10-5 相模 小田原城2-5
孫九郎が気になるのは、京からの書簡だったが、それ以外の者たちは別のものに注視していた。
集まってきた側近たちが、一通の書を囲んで難しい顔をしている。
仕分けの時は近づかなかったくせに今頃……と、顔をしかめた孫九郎だが、最後に勘助が書簡を拾い上げ「ううむ」と呻いたのを見て、何かがおかしいと気付いた。
「それがどうした?」
勘助が眺めているのは、釣書の山のほうに仕訳けたやつだ。
藤次郎が苦笑する。
「お気づきになられませんでしたか」
孫九郎が首を傾けると、集まってきた男たちに同じ苦笑の波が広がる。
「扇谷上杉家の姫君の釣書ですよ」
勘助が持っている書簡を受け取って、たしかにその通りの内容を黙読した。
三の姫。十歳。母親譲りの美しい容姿をしているそうだ。
十歳の子に対しての、「和歌・書・礼法に厚く、慈悲深く、温和」という主張がどこまで本当かはさておき、今川家に対して悪意ある足止めをたくらんだ割には、厚顔無恥な申し入れだ。
「……どういうつもりだ?」
「考えるまでもなく、二面外交でしょう」
更に首を傾げた孫九郎に、勘助が答える。
表面上は友好的な態度は崩さないが、実は……というところか。もしこれで婚姻がまとまったらどうするつもりだったのだろう。
「母系についての注釈がありませんね。つまり妾腹、あるいは養女かもしれません」
「それは……ご正室ではなく側室狙いということですか?」
「あるいは、女中や家臣を使って、今川家に深く潜り込む算段やも」
側付きたちのそれぞれが、互いに思うところを言い合う。
こいつら……この話題になると一気に盛り上がるな。
勘助がわざとらしい咳ばらいをした。
「一度、お話だけでもお聞きになられては?」
「冗談だろう」
孫九郎は思いっきり引いた。嫌だと顔にも態度にも出ていたと思う。
だが勘助は意にもかえさない。
「実はよい姫君かもしれませぬ」
「かもしれないって」
孫九郎は、一人何も言わずに座っている承菊を見た。目が合って、笑顔で頷き返される。
ご機嫌なところ申し訳ないが、言わんとしていることは全く分からないぞ。
「よろしいのでは」
「……お前まで何を」
「娘婿になれば、扇谷上杉家に万が一のことがあった場合に、付け入る口実になります」
「冗談だろう」
孫九郎はもう一度そう言って、腕をさすった。
追従するような笑い声が、側付きたちの口からこぼれた。
「戯言はさておき」
承菊が笑顔を改め、背筋を伸ばした。
造作が整った顔なので、真顔になられるとこちらも身構えてしまう。
孫九郎だけではなく、勘助を除く側付きたちもその場で居住まいを正した。
「関東の趨勢はどう転ぶかわかりませぬが、大きな戦になれば勝者と敗者がはっきりわかれ、ひとつにまとまるやもしれませぬ」
冗談だったのかとほっとしながら、孫九郎は頷いた。
「それはそうだな。扇谷上杉家が漁夫の利を得るやもしれぬ」
今までは、山内上杉家に押され気味だったが、この期に大きくなる可能性は捨てきれない。
吉原宿で今川軍の足止めをしたとき、おそらく扇谷上杉家は相模を狙っていた。つまりは拡大の野望を持っているということだ。
「交渉できる手立てを押さえておくのは悪くありませぬ」
孫九郎は脇息に肘を沈め、承菊を見つめた。
扇谷上杉家が関東を総なめして上に立つとは考えていない。だが、可能性としてはゼロではない。
実際に婚姻を結ぶかどうかはともかくとして、外交的なつながりを作っておくべきか。
「……あの」
真田次郎三郎が小さく手を上げた。
それまであれやこれやと各自の意見を言っていた場が、聞く態勢になる。
「吉田宿の件ですが、本当に扇谷上杉家が絵図を描いたのでしょうか」
「違うと?」
即座に勘助が、不穏に返した。
次郎三郎は慌てた様子でさっと首を振る。
「今川軍が吉田宿で五日から十日足止めをされたとした場合、小田原に攻め込むのも同程度遅くなったでしょう。利を得るのは、江戸に多くの兵を裂いていた北条です」
「北条なら、足止めではなく御屋形様のお命を直接狙う」
「それはそうかもしれません。ですが扇谷上杉家は、これまで何年も江戸で揉めるだけでした。つまりその程度の力しかない。同じ敵を持つ今川の足を引っ張る理由がわかりません」
「より強い今川が相模に来るのを嫌がったのではないか?」
勘助と次郎三郎の会話に、藤次郎が絡む。
次郎三郎が続けた。
「ですが遅かれ早かれ、今川は相模に攻め込んでくるのです。避けようがありません」
ああなるほど。次郎三郎が言いたいことが分かった。
北条相手に苦戦していた扇谷上杉家が、多少の足止めをした程度で相模を切り取れはしない。狙うなら相模ではなく、北条を武蔵から追い払うことのはずだと言いたいのだろう。
つまり、今川を足止めする理由はないと。
孫九郎は、少年から青年にクラスチェンジした次郎三郎に、頼もしさを感じた。
この面々の前で臆さずに己の考えを言える胆力は素晴らしい。
だが残念ながら、二転も三転も性根がひん曲がっている軍師二人に比べると、まだまだ素直だ。
苦い表情をしている勘助もだが、黙ってニコニコ聞いている承菊がその程度の事を考えないとは思えない。
彼らが熟考の末、やはり扇谷上杉だと結論を出したのだ。
そのあたりを、孫九郎は信頼している。
「なるほど。まだはっきり断定せぬ方が良いということだな」
だがそう言って、次郎三郎に頷きかけた。
「真実がどうであれ、国境を接する国に警戒するのは悪いことではない。関東はこれから荒れるだろう。結果次第でこちらの対応も変えればよい」
ナイスファイトだ。そのままがんばれ。そう激励の意を込めて。
次郎三郎は、ほっとしたように表情を緩めた。
「はい。ですがこの三の姫は、避けた方が無難だとは思います」
……結局、釣書の話になるのか。
次郎三郎のひとことで、側付きたちの注意が再び釣書の山に戻った。




