23-10 伊勢 田丸城10
酒なしの膳を、数人で囲む。
遠くから聞こえる酒宴の賑やかさに比べると、寂しいものだ。
パイの取り分が決まったので、二の丸曲輪では祝いの場が設けられている。
孫九郎は参加しなかった。一応、伺いはたててきたようだが、藤次郎が勝手に断りやがった。
山下の襲撃の件が調べ終わっていないので、仕方がないとは思う。
うちからの参加は井伊殿だ。飲みすぎないよう見張り役も同行する。もちろん、井伊殿の身に何かが起こらないよう、護衛もつけている。
「賑やかですね」
白湯を手に、承菊がつぶやく。
「酒が入れば、あんなものだろう」
孫九郎は川魚の焼き物に箸をつけながら言った。
承菊はこちらを見て、首を傾けた。
「ずいぶんと油断しているようです」
やめろ。意味ありげにこっちを見るな。
確かに今なら一網打尽にできるな、とは思った。……思っただけだ。実際にするつもりはない。
再び遠くで、陽気なざわめきが聞こえる。酒宴が盛り上がっているようだ。
孫九郎は、こぼれそうになる溜息を飲み込んだ。
彼らはまだ、保々西城の状況を知らない。
急使が来るまで二日、早ければ明日の遅くだろうか。
「今は喜ばせておけばよろしいのでは」
承菊は当たり前のようにそう言う。
教えたとしても、動くのは明日の朝からなので、言っていることは間違っていない。
孫九郎は無言で汁物に口をつけた。
「北伊勢衆の士気はいかがですか」
場を取りなすように、藤次郎が次の話題を出す。
皆の視線が渋沢に向いた。
「奇襲なら今夜かと」
イケボで何を真面目に言っているんだ。
そう考えた直後、孫九郎は顔をしかめた。
違う。渋沢は敵襲を危惧しているだけだ。奇襲をかける提言をしたわけではない。
勘違いそのものよりも、自分が即座にその考えに至ったことのほうが恥ずかしかった。
「では、周辺の警戒を強めるように」
孫九郎の声は無意識のうちに小さくなった。
そのまま、酒の入らない食事会は続いた。
遠くの宴席の声を聞きながらの、なんとも微妙な膳だった。
しばらくして、警備の一員ではなく、側近として同じ膳を囲んでいた谷が、勢いよく飯を掻きこみ、音を立てて椀を置いた。
その目が部屋の外を凝視している。
簾が揺れている。昼間よりは涼しい風が吹き込んでくる。
「……御免」
椀を置く音に驚いていた者たちも、少し離れた場所からその声が聞こえると、はっと身構えた。
敷居の傍に座っていた小姓が腰を浮かせる。
立ち上がった谷が、ずかずかと廊下に向かった。
廊下にいた護衛と何やら小声で話をしていた小姓が、谷を振り返って慌てて場所を譲る。
「お客人のようですね」
きれいに膳のものを平らげた承菊が、最後にもう一度、白湯をひと口。
孫九郎は、まだ半分ほど残った魚を見下ろして、これを食べきる時間はあるかと考えた。
結論を出す前に、他の者たちの膳が片されて行く。
小小姓が膳を下げるのをためらっているので、下げてよいと手を振った。
長野殿が、申し訳なさそうに頭を下げている。
部屋に入るまで、食事の邪魔をしたことに気づいていなかったようだ。
一般的には、夕食は、もっと明るいうちに食べる。
だが、今の田丸城は人員が足りておらず、大量の膳を用意するのは簡単ではなかった。人数分の川魚を焼くことを想像してくれるとわかると思う。
「長野殿のせいではない。そのように頭を下げずともよい」
孫九郎は気やすい口調でそう言ったのだが、長野殿は両手を前についたままだった。
しばらくの間、沈黙が続く。
孫九郎は上座で身動きせず、長野殿は下座で額を床に押し当てんばかりに頭を下げている。
承菊の目配せを受けて、小姓たちが簾を下ろし、燭台の位置を変える。
その間も、長野殿はずっと平伏したままだった。
場が整うのを待って、孫九郎は小さく息を吐いた。
「人払いをした」
びくり、と長野殿の肩が動く。
「話があるのだろう」
やがてゆっくり上げられた顔は、ひどく青ざめ、こわばっていた。
その表情を読み解くのは難しかった。
山下の容体が悪化したのか。他になにかあるのか。
「北伊勢衆は、治部大輔殿に従うつもりはござらぬ」
意を決したように落とされた言葉に、孫九郎は表情を変えなかった。
もとより、日和見をするだろうという予想は立てていた。今は味方のような顔をしているが、北畠が優勢になれば「あの時はやむを得なかった」などと言い訳をして関係改善を図るだろう。六角が来てもそうだ。
弱小の国人は、どんな手を使ってでも生き残ろうとする。
状況が移ろえば、関係の浅い今川を切り捨てるのも早いだろう。
「こちらが優勢なうちは、裏切らぬはずだ」
孫九郎がひとつ頷きそう言うと、長野殿のほうがショックを受けたような顔をした。
出会ったばかりの他国の者を、単純に味方だと考えるわけがないだろう。
「……それでよいのですか」
困惑した長野殿の様子に、孫九郎は小さく笑った。
「よい」
北伊勢衆の本音よりも、生真面目にそのことを話しに来た長野殿のほうが興味深かった。
本丸曲輪で守られていることだけが理由ではないだろう。
「言いにくいことがあるのなら、無理に聞こうとは思わぬ。いざというときに、長野殿が今川に敵対することになろうとかまわぬ」
「ふっ」とどこかで誰かが笑った。たぶん承菊だ。孫九郎はそちらを見たい衝動をこらえて、目を大きく見開いている長野殿と視線を合わせた。
そもそも北伊勢衆は今川の家臣ではない。従って当然だとは思わないし、裏切られるなら、それだけの理由があるはずだ。
「ただ覚えておけ。敵になれば容赦はせぬ。食われる覚悟はしておくことだ」
いや本当はそんなことは思っていない。戦などないに越したことはなく、できるだけ避けて通りたい。
だが同時に、それを公に口にした場合、今川家が甘く見られるのもわかっていた。
勝てない戦はしない。
勝てるようにもっていく。
それが孫九郎の、今川家の戦い方だ。




