12-10 志摩 神島10
まずは寒月様に話をした。
深いため息を返された。
東雲が「ええ話やないですか」と、後押しをしてくれて、「考えさせてくれ」との返答を得た。
愛姫様のお顔の怪我のことや、短い髪の事をおっしゃっていたが、それは大きな問題ではない。
「寒月様も、可愛い孫を寺に押し込めとうはないはずや」
東雲の言葉に、寒月様は小さく首を振る。
「お勝を巻き込むわけにはいかん」
「大内家を相手にできるのは、孫九郎殿しかおらんのやないですか」
寒月様がこんなふうに黙り込むのを始めて見た。
疲労がにじむその目が、孫九郎をじっと見る。
「だからこそ、できぬ」
「そないな難しいことを考えず、愛姫の身の振り先や思えばええんやないですか」
東雲の、軽さの中にも優しさがこもった声に、孫九郎もまた頷いた。
「そうですね。大内は遠国ですので、直接対峙することはないと思いますし」
実際にそうなのだ。
一条家にとって大内家は無視できない大国なのだろうが、今川家とはあまりにも遠い。関係が悪化したとしても、大きな戦に至るのは逆に難しいだろう。
「まあ、愛姫がいややと言うやもしれんけどな」
東雲の軽妙な茶化しに、孫九郎は神妙に頷いた。
「そうなった場合は諦めます」
ほんの少しだけ、寒月様の表情が和らいだ。
これは今川家と一条家の縁談だ。
正式には寒月様のほうから愛姫様に伝えるべき話だが、そうなれば嫌だと思っても断ることができないかもしれない。
愛姫様が望まないのなら、なかったことにすればいい。
孫九郎はそう言って、ご本人に直接申し入れをすることを、寒月様に願い出たのだ。
神島で泊まる三日目の昼、二人で並んで社務舎の濡れ縁に座り、心地よい風に吹かれながら穏やかな時間を過ごす。
愛姫様は万千代君が粥を食されたと嬉しそうに話してくれた。
孫九郎は神島から出る時のことを思えば憂鬱だと、船酔いのことを赤裸々に語った。
姫様は大げさだと思われたのか、楽しそうにくすくすと笑う。
風が吹き、被衣がめくれたが、姫様は前ほど顔を隠そうとはしていない。
それは心の健全な回復なのだろう。いいことだ。
……さて、どう話を切り出すべきか。
孫九郎は若干浮ついた気持ちになっている自身に気づき、咳ばらいをした。
きょとんとした愛姫様が、こちらを見る。
そのつぶらな目は、幼い日とまったくかわらない。
「姫様」
「はい」
穏やかな応えに、潮風の音が混じる。波の音も聞こえる。
孫九郎は口ごもり、もう一度咳ばらいをした。
「あにさま」
迷っているうちに、愛姫様のほうから口を開いた。
「駿府はどのようなところやの?」
無邪気に問われ、孫九郎は己の本拠である駿府の町を思い浮かべた。
「……少し、京に似ていますよ」
大火に見舞われなかった京。応仁の乱の以前の、町並みが整った状態の京だ。
愛姫は「行ってみたかったなぁ」と小さな声でつぶやいた。
どういう意味だ。行けばいいではないか。いつでも連れて行ってやれる。
「わたくし、きっと尼になるしかないと思うの」
「そのようなことはありませぬ」
孫九郎は間を置かず否定した。
ふわりと風が被衣をはためかせる。
姫様は飛んでいかないように手で押さえ、小さく詰まったような声を上げた。
それは泣いているようにも、笑っているようにも聞こえた。
「ええのよ。顔にこんな醜い火傷があって、髪も短こうて」
孫九郎はじっと、俯かず海風にさらされた横顔を見つめた。
「これまでずっと、一条家の為に、皇子様の為にと気張ってきたのやけれど……」
愛姫の唇が震えている。
笑おうと口角が上がっていても、こぼれる声はすすり泣きだった。
「くやしいなぁ」
孫九郎はとっさに、その背中に腕を添えた。
お転婆だった愛姫様が。山道でも泣き言を言わず歩くような姫様が。
今にも折れそうになっている。……いや、既に何度も折られている。
「髪は伸びます」
孫九郎の言葉に、愛姫様はひゅっと息を飲んだ。そして、近すぎる距離に初めて気づいたように、身を引こうとする。
「火傷のあとも、時がたてば薄くなります」
孫九郎は、遠ざかる前に顔を寄せた。
赤くただれた火傷の跡に触れないようにしながら、少し引きつれのある頬を撫でると、姫様の目にみるみる間に涙があふれた。
「あかんよ」
震える唇からこぼれ落ちた言葉は稚い。
「ほんまに……あかんのよ」
孫九郎が首をかしげると、ひくりと小さな嗚咽が漏れた。
「あにさまの北の方が」
「おりませぬが」
「い、いつかお迎えになる……」
「では、姫様が嫁いでいらしてください」
ぴたり、と嗚咽が止まった。
まん丸に見開かれた双眸に、真面目腐った孫九郎の顔がそのまま映っている。
「……わたくしが?」
「はい」
「あにさまの北の方に?」
「お嫌でしょうか」
実はかなり不安だった。振られる可能性は十分にある。
武士に嫁ぐことなど想像もしたことがないだろうし、相手は“兄”だ。
神妙に返事を待っていた孫九郎に、愛姫様は震える声で言った。
「……あにさまはいけずや」
言われてみればそうかもしれない。
仏門に入るか孫九郎に嫁ぐかの二択を選ばせることになる。
いや、愛姫様にはもっと道があるはずだ。孫九郎の正室になっても、苦労が多い。
「ひどいいけずや」
重ねてなじられてしまった。
やがて愛姫様は、声をあげて泣き始めた。まるでもっと幼い女童のように。
触れた頬は冷たいが、指に落ちてくる雫は熱い。
孫九郎は真摯に、止まらない涙を拭った。
……これって結局、イエスなの、ノーなの。
聞くに聞けない問いを、飲み込みながら。
がんばりました(作者が)




