表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話 奴隷商の男


 奴隷


 殆どの時代、地域、社会制度の中。呼び名こそ違う事はあれど、遍く存在した身分階級。

 

 それは権力構造を維持をする為。権利者の富を肥やす為。安価な労働力を確保する為。そうした理由と共に、奴隷制度は社会に必要とされてきた。


「ガキそっち逃げたぞ!!!」


 鬱蒼とした森の中。木々は雪の傘に覆われ、落ちた陽は差し込まない。隣を走っているはずの仲間の顔すらよく見えない。


「俺ァあっちから回る!!ヘンリーはそのままケツ追っかけろ!!!」


 後ろから迫る怒声から逃げる為、ひたすらに足を動かす。だがその足の裏は裂け、既に感覚は無い。喉は張り裂けたのかと思う程痛く、口内には血の味が広がる。


 雪の上に伸びていく、わずかな赤に染まる幾つかの小さな足跡。そしてその小さな足跡を踏み潰し、追いかける大きなブーツ。


 そして雪を巻き上げ、そのブーツは彼女らに追いつこうとする。だが、1つの小さな足跡が方向を変え、立ち止まる。


「レイラ!!俺が時間を稼ぐ!!!」


 その声で俯いていた彼女は振り返る。その視界には、泥にまみれボロボロな、整った顔立ちの男。それは無理に笑みを浮かべる。


「任せろって!あとで追いかけるからよ!!」


 その男は、彼女にとって幾年も一緒に過ごした仲間。それを見捨てることなど出来る訳もなく、彼女はどうにか引き戻そうと叫ぶ。


「わ、私もッ!!!」


 脚は震え思考は纏まらない。だが目の前にある、男の子の諦めの色に染まった眼は、彼女の網膜に鮮明に映る。


「一緒に━━」


 そしてその眼に、彼女の声は届かない。自身の吐いた白い息を掻き分け、彼の手は彼女の肩を押す。


「他の子達は任せる」


 一瞬の浮遊感を彼女を襲う。


 瞬きを一度するごとに、目の前に広がっていた薄灰色の空も、気付けば葉の向こうに隠れてしまう。


 そんな逡巡のあと、体全身を揺らす衝撃と痛みが彼女を襲う。肺の中の空気が押し出され、数秒の呼吸すら出来なくなってしまう。


 遅れてパラパラと土が頭上から落ちてくる。そして現れる影は、男の手ではなく小さく細い女の手だった。


「レイラッ!!ほら手取って!!」


 その子の瞳の輪郭は揺れ、唇は紫になっている。だが力強くその差し出したその手は、へたり込む彼女を引き上げる。


「なんでこんな目に……!」


 引きずられるように彼女は、木々を掻き分け雪を踏みしめる。

 一歩進むごとに、足裏を小石が突き破る。息を吐くたびに、視界を塞ぐように白く昇っていく。だがいつの間にか、追ってきていた影は見えない。


 辺りは静かな森で、怒声も乱暴な足音も聞こえない。彼女の手を引くその子は安堵したような表情を見せる。


「に、逃げ切ったかな……?」


 それにつられて彼女も思わず表情が緩んでしまう。そして力が抜けたように、膝に手をあて上がった呼吸をなんとか抑えようとする。


「一回休も……」


 だが。ふと、漂うその悪臭。


 もう一生受け入れたくないと思った、その臭いが体を包む。そして真っ暗な木々の間から現れた、その影らは彼女達を囲む。


 息が詰まる。カチカチと歯が鳴るのは、寒さだけが理由じゃなかった。


「……はッ……もう………ほんとに」


 そしてそれは彼女が瞼を閉じる理由には十分だった。


「……碌でも無い人生」


 今の彼女に残るのは、乾いた笑いだけ。

 ただ壊れたように笑い、彼女は顔に降りかかる雪の冷たさを感じる。


「私の産まれた意味ってなんなだったんだろう」


 擦れた声はブーツの足音にかき消される。

 彼女の瞼を照らしたはずの月明りは雲の裏に隠れ、足元の雪は赤く染まる。


 カラカラとした奴隷の笑い声が、森の中に木霊し続けていた。


ーーーーー


「次は本日の目玉!!!」


 ざわついていた会場内が静まり返り、壇上でよく声の通る男へ視線が集まる。そして十分に注目は集まったと、壇上の男は更に声を張り上げる。


「かの国は非常に豊かで!!長年貿易で栄えていました!!!」


 ここは奴隷の競り市。

 ある者は価値のある奴隷を求め、ある者は値札のつく奴隷を売る。そんな各個人の思惑が交差する市場。


 今日、いつにもなくこの市場は熱気と奴隷で溢れかえる。それはいつも戦争か、災害か、飢饉か。ろくでも無い時に限ってこの市場は潤う。


「ですが皆々様がご存じの通り、わずか一か月で滅びました!!!」


 そして今回は戦争だった。隣国との戦争により、発生した大勢の不幸な奴隷が市場に流入しようとしている。


 その湧き上がる熱狂のさなか、セリ一発目の目玉をひと目にし、あわよくば落札しよう。そんな大勢の人間が、冬の乾いた空気を感じさせない程に、壇上へと熱視線を送り続ける。


「さぁ!!もう待ちきれないでしょう!!!本日の目玉は目玉でも、当競り市でも最高値を更新する事間違いなし!!!」


 一々長い口上。

 後方の席に座る奴隷商の男にとっては、どうでも良く不快でさえあった。だが、それでも会場は待ちきれないと熱気を帯びていく。


「そして準備はいいですか!皆々様も家や土地を抵当に入れてきましたか!!」


 大真面目にそうなのか幾人かは同意するように叫ぶ。それに混じって待ちきれないのか、先走って値を口に出すものもちらほらと。


「ではお待たせしました!!!死亡したと思われていた彼女が!!!!今ここに登場です!!!!!」


 地鳴りかと思う程の、湧き上がる声と共に立ち上がる観客。


 後方に座る奴隷商も視界を確保するのも精一杯になる。だが、それでも僅かな隙間から覗く。


 すると、その壇上には金色の長い髪を地面に付け、その腕には鎖でつながれた女性。それは噂通り、亡国の姫というらしかった。


「では!!1万ゴールドから!!!」


 それを皮切りに次々と値上がりしていく金額。奴隷身分に落ちた姫などよっぽど価値は無いように思えるが、コレクションのようなものなのだろう。


 それをどこか他人事に後ろの席から眺める。すると隣に座る鼠顔のブラム・アーレンツが、ニヤケ面で話しかけてくる。


「で、お買いになるので?」


 その言葉を奴隷商は笑い飛ばす。


「なわけないだろ。最初の金額から破産だよ」


 ブラムは所謂卸専門の奴隷商だった。自ら盗賊を雇い軍人とコネを作り、奴隷を集めてそれを売る。そして奴隷商の男はというと、その奴隷を買い育てて付加価値を付けるのが仕事だった。


「いやぁ~そんな事言っちゃって~。もしかしたらで狙ってるのいるんでしょう?」


 だがこんなセリに出される奴隷を買える程、儲けは無い。この会場においては下から数えた方が早いほどの懐事情だった。


「……誰かさんにぼられたせいで相変わらず貧乏なんでな」


「いやぁ悪辣な商人も居たもんですねぇ!!!」


 そう出っ歯を見せびらかしながら、ワザとらしく笑うブラム。相も変わらず耳障りな笑い声で、会場に響く大勢の声でマシとはいえだった。


 すると、ふとそのブラムの細くなった目線が、最前列の男へと向く。


「あら、またプレヴァル侯爵の代理人いますね」


 視線の先には、その人物が一気に値段を吊り上げたらしく、ざわめきの中心となっていた。そしてそれは奴隷商にとっては因縁と言ってもいいほどの関係がある男。


「今度は幾らで落札するんだろうな」


「さぁ?最近気前が良いようですからねぇ」


 高貴な人物もこのセリには参加する。勿論代理人を通してだが、大体の高額取引はそういった人物だ。


「へぇ大臣閣下が。か」


 そんな会話をしながらも、一気に吊り上げられた金額を易々と上回っていく会場。どうやらまだこの熱を帯びた空気は、冷める事は無いらしい。


 それを確かめつつ奴隷商は席を立つ。


「で、俺はお前から買いに来たんだ。早く案内しろ」


「つれないですねぇ。トリは世紀の魔法使いって話ですよ?山1つ吹き飛ばしたとかなんとかの」


 そう口では言いつつも商売男なだけあって、すぐに席を立ち男を案内するブラム。奴隷商はそのブラムについて、人だかりのできる会場をかきわけ進む。


「こんなに客がいたらお前も大儲けだろうな」


 未だ値段が吊り上げられ続けているのか、遠巻きに聞こえるセリ人の声は、止まることは無い。


「いやぁこんなに奴隷が入ってくると、客がいても値崩れして商売上がったりですよぉ~。うちみたいな弱小は上玉は入ってこないですしぃ」


 セリ以外にも個人の間での取引が行われるのがこの市場。さっきのように客寄せの競り市もあれば、個人間で売買をするための市もある。


「普段はお前ら卸が値を吊り上げてんだから我慢したらどうだ」


「そぉーんなぁ厳しいっすよ~。こうやって旦那と私とで信用を積み重ねてきたんですからぁ~」


 何も嬉しくないというのに、ブラムが奴隷商を上目遣いで奴隷商を見つめてくる。そして人差し指と親指を擦り合わせ、まるで俺に要求でもするかのように言う。


「だから期待してますよ?」


 この男と取引するようになって早10年。これだけ関わって信用がゼロというのも、ある意味すごい事だ。


「”モノ”を見てからだな。それは」


 そんな会話をしつつもブラムの天幕へと入る。むわっと人の体液の嫌に鼻につく匂いが漂う。流石に糞尿とかは処理しているとは言え、気分のいい空気では無い。


 が、鼠にとってはここがホームとでも言うらしく、ブラムはランタンを手にし足を早める。そしてある檻を男に見せてくる。


「……騎士か」


「そうですそうです。身分は平民でしたが先ほどの姫のお付きだったと」


 さっきは自分で上玉は居ないとは言っていたが、なんだかんだこういう弾は持っていたらしい。


 騎士は轡を加えさせられているとは言え、健康状態も良いのか奴隷商らを罵ろうと、その珍しい緑色の目で睨み上げてくる。元々は綺麗な金色の髪だったのだろうが、それも汚れてくすんでしまっている。


 だが装備もはがされていないし、騎士となれば教養に剣術に魔力、かなり値の張る物だと思うのだが。そう奴隷商はブラムへと問いかける。


「これならセリに出しても良かったんじゃ?」


 ランタンの灯に照らされたその出っ歯は二ィっと笑う。


「旦那の為に用意したんですよ~感謝して欲しいっすよォ」


 手をごねながら恩着せがましくそう言うブラム。


 勘違いしてはいけないが、こいつに信用だの貸し借りだのは通用しない。利益があるかどうかな商売第一である奴。大方こいつも裏口から手に入れたから市場には流せない曰くつきなのだろう。


「じゃあ感謝も込めて2000ゴールドだな」


「……冗談にしてもつまんないっすよ~」


 鼠顔が渋くなり目が細くなる。


「騎士の市場価格は今2000を割り込んでいたはずだが?」


 普段ならもっと値は高かった。だがさっきブラムが言った通り、戦争で騎士や女子供は大量にいるから値が大分下落をしている。


「私達が出る頃にはあの姫30万ゴールドに達してたの見ましたよね?」


「だがもうこいつは関係ない。ただの主を守れなかった元騎士だろう」


 奴隷商がそう言うと、どうやら気に障ったらしく檻の騎士は激昂したように目を血走らせ暴れる。が、鎖と檻に阻まれ、その手首には鎖が食い込み、意味も無く血が流れるだけだった。


「……この性格じゃあ売り物ならんだろ。典型的な忠誠心の高いタイプ。契約で縛っても必要以上に働かないぞ、これは」


 呆れつつも奴隷商は騎士をそう見立てた。だがそれで、はいそうですかと引く商人などいるはずも無く、ブラムはすり合わせを始める。


「そんな事言わずに~じゃあ7000ゴールドでどうです?普段の私なら有り得ないぐらいの値引きですよ?」


 どこからか木槌の叩かれる音が響く。どうやらやっとあの姫が落札されたらしいが、この時間だともしかしたら3ケタ万はいったかもしれない。


「じゃあいつも通り”余り物”セットで買うから4000ゴールド」


 だが、まだだめなのかブラムの手はヒラヒラと揺らめく。


「仕入れ値と殆ど変わらないっすよ~それじゃあただの慈善事業すよ~」


 するとふと風向きが変わったのか、嫌に気持ちの悪い匂いが漂ってくる。それこそ浮浪者の死体にでも近い、強烈な匂いだった。


「またなんか厄介な物掴まされたか?」


 風上を見、奴隷商が会話にそう挟んで聞く。するとブラムは少しだけ顔を渋くして言う。


「いやぁ……魔暴病(マボウ病)でしてねぇ……」


 ランタンを再び手に持ち。それを見せるためにか、ブラムは天幕の奥へと歩き進める。奴隷商も交渉の種になるかとそれについて行く。


「神官にもってけば治せる奴がいるって話じゃないか?」


 ランタンの灯がいくつもの檻と、飢えた瞳を照らしていく。そんな中をコツコツと足音が響き続ける。


「あれにそんな金かけれませんよぉ。魔力が多いとは言え元取れませんしぃ」


 そう言いながらブラムは立ち止まり、ランタンを掲げその檻の中を照らす。石畳にじかに座らされているせいか、体液がここまで染みを作っている。


「お役所さんに奴隷登録した後で、処分も出来なくて困ってるんですよぉ」


 ぱっと見では性別も分からない程の醜さ。一応ブラムによれば女らしいが、それにしても顔も殆どパーツが判別がつかない。それぐらいに全身が赤く腫れ皮膚は爛れている。これだと数日で感染症なりに罹って死ぬのだろうなと、専門知識が無くとも安易に予想がつく。


「……こいつ買うから他の余り物セットとあわせて5000ゴールド。これ以上は出さん」


 そう言うとブラムは待っていたと右手を差し出してくるので、男はそれを握り返す。少し値が張ったが、丁度手伝いも欲しかったし騎士ならば教養も期待できる。


「良い取引ですぅ。じゃあ余り物はちょっとだけサービスしますよぉ~」


「どうせ売れ残りなんだから無料で寄越してくれても良いんだぞ」


 駄目だろうなと思いつつそう言うが、再び歩き出したブラムは調子よく言う。


「無料で売るぐらいなら庶民に売り払いますよ~。ま、バレたら捕まっちゃいますけど」


 奴隷を所有するにも資格がいる。貴族か権利を金で買った市民か。それか男のように奴隷商の人間か。


 だがその奴隷商中でも、男は特別と言えば聞こえは良いが、貧乏くじ的な立場だった。


「でも国にお抱えの商人さんは、こんなものばっかで利益がいつまで経っても出ませんねぇ」


「それが俺の仕事だからな。商材からして利益は出ない」


 農奴にするには体が出来ておらず、他用途で売るには余りがちな子供の奴隷。それを5年間という期限の中育成をする。所謂市場の奴隷価値を下支えするために国が設置した職で、周りからは廃品回収業者と揶揄される事もしばしば。


「でも先代に劣らず評判良いじゃないですか~。またあの伯爵家が1人買ってくれたんでしょう?」


 ゆらゆらとランタンの明りが揺れ、歪な影が蠢く。


「まぁな」


 そんな会話をしつつブラムが案内するのは、男女2人づつの子供が入った檻だった。


「同郷の4人ですな。3人は魔力無し血筋無しの低級で、そこの1人だけは魔力ありの中級ですけど、奴隷共と喧嘩して性格に難ありってとこっすね」


 普段なら魔力さえあればよっぽど売れる。それこそ軍事でもそれ以外でも潰しは効くからだ。だが普段の常識が通じない程、奴隷が溢れかえっているのだろう。


「……中級とはいえ売れないか」


 そう男が呟くとブラムは檻に手を突っ込む。そして中級と呼ばれた顔に傷のある黒髪の女の頭を掴み、見せつけてくる。歳はおおよそ13だろうか。


「いやいや女2人で顔もそれなりですよ?まぁこいつは傷物ですが」


「案外栄養状態は良いんだな」


「さぁ?売った親の罪悪感じゃないっすかねぇ」


 傷物と言われた女はまだ折れていない目をして男を睨んでいた。大抵奴隷になった子供は意地になって反抗心を燃やすか、心が折れて塞がっているの2パターンだが、この子は前者らしい。大抵ひどい目にあう女にしては珍しい。


 男がそう黙っていたのを迷っていると思ったのか、ブラムはセールストークを続ける。今度は、10歳前後の金髪碧眼の女の子の髪を掴む


「こいつかはどうすか?この時点でも、この面だと売ろうと思えば買い手は付きますよ~?」


「あぁまぁ別に買うが━━」


 そう男が言いかけた所で、同じ檻の中にいた同じく金髪碧眼の男の子が立ちあがる。そして何をするかと思えば、ブラムの手を掴み爪を立て暴れ出す。


「ッ!!このクソガキッ!!」


 ガタガタと降り全体が揺れ、ブラムは焦ったようにその子供の手を振り払う。そして乱暴に女の子を投げ捨て、すぐに男の子の首を掴む。


「ガキのクセして調子乗るなよ」


 本気で折ろうとしているのかブラムの手は、子供の首へと食い込んでいく。だがその腕を止めるのは奴隷商だった。


「今から買うんだから殺さないでくれよ」


 見た目からして兄妹なのだろう。そんなどうでも良い推察をしつつ口を挟む。

 少しだけ驚いた表情を見せたブラムだったが、すぐにいつもの胡散臭い営業スマイルに戻り、男の子の首から手を離す。


「……いやぁすみませんねぇ。やっぱガキの躾は甘くしたらすぐこうですよね~」


「そうだな。まぁ取引するぞ」


 男はそう言い懐から商工ギルドの印のついた手形を取り出す。


「5000ゴールドな。まだ出荷の代金が入ってないから、1週間後ぐらいに引き落としにいってくれ」


 魔力で署名をし値を書くとそのままブラムへと手渡す。そしてそれを確認するとブラムはさっさとその手形をしまってしまう。


「あいあい。毎度ありっす~」


 男もペンを仕舞いつつブラムに問いかける。


「引き渡しはいつだ?」


 二ッと笑いブラムは答える。


「必要なら明日にでも」


「じゃ、それで頼む」


 それで男とブラムの取引は終わりだった。何せブラムも在庫を大量に抱えている。1人の客に時間を割き続ける訳にはいかないのだろう。


「またいつか」


「えぇ売れ残りをご用意してお待ちしております~」


 そして男は臭いが付くのを嫌い、預けておいたコートに身を纏う。そしてその天幕から外へと出る。外は見物客なのか、男の開けた暖簾から中を伺い知ろうと、大勢の市民が首を伸ばしている。


「……気持ちわりぃ」


 反吐が出そうな程の臭気をいち早く肺から吐き出そうと、白い息を曇天の空へと昇らせる。

 

 今日は施設に戻って諸々の書類を完成させるだけ。そう頭の中で予定を詰めながらコツコツと石畳を鳴らすと、悠長なリズムの足音がまた一つ。


「今日も今日とて残飯漁りか?」


 頭痛がする感覚を覚えながら渋々答える。


「……それが仕事なもんでな」


 視線すら向けたくないが、隣に並び数歩先を歩き出すのはブレヴァル侯爵の代理人。名前はクリスで家名は知らない。だが互いに互いを良く思っていないのは知っている。


「あれだけ粋がってたのになぁ。まぁお似合いか」


 煽る様な言い草だが、そこには確かに恨みと嫌悪が混じっていた。そしてそれは奴隷商も同じで、言葉を返す。


「そういうお前は貴族様のお使いご苦労様。リードはもう馴染んだか?」


 2つの足音のリズムも音の高さも何もかもがズレていく。昔はその後ろを歩いていた奴隷商だったが、今は並び互いに視線は合わない。そしてクリスはただ男を煽りに来ただけなのか、その身の丈以上の革靴を止める。


「クソみたいな仕事してると、口まで汚くなるのか?知らなかったなぁ」


 その言葉に奴隷商は数歩足を進めた後、クリスへと振り返る。ストレスのせいか長い銀色の髪に、古ぼけた眼鏡。


「何もしていないお前よりはマシだ」


 クリスにそう言い返すが、何が目的なのかは不明だった。ただクリスは奴隷商を強く非難するように、レンズ越しに睨む。


「今に見てろよ」


 含みはあるが、クリスはそれ以上何も語らない。無言のまま奴隷商を睨み続ける。そうして何も語らず、1人路地の向こうへと消えて行く。


「……お前だけが苦しい訳じゃねぇんだよ」


 そう誰に吐露するでも伝えるつもりでも無い。ただの独り言を白い息と共に男は吐き、止めていた足を再び前にするのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ