、あれが先祖は嫌だな」
「会ったんだ」
「会ったっていうか。闇の古代神だっていう悪魔に会った」
闇の古代神?少し引っ掛かるものがあった。急いで、記憶を引っ張り出す。無言になってしまった僕に、彼が声をかけてきた。
「どうした?心当たりでもあったか」
「うん。その、闇の古代神なんだけど……確か、キル=クェロッタの人達の先祖だったような気がする」
「そうなのか?……ああ、言われたらそんな事を聞いたような気がするな」
「てことは……先祖だね」
「そうなるな」
彼は溜息をつき、何だか複雑そうな顔で黙り込んでしまった。そんなに嫌だったのだろうか。古代神っていうほどだから、格好良いのかと思っていたけど。
と、その時。さっきまで僕達がいた所から、騒ぎ声が聞こえてきた。隠しておいた兵士の死体が見つかったらしい。冷や汗を浮かべる僕の腕を、彼が軽く引いた。
「来いよ。あそこが見付かるんなら、ここもじきに見付かる」
言われるがままに、僕は彼の後を追って移動する。木立の中を中心に移動して、気付けば国境の辺りまで来ていた。
「まあ、この辺りなら大丈夫だと思う。長居もまずいし、オレはもう行くから。あんたも、下手して捕まらないようにな」
それだけ言って立ち去ろうとする彼の腕を、僕は咄嗟に掴んでいた。彼が不思議そうに振り返る。
彼と会ってからずっと考えていた事だったけど、今、決心した。
「僕も連れて行ってよ」
「……オレは構わないけど。でも、オレは今から、長官を探して殺しに行くんだそ。どんな人間であったとしても、あんたの身内には違いないだろう」
「いいんだ。身内の不始末は僕の不始末だから。それで君の気が晴れるのなら、僕も手伝う。手伝って、少しでも、償いたいんだ」
それに、探し物もあるしね。そう言うと、彼は少し首を傾げた。
「探し物って、もしかして魔法の事か?」
「知ってるの?」
「オレも、探せって言われたからな」
「古代神に?」
「ああ」
そうか、それなら決まりだな。そう言って、彼はまた歩き出す。僕は慌てて追い付き、横に並んだ。
「僕はブライン。君は?」
「名前?……そうか、まだだったな。オレはダクトだ」
「そっか。これからよろしくね、ダクト」
「ああ。……こちらこそ」