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夏颯記  作者:
駿河編2

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109/115

12-10 志摩 神島10

 まずは寒月様に話をした。

 深いため息を返された。

 東雲が「ええ話やないですか」と、後押しをしてくれて、「考えさせてくれ」との返答を得た。

 愛姫様のお顔の怪我のことや、短い髪の事をおっしゃっていたが、それは大きな問題ではない。

「寒月様も、可愛い孫を寺に押し込めとうはないはずや」

 東雲の言葉に、寒月様は小さく首を振る。

「お勝を巻き込むわけにはいかん」

「大内家を相手にできるのは、孫九郎殿しかおらんのやないですか」

 寒月様がこんなふうに黙り込むのを始めて見た。

 疲労がにじむその目が、孫九郎をじっと見る。

「だからこそ、できぬ」

「そないな難しいことを考えず、愛姫の身の振り先や思えばええんやないですか」

 東雲の、軽さの中にも優しさがこもった声に、孫九郎もまた頷いた。

「そうですね。大内は遠国ですので、直接対峙することはないと思いますし」

 実際にそうなのだ。

 一条家にとって大内家は無視できない大国なのだろうが、今川家とはあまりにも遠い。関係が悪化したとしても、大きな戦に至るのは逆に難しいだろう。

「まあ、愛姫がいややと言うやもしれんけどな」

 東雲の軽妙な茶化しに、孫九郎は神妙に頷いた。

「そうなった場合は諦めます」

 ほんの少しだけ、寒月様の表情が和らいだ。


 これは今川家と一条家の縁談だ。

 正式には寒月様のほうから愛姫様に伝えるべき話だが、そうなれば嫌だと思っても断ることができないかもしれない。

 愛姫様が望まないのなら、なかったことにすればいい。

 孫九郎はそう言って、ご本人に直接申し入れをすることを、寒月様に願い出たのだ。

 神島で泊まる三日目の昼、二人で並んで社務舎の濡れ縁に座り、心地よい風に吹かれながら穏やかな時間を過ごす。

 愛姫様は万千代君が粥を食されたと嬉しそうに話してくれた。

 孫九郎は神島から出る時のことを思えば憂鬱だと、船酔いのことを赤裸々に語った。

 姫様は大げさだと思われたのか、楽しそうにくすくすと笑う。

 風が吹き、被衣がめくれたが、姫様は前ほど顔を隠そうとはしていない。

 それは心の健全な回復なのだろう。いいことだ。

 ……さて、どう話を切り出すべきか。

 孫九郎は若干浮ついた気持ちになっている自身に気づき、咳ばらいをした。

 きょとんとした愛姫様が、こちらを見る。

 そのつぶらな目は、幼い日とまったくかわらない。

「姫様」

「はい」

 穏やかな応えに、潮風の音が混じる。波の音も聞こえる。

 孫九郎は口ごもり、もう一度咳ばらいをした。

「あにさま」

 迷っているうちに、愛姫様のほうから口を開いた。

「駿府はどのようなところやの?」

 無邪気に問われ、孫九郎は己の本拠である駿府の町を思い浮かべた。

「……少し、京に似ていますよ」

 大火に見舞われなかった京。応仁の乱の以前の、町並みが整った状態の京だ。

 愛姫は「行ってみたかったなぁ」と小さな声でつぶやいた。

 どういう意味だ。行けばいいではないか。いつでも連れて行ってやれる。

「わたくし、きっと尼になるしかないと思うの」

「そのようなことはありませぬ」

 孫九郎は間を置かず否定した。

 ふわりと風が被衣をはためかせる。

 姫様は飛んでいかないように手で押さえ、小さく詰まったような声を上げた。

 それは泣いているようにも、笑っているようにも聞こえた。

「ええのよ。顔にこんな醜い火傷があって、髪も短こうて」

 孫九郎はじっと、俯かず海風にさらされた横顔を見つめた。

「これまでずっと、一条家の為に、皇子みこ様の為にと気張ってきたのやけれど……」

 愛姫の唇が震えている。

 笑おうと口角が上がっていても、こぼれる声はすすり泣きだった。

「くやしいなぁ」

 孫九郎はとっさに、その背中に腕を添えた。

 お転婆だった愛姫様が。山道でも泣き言を言わず歩くような姫様が。

 今にも折れそうになっている。……いや、既に何度も折られている。

「髪は伸びます」

 孫九郎の言葉に、愛姫様はひゅっと息を飲んだ。そして、近すぎる距離に初めて気づいたように、身を引こうとする。

「火傷のあとも、時がたてば薄くなります」

 孫九郎は、遠ざかる前に顔を寄せた。

 赤くただれた火傷の跡に触れないようにしながら、少し引きつれのある頬を撫でると、姫様の目にみるみる間に涙があふれた。

「あかんよ」

 震える唇からこぼれ落ちた言葉は稚い。

「ほんまに……あかんのよ」

 孫九郎が首をかしげると、ひくりと小さな嗚咽が漏れた。

「あにさまの北の方が」

「おりませぬが」

「い、いつかお迎えになる……」

「では、姫様が嫁いでいらしてください」

 ぴたり、と嗚咽が止まった。

 まん丸に見開かれた双眸に、真面目腐った孫九郎の顔がそのまま映っている。

「……わたくしが?」

「はい」

「あにさまの北の方に?」

「お嫌でしょうか」

 実はかなり不安だった。振られる可能性は十分にある。

 武士に嫁ぐことなど想像もしたことがないだろうし、相手は“兄”だ。

 神妙に返事を待っていた孫九郎に、愛姫様は震える声で言った。

「……あにさまはいけずや」

 言われてみればそうかもしれない。

 仏門に入るか孫九郎に嫁ぐかの二択を選ばせることになる。

 いや、愛姫様にはもっと道があるはずだ。孫九郎の正室になっても、苦労が多い。

「ひどいいけずや」

 重ねてなじられてしまった。

 やがて愛姫様は、声をあげて泣き始めた。まるでもっと幼い女童のように。

 触れた頬は冷たいが、指に落ちてくる雫は熱い。

 孫九郎は真摯に、止まらない涙を拭った。

 ……これって結局、イエスなの、ノーなの。

 聞くに聞けない問いを、飲み込みながら。

がんばりました(作者が)

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― 新着の感想 ―
頼むから幸せになってくれ愛姫様… こんな健気ヒロインいるか
気づけば‥何度も読み返しして 一人四役してた!声色変えて音読してた!! いやーほんまに感情移入してまぅやろ〰︎(๑˃̵ᴗ˂̵)
愛姫さま、妙姫さまとも久さまとも相性良さそう。 妙姫と渋沢さまの驚異の美貌について楽しくおしゃべりする日が早く来ますように。
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